この世でさみしい者ほど来世では救われる!日本昔ばなし「耳柿」の木は今でも岐阜県の秘境に残っていた

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この旅いちばんの感動は柿の木との邂逅!!!!!

この世でさみしい者ほど来世では救われる!日本昔ばなし「耳柿」の木は今でも岐阜県の秘境に残っていた

・日本昔ばなし「耳柿」のあらすじ
・ぼくが日本昔ばなし「耳柿」を傑作だと感じる理由
・「耳柿」の木がまだ日本に現存しているというのは本当か?
・岐阜県の山奥の秘境に、本当にまだ耳柿はあった!
・耳柿の木を見にきたことを近くの民家のおばちゃんに伝えた

・日本昔ばなし「耳柿」のあらすじ

ぼくは日本昔ばなしが大好きでYouTubeでよく視聴している。これまでもたくさんの日本昔ばなしを見てきたが、歴史がありすぎて数が多すぎてまだまだ全部見られたとは到底言い難い状況だ。見ても見ても見たことない物語が次々検索結果に出てくる日本昔ばなしの量の多さと歴史の深さに、感心すらしてしまう。

ぼくがこれまで見てきた日本昔ばなしの中でも特に素晴らしいと感動した作品のひとつに、この「耳柿」がある。全く有名ではない岐阜県の物語だが、ぼくの中では心の琴線に触れて大いに心震わされる傑作だった。「耳柿」のあらすじは以下の通りだ。

 

 

岐阜県の山奥に貧しい村があった。親どもは朝晩の食い物に追われて子供に構ってやる暇もなかった。子供はいつもお腹をすかせていた。冬の訪れはことさらこたえ、ひとたび悪い風邪でもひいたものなら呆気なく死んでしまうのだった。ここに生まれ、喜びも楽しみも何も味わうことなく、ここで死んでいく。山ひとつ向こうの村を見ることもなくここで一生を終えるのだった。

 

 

この世の苦しみから逃れられないとなると、誰しも願うことといえば死んだ後の極楽往生だった。村の人々は一日の仕事が終わるとまるで砂糖にたかる蟻のように、尼寺に寄り集まって法話を聞いた。「極楽というところはいつも春のように暖かな気持ちのいい場所で、水面にはそれはそれは見事な蓮の花がえも言われぬ香りを漂わせて咲いておりますのじゃ。子供達は病気することもなく、腹が減ることもなく、なんの煩いもない静かな静かな明け暮れが、ずーっとずーっと続きますのじゃ」と尼さんは極楽浄土の話を人々に聞かせた。

 

 

そんな法話を聞く人々の中に、村人には見覚えのない男がいた。怪しく思って少女が後を追うと、不思議と古い山柿の木のところで吸い込まれるように消えて見失ってしまったのだった。

 

 

その後もその男は尼寺に通い続けた。いつも目立たぬように目立たぬように隠れて法話に聞き入り、知らない間に消えてしまうのだった。尼さんは思い切ってその男に声をかけてみた。するとなんとその男は、耳が聞こえないのだった。耳が聞こえないのに仏の教えを聞きたいがあまり毎晩法話を聞きに尼寺に通っているのだった。尼さんも後を追うと、やはり古い山柿の木のところで消えてしまった。

「そうやったのか。あのお人は山柿の主やったのや。山柿の木が何百年と年を経て、人の姿を借りられるまでになったのや。そして御仏の導きを受けようと発心された、が耳が聞こえん。おお、さぞ無念やろうなぁ」と尼さんは山柿の主の耳の聞こえない運命を哀れんだ。尼さんはそれから、どうか山柿に耳をお与えくだされと御仏に一心に祈られた。

 

 

春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が深まった頃、なんと山柿に耳がついているのだった!不思議なことに、その年の山柿の実にはどの実にも小さな耳がふたつずつ付いていたのだった!枝にびっしりとなり揃った何百何千とも知れぬ山柿のひとつひとつに耳が付いていた。

 

その日の夜、山柿の主が法話を聞くために姿を現し、まさに耳が聞こえるようになったようで、尼さんの話に幾度も幾度も深く頷きながら手を合わすのだった。尼さんは嬉しくて声も震えんばかりだった。そして尼さんはこう言った。

「この世でさみしい者ほど、来世では必ず、必ず救われますのや、ナァ」

 

 

・ぼくが日本昔ばなし「耳柿」を傑作だと感じる理由

この「耳柿」の物語は話の流れの完成度が高く、版画のような絵も情緒があり、もちろん全体的に素晴らしいことは言うまでもないのだが、ぼくが心打たれたのは2点だった。

まず「ここに生まれ、喜びも楽しみも何も味わうことなく、ここで死んでいく。山ひとつ向こうの村を見ることもなくここで一生を終えるのだった。」という部分。一般的な日本人のぼくでも現在では世界を好きに飛び回り、世界の文化を直接学び取ることが容易な時代なのに、昔むかしの日本の山奥では、山ひとつ向こうの村を見ることもない人生があるほど閉ざされた世界が展開されていたなんて、そのギャップに驚いたのだ。

しかし山ひとつ向こうの村さえ見られない人生をぼくは不幸だとも思わないし、不便だとも思わないし、むしろ素晴らしい人生ではないかと感じてしまった。一般的な感性から言えば、山ひとつ向こうの村も見られない人生なんて哀れでかわいそうだ、いろんな場所に行って見聞を深められる現代の人生の方が幸福だと思うのだろう。しかし本当にそうだろうか。ぼくは人間の幸福というのは、どれだけ遠くへ行けるか、どれだけ多くの国を訪れることができるかにはよらないと感じる。人間の幸福というのは、結局その人の聡明さによるのではないだろうか。

どんなにたくさんの国を訪れられる現代の人々でもそこで自分なりの思考や哲学を深められなければただ行っただけで何の実りもなく終わってしまうし、一方で昔の閉ざされた日本の山奥の村の一生であったとしても、その狭い範囲の中でさえ真剣に聡明に人生を生き抜いたならば、その狭き村の中でも価値ある悟りやとめどない幸福の泉源を見出せるのではないだろうか。聡明な人というのはどんな時代であってもどんな国の人でも、たくさん移動できようがひとつの村で一生を終えようが、そんなこと全く関係なく人間の幸福の正体を発見できるに違いない。

2つ目はなんと言っても最後の尼さんの「この世でさみしい者ほど、来世では必ず、必ず救われますのや、ナァ」というセリフ!ぼくはこのセリフが大好きだ!何が大好きかってこのセリフ、全然論理的じゃないのだ。山柿の主は別にさみしいとは言っていないし、死んだ訳でもないから来世の話なんて関係ないように思える。しかし山柿の主の耳が聞こえるようになって救いを得られたことで、尼さんは御仏の慈悲の心を深く感じ取り、仏教的な輪廻転生の救いの言葉を見出す。

この「この世でさみしい者ほど、来世では必ず、必ず救われますのや、ナァ」という言葉は、かみ合っているようでかみ合っていない、状況に応じているようであまり応じていない感じがするという点で、抽象的で詩的な言葉だとぼくには感じられた。最後の「ナァ」という感嘆詞も実に情緒深い。人は本当の悟りを得たときや真実の救いに触れたとき、論理的な言葉では到底この感触を伝えることができないと感じるから、敢えて抽象的で詩的な美しい言葉を紡ぎ出すことでその感性を表現する。まさにこの言葉は、尼さんが真実の救いに触れたことの美しい詩的な表れだと感じた。

 

・「耳柿」の木がまだ日本に現存しているというのは本当か?

ぼくはこの「耳柿」の物語が大好きでよくYouTubeで見ていたが、どこの物語なのか考えたこともなかったので岐阜県が舞台であるということすら知らなかった。しかし「日本海沿いを北上する旅」「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅の途中、Go Toトラベルで宿泊した岐阜県高山市の「住真商店」で購入した風流な版画製品が、なんだか「耳柿」の絵柄にそっくりだと感じたので直感的に調べてみると、なんと思った通り「耳柿」は岐阜県の日本昔ばなしだった!

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しかもなんと衝撃的なことに、グーグルマップで検索してみるとなんと本物の「耳柿」が岐阜県氷上市明宝寒水という場所に現存しているというではないか!

えー!耳柿が、まだ日本にあるって本当?!?!?ぼくはかなりの衝撃を受けた!だって「耳柿」って日本昔ばなしの中の作り話じゃないの?!しかも「耳柿」の話が本当にあった出来事だったとしても、はるか昔の物語なんだからそんな古い柿の木が残っているはずがないと思っていたのだ!

本当にこの岐阜県に耳柿の木が残っているのだろうか!これはぜひ行って確かめてみたい!というのもグーグルマップで「耳柿」と検索すれば確かに耳柿の位置もレビューも出てくるのだが、この耳柿のページがどうも頼りない。レビューはひとつもないし、写真も全くアップされていない!要するに誰も耳柿に興味ないから訪れる人もいないし、さらには日本昔ばなし「耳柿」なんて全然有名ではないことの証だろう。ここはぼくがちゃんと耳柿の木が本当にまだ残っているのかを、実際に訪れてから確かめてみるより他はない!!!!!

 

・岐阜県の山奥の秘境に、本当にまだ耳柿はあった!

 

日本昔ばなし「耳柿」の舞台が山奥の秘境ということが示唆されていた通り、グーグルマップの耳柿の位置の周囲は本当に何があるのかわからないような辺境だった。小さな集落のような場所を超えると、細い山道へ入っていく。グーグルマップが「目的地に到着しました」と言って案内を終了しても、周囲は木だらけで一体どれが耳柿の木なのかまったくわからない!やっぱりでまかせの情報だったのだろうか、だいたい日本昔ばなしに出てくる柿の木を探しに岐阜県の山奥の秘境までわざわざ訪れるなんてどうかしているんじゃないかと、ようやく自分を客観視し始めた。日本昔ばなしは昔の話だから昔ばなしなのだ。昔の柿の木なんかが、まだ残っている可能性はかなり低いだろう。

 

 

色々と探し回ってやっぱり帰ろうかと思ったその矢先、なんだかこの先にあるような気がして導かれるように歩いていくと、そこには確実に他の木とは雰囲気が異なる細い木がひとつ立っていた。なんというか霊性を帯びているような不思議な感覚。もしかしてこれが耳柿?!と思って近づいてみると、そこには確かに「耳柿」という小さな石碑が立っていた!!!!!

 

本当に耳柿はあったのだ!信じられないくらい感動的な邂逅!!!!!この日本一周の旅では様々な人や絶景に巡り会ってきたが、この耳柿との出会いほど感動的なものはなかった!だって日本昔ばなしに出てた木に実際に出会えるなんて、誰が予想できるだろうか!!!耳柿は誰もいない静けさの中で、孤独の中で、ぼくのことを待っていてくれた。まさに時空も空間も超えた、古代の日本の人々と心を通い合わせられるような不思議な邂逅だった。

 

 

・耳柿の木を見にきたことを近くの民家のおばちゃんに伝えた

帰りにこんな秘境に来たんだよということを伝えるために周囲の写真を撮っていると、民家のおばちゃんにどこから来たの?と話しかけられたので耳柿を見にわざわざここを訪れたことを話した。なんだか心あたたまるような本当に素敵な時間だった。耳柿がぼくにもたらしてくれたものは、言葉では言い尽くせないくらいに尊いものだった。

 

 

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