毘沙門天が祀られた岩窟!!!!!
岩の洞窟に毘沙門天!お遍路第74番「医王山 多宝院 甲山寺」で洞窟の神秘性を感じ取る
・第74番甲山寺の毘沙門天の岩窟
・第74番甲山寺本堂
・第74番甲山寺大師堂
・第74番甲山寺お納経(御朱印)
・第74番甲山寺御影、御姿
・第74番甲山寺の毘沙門天の岩窟
車中泊で九州一周している際、洞窟の中に神様が祀られていて、洞窟が神聖な場所になっている様子が印象だった。宮崎県の天安河原や鵜戸神宮、また鹿児島県の溝ノ口洞穴などがそれだった。
またベトナムのチャンアンでも、洞窟の中が仏教的寺院になっており、洞窟を神聖視するのは東アジア人に通底する概念なのかと感じられた。
四国お遍路巡礼の旅においても、ここ第74番「医王山 多宝院 甲山寺(いおうざん たほういん こうやまじ)」でも、洞窟が神聖な場所とされている様子を目撃した。四国の88のお寺のうちで洞窟が聖地になっていることは少ないようで、お遍路を回っていて洞窟に仏像が祀られているのは唯一ここだけだった。他には高知県に御厨人窟という弘法大師の修行した洞窟があったが、この洞窟はお寺の中にあるわけではなくずっと離れた場所にあった。
第74番甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれている。平安初期、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していた。ある日甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言った。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養したという。
その後、嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「まんのう池」の修築工事の監督に任命された弘法大師。朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった難しい工事だった。弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法した。すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたという。
・第74番甲山寺本堂
・第74番甲山寺大師堂
・第74番甲山寺お納経(御朱印)
・第74番甲山寺御影、御姿
十二神 みかたにもてる いくさには 己と心 かぶと山かな