恐山、奥入瀬渓流、岡本太郎、青森屋、弘前フランス料理!りんごと緑の風が吹く青森県の旅

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さて、青森県の旅である。青森県の旅は他の県と比べてもかなり濃厚だったので、一記事で書き切れる自信がないのだが、なんとか頑張って書いてみようと思う。

青森県では、まず星野リゾートの青森屋に宿泊し、そのまま奥入瀬渓流を観光し、それから青森市まで移動し、日帰りで恐山まで行って帰ってきて、その後で弘前市を訪れ、そこからリゾートしらかみという電車に乗って、秋田県まで抜けた。

恐山、奥入瀬渓流、岡本太郎、青森屋、弘前フランス料理!りんごと緑の風が吹く青森県の旅

・星野リゾート青森屋
・美しい緑に包まれた奥入瀬渓流
・恐山で日本人の死生観を問う
・祭りの前の青森市
・弘前でフランス料理

・星野リゾート青森屋

青森県の旅館を例によってじゃらんで調べていると、星野リゾートという文字が目に付いた。普段なら、高級リゾートのイメージがあるそのような文字は完全に無視して安い宿をさがすのだが、値段を見るとなんと12500円と赤字で書いてある。驚愕の安さであるが、おそらく直前割引されていたのだろうか。しかもポンタポイントが10%も付加されると書いてある。つまり、その次のじゃらんの宿泊で10%ポイントが使えるということである。10%ポイント付きの12500円で星野リゾートに泊まれるとは、かなりお得ではないか。宿なんて、ただ泊まるだけでほとんどの時間は宿の外にいるのだしと思い、今までは安さ重視で選んでいたのだが、日本のリゾートに宿泊するという新しい経験をするのもいいかもしれない、せっかくの旅だし。新しい発見もあることだろう。そう思い、予約してみた。たまには贅沢してみよう!

星野リゾートの青森屋はなんだかよくわからない場所にあった。三沢駅というところから歩いて行ける場所にあり、送迎のバスも出ているようだが、ぼくが到着したのは夜中だったのでバスの運行は終了していた。駅からえっちらおっちらと青森屋まで自力で歩いたのだが、まわりは真っ暗で何もなく、さみしい場所だった。しかも青森屋の敷地がかなり広く、駅から敷地内に入るまではすぐだが、そこからフロントまではあと15分も歩かなければならなかった。最初にここがフロントかと思って入った大きな建物は、なんとただの離れの温泉用の建物だった。おそるべき星野リゾート。いろんな建物がありすぎて、どこがフロントかわからない。グーグルマップでも、どこがフロントかまでは記されていない。ぼくは星野リゾートの中で彷徨う迷子になり、なんとか一番たくさんの光を放っている建物を見つけ出し、そこを目指しているとそこはフロントだった。

到着してすぐに、次の日行く予定だった奥入瀬渓流までの行き方を尋ねると、なんと星野リゾート系列のホテルの「奥入瀬渓流ホテル」が奥入瀬渓流のすぐそばにあるので、青森屋から奥入瀬渓流ホテル行きの直行バスが出ており、その直行バスに無料で乗せてくれるというのだ!なんと、高級ホテルではそんなサービスまでしてくれるのかと大変幸福な気持ちになった。しかも、その直行バスは本来なら3日前までに予約しなければならない方針らしいのだが、確認すると空席があり乗せられるということで、直前でも快くバスの予約をしてくださった。おおなんとありがたい!

ぼくは満足して、部屋に荷物を置いた後、青森屋の中を探検し始めた。するとなんと、青森屋の屋内では勝手にねぷた祭りがなんとも仰々しく派手に開催されていた。

 

なんという光景だろう。高級リゾートというのはいつでもこのような見境のないイベントを開催しているものなのだろうか!楽しい!

 

 

テレビで見たことあるような巨大なねぷたから、金魚ねぷたまで様々ある。ついでに本物の金魚だって泳いでいた。

 

 

しばらくすると、津軽三味線の実演が始まった。なんとも情熱的で、心の中の随所に響きわたる心地よい音色である。このような実演は毎日開催されているようだ。さすが星野リゾート。客を飽きさせない工夫が施されている。

 

 

夕食は青森県の八戸という地域のご当地グルメであるという「せんべい汁」を食べた。これは普通に美味しかったのだが、まず一目見て思った感想は「原価がとても安そう!」だった。原価が安そうな割に、星のリゾートだからそれなりの値段がしたが、それは仕方なかろう。

温泉も本館にあるものと別館にあるものの2つが用意されており、ぼくはどちらも入って楽しんだ。別館に行くためのバスまで出ているというのだから驚きだ。同じホテルの中なのに!温泉はどちらも広々としていて、なぜか人も少なく快適だった。というか温泉に限らず、このホテルではなにからなにまで快適だ。

ラウンジでは青森県らしいりんご茶というものを無料で飲むこともできた。りんごの風味がちょうどくどくない具合に、爽やかに口の中に広がってゆく感じが見事だった。おかわり自由だったので、何度もおかわりしてしまった。りんご茶はお土産用にもたくさん用意されていた。

 

 

ぼくの部屋は、ぼくの好きな美しい青色を基調として和と洋混合の洗練された空間となっていた。調べてみると、この部屋は「えんつこ」という名前らしい。えんつこってなにがなんだかわからないなんのこっちゃな名前だが、青森語で「ゆりかご」という意味らしい。この部屋を基調としている色彩は詳細に言えば藍色で、この藍色は青森で無農薬栽培された藍の葉を使用している「あおもり藍」という色彩らしい。へー。とても美しくて、写真にも映える色である。この他にも赤色やベージュを基調とした部屋も用意されているようだが、ぼくは藍色のこの色彩がとても気に入ったので、たまたまこの部屋でよかったなと思う。

 

・美しい緑に包まれた奥入瀬渓流

次の日、青森屋から奥入瀬渓流ホテルまでの無料バスに無事乗ることができた。公共の交通機関を使用したならば1000円以上かかるこの道を、無料で行けるというのは驚異的なサービスである。お得感が半端ない。しかも楽だし。しかし、もっと驚異的な出来事が、奥入瀬渓流ホテルで待っていた。

 

 

奥入瀬渓流ホテルに到着し、中へ入ったとき、あまりの緑と光の美しさに息を飲んだ。入館と共に目の前に飛び込んで来たのは、奥入瀬渓流ホテルのラウンジ「森の神話」である。このラウンジの暖炉の上に設置されている、とても気になる鐘のような存在。なんだか岡本太郎が作ったみたいだなーと思っていたら、本当に岡本太郎の作品だったのだ!というかこの暖炉自体が岡本太郎の「森の神話」という作品らしい!

 

 

ぼくは岡本太郎が大好きなのだ。彼の言葉ひとつひとつに極めて深く共鳴・共感するし、彼の民俗学的に造詣が深い点も非常に興味深く参考になる。彼の本は何冊も読んでいるし、これからももっともっと読んで行きたい。北海道の旅に出かける前には、神奈川県の川崎の岡本太郎美術館へ行ってきたし、ちょっと前には東京の青山にあるもうひとつの岡本太郎の美術館にも足を運んだ。そんな岡本太郎との、思いがけない邂逅に胸が躍った。しかも青森県の山奥で!

 

 

「森の神話」は、あとでじっくり訪れることにして、肝心の奥入瀬渓流に向かった。奥入瀬渓流の道をすべて歩くのは、ゆっくり歩いて片道で4時間くらいかかるらしく、一日中奥入瀬渓流でのんびりする予定の人はよいと思うが、ぼくはその日のホテルを青森市で予約していたので、その日は奥入瀬渓流散策→奥入瀬渓流ホテルもゆっくり見たい→バスで青森市へという予定だった。ものすごく急がなければならないというほどでもないが、4時間ゆっくり奥入瀬渓流だけ見られるほど余裕があるというわけでもない。しかし、奥入瀬渓流の道には公共のバスが走っているので、適当なところで降車してそこから奥入瀬渓流の終点まで歩き、そこからまたバスで奥入瀬渓流ホテルまで帰って来ることが可能なのだ。

 

 

ぼくはホテルの人と相談し、ほとんどの客におすすめしているという「阿修羅の流れ」という停留所でバスを降りるという計画にした。奥入瀬渓流ではこのように代表的な流れの随所随所で名前が付けられているようである。ここで降りれば2〜3時間くらいの散策になり、疲れすぎず短すぎずちょうどよい距離になるという。「阿修羅の流れ」でバスを降りたあと、トコトコトコトコと歩き出した。

この時点まで知らなかったのだが、この奥入瀬渓流の流れは十和田湖を源流としているようだった。ぼくは十和田湖と奥入瀬渓流がまったくの別物だと思っていたので、奥入瀬渓流に行けば、近くにある十和田湖にも行けるのかなーでもどれくらい近いのかイマイチよくわからないなーなどとぼんやり思っていたが、何のことはない、奥入瀬渓流の水は十和田湖から流れてきている水であり、奥入瀬渓流の流れをたどって上流へと歩いて行けば、十和田湖へとたどり着き、それこそが奥入瀬渓流散策のゴールとなるのだった。

ぼくは十和田湖へと向かって歩き出した。整備されていて、非常に歩きやすい道だ。険しい坂道もまったくないし、お年寄りでも普段問題なく歩ける人ならば、十分楽しめる道であるように思われる。

 

 

奥入瀬渓流の緑は美しい。光に照らされた淡い黄緑色が幻想的だ。北国の緑の色彩は、みんなこのように穏やかで心に平安をもたらすものであろうか。

ぼくは10年住んだ沖縄のアダンの木の深緑の刺々しい葉を思い出していた。ともすれば人や動物の皮膚に傷をつけてしまいそうな、こちらが身構えてしまいそうな印象の葉っぱたち。自分自身を防衛するためなのだろうか、それが自分以外の何かを傷つける結果となってしまうのならば、そも存在は少しさみしい。そしてそれにしがみつく、重厚な甲羅を伴った怪しい青色を放つヤシガニの存在まで思い浮かべた。

同じ日本の中でも、緑の印象すらこれほどに異なるものだと感慨深かった。南国の葉や木々が、その深い色彩やその硬質な印象、鋭利な形状から人々に痛々しいイメージを与えるのに対して、北国の葉は丸みを帯びており、やわらかで優しい光を運んでくれる、癒しの空間を演出してくれる機能を持っている。訪れた人々も皆この緑と心地の良い水の流れに癒されいているようだった。

 

 

奥入瀬渓流の水は不思議だ。なんだか真っ白な色をしている。ぼくが山の中や森の中で見た水というのは、透明な清流が多かったのに、この森の水は白い。どうして白いのだろうか。おそらく流れの過程で泡が生まれているからだろうか。真っ白な水に、淡い黄緑の木々たちが、ちょうどよい色彩の服を着る人のようによく似合っていて、世界に馴染んでいる。

 

 

途中には雄大な滝や繊細な滝をいくつも見ることができ、人々はそれぞれで足を休め安らかに休息していた。道も穏やかで険しい道のりもなく、誰もが苦しい思いをせず、誰もが癒されていた。

 

 

ゴールの十和田湖へは、やはり3時間くらいで到着した。十和田湖は静かだった。しずかで、しずかで、真空のようだ。波打つこともなく、流れることもなく、時間が止まっているみただった。ぼくはまた、釧路湿原で感じた、動きのない水を前にした時の感情を湧き上がらせた。穏やかな水面に対しては、何を感じればいいのかわからないのだった。

バスに乗って、奥入瀬渓流ホテルまで戻った。確認すると、同系列の青森屋に泊まった客ならば、奥入瀬渓流ホテルの温泉にも入ってよいという。ここまで至れり尽くせりで、本当に青森屋に宿泊してよかったと心から思った。奥入瀬渓流ホテルの露天風呂は、奥入瀬渓流の水の流れを眺めながらゆっくりと入ることができる。身体はあたたまるのに、涼しい風が吹き抜けてゆくような心地のする誠によい温泉だった。温泉を出ると、脱衣所にはアイスキャンデーも常備されていて幸福だった。しかしこの温泉、宿泊していなくても誰でも入れるのでは…と心の隅でかなり怪しく思った。

 

 

ラウンジの「森の神話」では「幸福りんごのミルフィーユ」をオーダーした。これは本当に心が幸福になるミルフィーユだった、そのままに!このようなミルフィーユの構造も初めて見るし、この外見だけにこだわっているわけではなくて、味も絶妙に幸福を感じられる味わいだ。しかも目の前には奥入瀬渓流のあまりに美しい緑たち!そして後ろには岡本太郎!岡本太郎の好きな、縄文の要素を存分に含んでいる作品に見とれた。青森と縄文、なんとなく直結するものを感じ取ることができる。

 

 

「森の神話」の椅子の柄もとても素敵だった。ぼくの好きな美しい幾何学模様。なにもかも幸福な気持ちに包まれて、宿泊先の青森市までのバスに乗り込んだ。

 

・恐山で日本人の死生観を問う

 

青森市で宿泊した後は、日帰りで恐山へと向かった。ぼくは以前から、恐山に憧れていたのだ。日本三大霊山というものがあり、それは和歌山県の高野山、青森県の恐山、滋賀県の比叡山であると言われる。ぼくは地元の近くの高野山を愛しており、このような場所は世界にここしかなく、稀有な山間の美しい仏教都市であると感じている。地元だからそう思うのではなく、さまざまな世界を旅してきてそう感じるのだ。偶然にもそのような仏教都市の麓の街に生まれたことを幸福に思う。最近は西洋人を中心に、外国人にも非常に人気があるようだが、人気があって当然の場所だと思うし、あんまり人気にならないでほしいとも思う。仏教都市というものは、穏やかで静かな神聖な空気が流れていてこそ仏教都市らしい趣きに満たされるというものだ。ちなみに観光客には西洋人が多く、中国韓国の人々を見ないのは誠に不思議である。

そのような高野山と肩を並べる霊山というのならば、一度是非行ってみたいと思っていたのだ。そしてついにその機会に恵まれた。

恐山は、下北半島というところにある。青森県を地図で見たならば、上に出っ張っている2つの半島のうち、右側の半島だ。青森市はこの2つの半島の丁度真ん中に位置しているので、電車で行くのにもそれなりの時間がかかった。乗り換えは1回だが、約2時間である。恐山へ日帰りで行くのなら、普通の切符で行くよりは一日券を買った方が安いよと、親切にも青森駅の駅員さんが教えてくれたので、一日券を買って行くことにした。

青森駅から、下北駅というところまで乗り、そこからバスに乗り換える。電車もバスも、それほど混んでいるわけでもなく快適だった。途中の長生きができる清流を飲むスポットでバスをわざわざ止めてくれるなど、観光地らしい配慮も感じられた。

恐山、そこは高野山とは似ても似つかない、硫黄の匂い漂う白色の荒野であった。先日訪れた北海道の登別温泉と似たような、温泉地に見られるようないわゆる“地獄”の風景である。登別温泉と異なるのは、恐山の方が著しく仏教の気配を漂わせている点だ。

 

 

バスが恐山へと到着すると、六道を示すお地蔵様たちがお出迎えしてくれる。

 

 

立派な佇まいの門。これから入る恐山の厳かさを示してくれているようでもある。

恐山は500円の入山料がかかった。500円くらいの入山料ならば仕方がないとは思うけれど、やはり最も神聖な場所である、弘法大師がまだ生きていらっしゃるという奥の院へと入るときにさえお金なんか取らない高野山は、やっぱり素晴らしいところだなあとしみじみと思った。

 

 

恐山の中にはなんと温泉が存在していた!これは無料で入れるようだ。ぼくはタオルを持ってこなかったことを後悔した。タオルの貸し出しなどは行っていないように見受けられた。もしも恐山へ行く予定で、温泉に入りたい方は、タオルを持って行くことをオススメします!ぼくはタオルがなかったので、温泉に入ってそのまま身体が自然乾燥するのを全裸で待機していたら、割と時間がかかってしまった。ちなみにお湯はすごく熱かった!地獄感!

 

 

さまざまな名前の地獄を超えてゆく。さながら地獄巡りの様相である。

 

 

ここではお地蔵様がとても多く祀られていると感じられた。ここは小さな子供が亡くなったときに訪れる場所のようでもあった。

 

 

幼くして亡くなった子供を供養するための、あの世の子供に宛てたメッセージも散らばっていた。その付近には、子供のためのおもちゃやお菓子。お母さんから今は亡き子供への、あふれんばかりの愛情と慈しみと悔やみの気持ちの込められたメッセージを読んでいると、知らず知らずのうちに涙が出てきて止まらなかった。

「今はなにをしているのかな」「お母さんのそばにいつもいてね」「笑い声が忘れられないよ」「大好きなお菓子を持ってきたよ」「大きくなった姿を見たかったよ…」

子供を亡くした母親の言葉では言い尽くせないほどの深い悲しみは、どの時代においても、どのような国においても変わらない普遍的な絶望なのだろう。深いものほど、人間たちの心の深淵に共通して流れている水に触れてゆく。自分より遅く死ぬはずの子供が、自分より早く死んでしまうことを仏教では“逆縁”という。自分のお腹を痛めて産み、精一杯に育ててきたのに、逆縁に遭ってしまったお母さんの苦悩は計り知れない。その絶望は、時が経っても、完全には癒されないものなのかもしれない。

 

 

人間は時が経つにつれて、どのような悲しみも次第に薄らぎ、徐々に忘れていくようにできているようだ。どのような絶望の淵に立たされても、時の流れが決して癒してくれそうもない悲しみにぶち当たっても、それでも人は、その悲しみを受けた時と全く同じ量の悲しみを請け負いながら生きていくことは決してない。必ず、必ず、完全には消えなくても、少しずつ、少しずつ、悲しみを地面へとこぼしながら、忘却していくのだ。それこそは、仏の恩寵ともいうべきものではなかろうか。もしかしたら、亡くなった子供が、同じ量の悲しみを決して持たないでね、どうか前を向いて歩いてねという思いで、忘却という名の恩寵を、お母さんにあの世から与え続けているのかもしれない。

そして恐山もまた、優しくさりげなく忘却の手助けをしてくれているのかもしれない。

 

 

恐山全体にわたって回っていた風車は、さならがチベット仏教のマニ車のように“輪廻転生”の世界を表現しているかのようだ。死んだ子供は決していつまでも死の中を苦しんではいない。どこかで生まれ変わってまた歩き始めていくのだろう。それもまた、救済の一種であると同時に、あるいはお母さんは我が子が自分から遠くへと離れて行く、一抹のさみしさを感じさせはしないだろうか。人は生まれ変わるのだから、この世でまた出会えるかもしれないねというわずかな希望と、死んでからあの世でまた子供と再開できるという未来の死後の世界への希望と、どちらが生者の母親にとっては癒しとなるのだろうか。

 

 

この日本という国には“輪廻転生”という概念がそれほど民族の心の底に定着しているとは考えにくいとぼくは感じている。四十九日など、形式的な輪廻転生の儀式は行うが、それでもなお、死者が生まれ変わって別の生を歩いているというような、大らかな想像力というよりはむしろ、死ねば死者はあの世で自分を待っていてくれ、または生きている間は自分をあの世から見守っていてくれているという、死者の魂はこの世や自らの近隣で留まり続けてくれているという観念で心の平穏を得るという、いわゆる現実的即物的な思想が見て取れる。そこからは、インド的な精神に完全に巻き取られることをしないで、もっと古来からの支那(中国)の儒の死の観念を手放さずにいる感が伺えると思えるのだ。そしてぼくは考えるのだが、インド的思想(仏教)よりも前の、支那的思想(儒)よりも前の、日本人の原始的なオリジナルの死生観とはいかなるものであったのかが非常に気になるのである。何か参考になる書物などあればご教授願いたい。

 

 

地獄を抜けると、まるで天国のような、青くきらめく山間の湖へと続いている。

人間にとって、地獄はいつまでも続かない、それを耐え忍んで乗り越えたなら、明るい世界も待っているよと、恐山はその身をいっぱいに呈して教えてくれている。

 

 

・祭りの前の青森市

 

青森市では宿泊しただけで特に観光などしなかったが、夕食にホタテ料理を2日連続で食べ、満足していた。全然知らなかったが、ホタテが有名なようだ。

 

 

青森市の夕焼けがとても綺麗だったのを覚えている。

 

 

ぼくが訪れたのはねぷた祭りの直前だったようで、ねぷたの山車を街中でたくさん見ることができた。あまりの迫力に、本番も見てみたくなったが、しかし祭りの直前でよかったなとも感じた。祭りの直前というものは、街中に独特の高揚感が満ちている。もうやがて来る祭りの予感や期待が人々に、そのような気の流れを生み出させるのだろうが、その空気は、祭りの真っ只中では感じることができない、一種の特別な経験である。遠足よりも遠足の準備の方が、子供たちが嬉しさに満ちているというのに似ている。「祭りのあと」などという言葉は、さみしさの代名詞のように使われている。祭りというものは、祭りそのものだけれはなく、その前、その後でさえ人間に多大なる影響を与え、あらためてそれを取り巻く民族における重要性を思い知らさるのだ。

 

 

・弘前でフランス料理

青森市で宿泊した次の日は、弘前市へ向かった。青森市ではホタテ料理が有名だったが、弘前市ではなぜかフランス料理が有名なようだ。フランス料理が有名な街らしく、どこか西洋的なお洒落な感じと、趣のある文化的な日本の風景が同居していて、心地のよい街である。今回はあまり時間がなくて残念だったが、また来たいと思わせるような。もっと掘り下げてみたいと思えるような、深みを予感させてくれる街だった。

「レストラン山崎」というフランス料理店で、予約を取ったのち昼食にした。グーグルマップのレビューで予約を取らないと人がいっぱいで食事できないという書き込みを見たので予約をしておいたのだが、ぼくが行った平日のお昼はまったくそのような気配はなかった。日によるのかもしれない。

 

青森らしいりんご料理が評判らしく、またそのレストランの内装も、りんごらしくてお洒落で可愛らしい。

 

 

「奇跡のりんご」というりんごの冷製スープは、青森へ来たという実感と、それを指し引いても与えられる感動的な味わいが忘れられない一品である。夏の暑い日差しの中をかいくぐってこのレストランまでたどり着いて、この涼やかな冷製スープを飲めば、またこの後の観光にもやる気の出る思いがする。

 

 

メインの豚肉のステーキも、この味付けがちょっと今までには味わったことのない絶妙で巧みな深みのある味わいで、今度また弘前を訪れる際にはもう一度食べてみたいと思わせるほどだった。

 

 

デザートは、りんご系のものがありますかと尋ねると、なんと親切にもメニューにない奇跡のりんごのシャーベットに変更してくれた。弘前の忘れられない思い出になった。

弘前の街はその辺をブラブラ歩いているだけでも、楽しい発見や興味深い建物などがたくさん現れて訪れる人々を飽きさせない。

 

 

カトリック弘前教会もそのひとつで、木造の非常に素朴な作りがとてもよかった。ぼくは日本の、このような木造の教会が好きだ。日本らしい「木材」という素材と、外来の西洋のキリスト教という、本来ならば融合しそうにないそのふたつが美しく組み合わされた姿。それは欧州の石造りのひんやりとした厳(いかめ)しい教会よりも、ぼくを心の底から安堵させ癒してくれる。いつか九州の長崎や熊本などの隠れキリシタンの里なども訪れてみたい。またルーマニアやロシアや北欧などの、古くからある木造の教会にもとても興味がある。

盛岡でも銀行跡のレトロな建物を見学したが、この弘前市でも青森銀行記念館という銀行跡があり、散歩の途中で偶然見つけたので立ち寄った。中では係員のおじさんが親切に銀行の歴史について解説してくださり、また展示物で日本、殊に東北の都道府県におけるお金の移り変わりや歴史について学ぶことができて非常によい勉強になった。お金ってほんとに面白いよね。経済学もっと勉強したいな。どうしてあんな紙や金属の物質に価値を付けることができたのかも深い興味があるし、あんなものに振り回されざるを得ない人間という存在も面白い。

 

 

中はこんな感じ。この青森銀行記念館は、ほんとはこの場所には建ってなくて10mくらい隣に建っていたけれど移動して来たんだって!そんなことできるのか!人間ってすごい!と驚愕していたが、その光景をこの後目の当たりにすることとなる。

 

 

なんと、弘前城も、この訪れた際には本来の場所にはなく、工事のために別の場所に移動させられていたのだ!城ごと移動できる人間の技術!お見事としか言いようがなかったが、元の場所にない弘前城はなんとなく、少し威厳がないように感じられた。はやり本来の場所に佇んでいる方が、城もその迫力を保つことができるのだろう。はやく元の場所に戻れるといいね!今度来た時には、元通りの姿が見られますように。

 

 

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