人生で初めての心霊体験しました…ここ知床で。
北海道知床半島で恐怖のホラー体験!位牌を乗せた車に揺られて不思議なおじさんと流氷ドライブした
・謎のおじさんとの出会い
・おじさんの車の中へ
・おじさんの位牌
・おじさんと見知らぬ道をドライブ
・絶対的ではなく相対的なおじさん
・この世に生きてはいないおじさん
・おじさんの過去
・おじさんの正体
・謎のおじさんとの出会い
昨日の記事にも書いた通り、知床の流氷の景色にそれはそれは感動し、このまま一日が感動に包まれたまま終わるのだとぼくは信じていた。プユニ岬へ行くまでの上り坂で、不思議なおじさんに出会うまでは…。
ぼくは昨日の一日を通して、壮大な見たこともない知床半島の流氷の景色に感動し、はりきりすぎてあちこち歩き回っていた。ウトロ港にも3回ほど行ったし、知床自然センターとその遊歩道からフレペの滝も見て来たし、そしてそこへ行くまでのバスの車窓からのオホーツク海の流氷の景色があまりに素晴らしく、ウトロの街に戻ってからさらに写真を撮るために、徒歩でプユニ岬を目指していた。今思えばなんと活発に動いていたことだろうか。
14時のバスに乗ってウトロの街まで戻ってくると、ランチできるような店も少なく、ぼくはセイコーマートでおにぎりとお菓子を買って、それをむしゃむしゃと食べながらプユニ岬までの道を歩いていた。左側に広がるオホーツク海を敷き詰める流氷の上を、のそのそと歩いていく人々の姿が遠くに見える。彼らは凍った海の上を歩いているのだから、まるで神様になったような気分でいるだろうか。いずれにしてもここでしかできない、またとない経験をしていることだろう。
ぼくはこの流氷の敷き詰められたオホーツク海の景観を、もっと高い場所から眺めたいと、どんどんとプユニ岬に向かって歩いていた。秋に鮭の遡上を見ることができた、プユニ岬までの上り道の起点の川は、凍らずにそのまま流れている。海というものが凍っていながら、川というものが凍っていないのは、今考えてみても不思議なことだった。そしてフレペの滝も凍っていなかった。
一方的に激しく流れ去る水の流れはなかなか凍らず、たゆたうように寄せては返す水の振動の方は凍りやすいようだ。寄せると返すの間には、水の流れが止まるという瞬間があるので、それゆえに凍りやすい仕組みだろうか。自分の心を浮世の冷たさで凍りつかせないようにするためには、心をのんびりと揺らすわけではなく、むしろとめどなく流し続けなければならないのだなぁとぼんやり感じたりしていた。
そんなことを考えながら上り道に差し掛かる。左側にそれはそれは大きな「知床国立公園」という看板の前を通り過ぎようとしたときだ。坂道の上から下りてきた一台の車がぼくの横で止まった。そして中から50〜60歳ほどのおじさんが出てきてぼくに言った。
「看板と、写真を撮ってあげるよ!」
・おじさんの車の中へ
突然のことぼくは驚いたが、わざわざ車まで止めてくれて写真を撮ってあげるという好意に背くわけにはいかず、ぼくはおじさんとの会話を始めた。おじさんも写真を撮るのが好きなのだと語り始め、そしてこのウトロで撮影した、太陽の夕方の光が海に降臨しているような写真の集まりをぼくに見せてくれた。彼はウトロでそのような太陽と海の瞬間を撮り続けているようだ。彼のカメラは1万円だといい、たしかにその写真も「1万円のカメラで撮りました」という感じが漂っている。
「人生っていうものは楽しみがなくちゃだめだよ!ぼくはこれが楽しみなんだ!楽しみがないと、仕事だけだと人生はだめになるよ!」と急に彼の人生観を語り始めて止まらなくなったが、ぼくは黙って彼の話に耳を傾けていた。「よかったらぼくの写真送ってあげるよ!住所と名前と電話番号を教えてくれたらね!」と言われて、ぼくはまったくそんなことを望んでいなかったので、「えーありがとうございます…」などと言ってなんとか話を流そうと頑張っていた。
ぼくがプユニ岬を徒歩で目指していることを告げると、なんと親切にも「お!じゃあ乗せて行ってあげるよ!」と提案してくれた。出会ってすぐに知らない人の車に乗るなんてちょっと危ないかもという考えも少しは脳裏をよぎったが、このおじさんには少しも危険な香りがしなかったので、ご好意に甘えて乗せていただくことにした。
そして車に乗り込んだ途端、ぼくは驚きを隠せなかった。彼の運転的の前には、木製の位牌が置かれていたのだ…。
・おじさんの位牌
ぼくはもうこの時点で車を降りたくなったが、乗ってしまったものは仕方がない。プユニ岬まで運んでもらって、そこからは自力でウトロまで戻ろう。「知床国立公園」の看板からプユニ岬までは、車では3分くらいなのでこのおじさんともすぐにお別れになるだろう。
それにしても車の中に位牌を立てる人なんて初めて見た。そんな人は結構いるのだろうか。いや、ぼくは生まれてこのかた一度もそのような車に乗り合わせた経験はない。一体どうしてこのおじさんは位牌を車中に立てかけているのだろう。よほど大切な人が亡くなってしまったのだろうか。それともこれは北海道の民俗的な風習なのだろうか。それにしても乗せてくださった車に位牌が立てられているというのは、乗せていただいた身からすると心の中がざわつく思いである。センシティブな内容なので、ぼくはもちろん位牌のことには触れずに、おじさんと会話を続けた。
おじさんは自身のオホーツク海の太陽と海の写真のについて「こういう芸当は自然にしかできない。人間にはこんなこといくら頑張ったってできやしないんだからね!自然は偉大なんだよ!」と語っていた。そしてプユニ岬までたどり着き、おじさんに感謝の言葉を告げて車を降りると、おじさんはなんと車中でぼくが写真を撮り終わるのを待ってくれている。どうやらウトロへ送り返してくれるつもりらしい。
とてもありがたい気持ちと、ちょっと怖い気持ちが入り混じっていたが、わざわざ待ってくれているおじさんを無視してひとり徒歩で帰るわけにもいかず、おじさんの車に戻った。「すいません待っていてくれてありがとうございます!」とお礼を言い、さぁここからウトロへ帰るんだと思い込んでいたぼくは驚愕した。なんとウトロとは逆方向に車が発車したのだ!
・おじさんと見知らぬ道をドライブ
えええええ…!!!ぼくは若干心の中がパニックになり、それでも平静を装い聞いてみた。「あれ、どこに向かってるんですか?」するとおじさんは答えた。「さぁ、どこへ向かっているかわからないね〜。」
ぼくはいよいよ怖くなり、知らないおじさんの車に乗ってしまったことを後悔したが、後の祭り。もうおじさんと運命を共にするしかないのだ。車はどんどんウトロとは逆方向へ突き進んでいく。その車中でぼくはいろいろ考えた。もしかしたらこのおじさんは仕事や社会に疲れ、自殺しようと思って大事な位牌だけを携えてウトロをウロウロしていたけれど、ひとりで死ぬ覚悟と勇気がなく、そこへぼくを見つけたので、一緒に道連れにしようと考えているのではないだろうか、もしかしたらこれから流氷でいっぱいのオホーツク海へ、崖の上から車ごと飛び込むつもりではないだろうかと、最悪中の最悪のパターンを考え出しては、恐怖を耐え忍んでいた。ぼくはこのような見たこともない北海の流氷の海で、自分の命が潰えることなど予想もしていなかったので、その予想が外れてくれることを切に願っていた。
車中でおじさんとはいろいろ話をした。おじさんはとにかく、自然は移り変わるのだということを強調していた。太陽の光も、海の色も、一日として同じ瞬間はなく、そのどの瞬間も尊いものであるから、生きている瞬間を大切にしなければならないという、説法のような内容を繰り返した。そして鹿も、狐も、こんな雪深い自然の中で裸で暮らしている、温かい場所へ逃げ込むのは人間だけだだと、やはり自然の偉大さを強調することも忘れなかった。
またおじさんの息子と娘は東京に在住し仕事をしていることや、おじさんも2年間東京にいたことなどを教えてくれた。「東京っていうのは人間が住むところじゃないね!ゴチャゴチャしていて。やっぱり自然の近くで暮らさないとね!」と、知床の大自然の中でいられることを好いているらしかった。
ぼくたちはどこに向かっているのかよくわからない雪道をどんどんと進んでいき、そして雄大で神々しい知床連山が目の前に大きく聳え立つようなスポットにたどり着いた。どうやら知床連山に近づくような道に来ているらしい。ウトロから見るよりも、はるか大きく、畏怖の念を感じるほどである。おそらく、ウトロから羅臼へと横切る道を突き進んでいるのだろう。しかし、その道は冬は閉ざされているらしく、途中で通行止めになって終わった。その通行止めの道の向こうに、夕焼けに赤く染め上げられた、知床連山の雪山が堂々と目の前に迫っていた。
ぼくは感動し、このようなところへ連れて来てくれたおじさんに感謝した。こんなところは、バスでも来られないところだろう。これでおじさんと共に入水することさえなければ、いい思い出としてぼくの心に刻み込まれるに違いない。おじさんは「山と写真を撮ってあげるよ」と優しく言い、たくさんのぼくと山の写真を撮影してくれた。
赤く赤く染め上げられた知床連山が美しいと感じることを、おじさんに告げると、おじさんはまた、自然はいつも移り変わっている、このような赤い知床連山は今日という日の、今という瞬間にしか現れないことを強調した。
・絶対的ではなく相対的なおじさん
おじさんとの会話はいつもそのような調子だった。
たとえばぼくが具体的な質問をしたとする。「おじちゃんは2年間東京以外はずっと北海道ですか?」するとおじさんは直接それに答えずにこう言うのだ。「すべては移り変わっているからね。人の住むところも変わるんだよ。」
または流氷と夕焼けの組み合わせが美しかったという感想を述べる。するとおじさんは決して肯定や否定をするわけではなく「すべては変わっているから、自然も変わっていくんだ。」という返答の仕方をするのである。
それはまるで禅問答のような、ぼくが具体的な感想や質問をしたとすると、それに対して絶対的な次元での返答をせずに、相対的な世界のとらえ方をぼくに示してくるのだ。たとえばぼくがおじさんに何歳なのですか、とその絶対値を尋ねたとしても、おじさんはきっと、すべては移り変わるから人間の年も変わっていくんだよと答えるだろう。
そしてある意味でそれは真実である。おじさんが何歳だろうが、何の仕事をしていようが、何人家族であろうが、そのような絶対的な事柄は今限りの儚い幻想のようなものであり、そのような絶対値にとらわれるよりも、もっと世界を大きな視点でとらえて、移り変わっていくという相対的な真実だけを握りしめながら生きていけばいいのだという彼なりの哲学だろうか。
普通の人の考えからすれば、彼の返答はややちぐはぐであり、これは彼がぼくにこの世の真理を伝えようとするあまりにそうなっているのか、はたまは彼は自分自身で言っていたように「小卒」だから知識に乏しく、会話がうまく成り立たないのかは定かではなかった。そのような会話を繰り返しては、やっとウトロまでの戻ろうと車を折り返してくれた時、ぼくは耳を疑うような発言を聞いた。
「ぼくの妻も、娘も、息子も、もう死んじゃったんだよ…。」
ぼくは、え?と思った。だってさっき、息子と娘は東京で働いていると言っていたばかりではないか。おじさんとの会話は時折このように時系列で内容が噛み合わなくなる。そしてさらなる衝撃発言はぼくの背筋を凍りつかせた。
「まぁ、ぼくもこの世に生きてはいないんだけどね…」
・この世に生きてはいないおじさん
え?え?え?どういうこと???
ぼくは頭が混乱して返す言葉もなかった。この世にはいないって…まさか、おじさんは幽霊?????
ぼくは霊感もなければ幽霊も見てことがないので、このような経験は初めてだった。しかもここは、知床半島のどこともしれない雪山の奥深く。誰にも助けを求められない。本当にこのおじさんは幽霊なのだろうか。そういえばこの車だっておかしい。位牌が立っていることだってもちろん普通ではないし、なんだか全体的に錆びついて古びてボロボロだし、さらには立派なつららまでできている。もしかして昔々にこの車に乗って死んでしまった幽霊が、まだ成仏できずにこの辺りをさまよっているのだろうか。
おじさんの風貌は、決してきちんとした身なりの立派なおじさんですねとは言いにくい。どちらかというとくたびれたような初老のおじさんといった感じだ。一応、足はあるみたいなので幽霊ではないのだろうか。肉体がきちんとあるのかをチェックするために「なんでですか〜」と突っ込むふりをして、おじさんに触れて見たが、確かに肉体は存在していたので、肉体もあり足もあり、幽霊の可能性は低いだろうか。だとすればあの発言の真意は…。
「ぼくもこの世に生きてはいないんだけどね…」という発言に、ぼくはかろうじて「え、どういう意味ですか?」となるべく笑って聞いてみたが、返事がなかったのでますます怖くなった。この世に生きていないおじさん、なんだってそんな人と、知床半島のどこともしれない道をドライブする運命になってしまったのだろうか。
そしていよいよおじさんは、ウトロまでの帰り道ではない道へと車を進めていった…。
・おじさんの過去
この方角はオホーツク海の方角である。ああ、ついにあの世に引きずり込まれる時が来た。きっとこのおじさんと、流氷の敷き詰められた海に車ごとダイブするに違いない。きっと生前のおじさんはその海で入水し、この世に未練があるか何らかのしがらみで成仏できずに、このように知床半島を訪れた彷徨いの旅人を車に乗せては、あの世へと引きずり込むという幽霊の業を成し遂げているに違いない。ぼくはもはや、この命が終わる覚悟を決めていた。しかしたどり着いた先は、鮭とマスの養殖場だった。
「写真を撮ってあげるよ!」おじさんはやたらと写真を撮ってくれるのだ。ぼくは全然欲しくもない「鮭とマス養殖場」のどでかい看板の前で大人しく何枚も写真を撮られ、そして車はウトロまでの道へと戻っていった。
いったいこれからどうなってしまうのだろう。もう写真はいいから早くウトロへと帰りたい…。おじさんに「娘と息子は東京で働いているんでしょう?」と再確認すると、そうだよとあっさり頷いていた。それならさっきの会話は何だったのだろう。そして彼がこの世に生きていないという発言の真意は…。
しかし妻が亡くなったのは本当らしく、今年で1年になるということだった。この車内の位牌は奥さんのものなのだろうか。それともこのおじさん自分自身のものなのか…。妻は血圧が低すぎて亡くなってしまったと、おじさんは語った。ぼくは医師として、もう少し具体的に聞きたかったので、なんという病気でしたかと尋ねると、おじさんは「病気の名前なんてどうでもいい。そんなことわかったって人間にはどうしようもないんだから。名前とか原因とか、そんなことはどうでもいいんだよ。」と語っていた。ぼくにとってそれは、真実の言葉のように聞こえた。
・おじさんの正体
結局おじさんは親切にもぼくの宿までぼくを送ってくださった。そして自分の太陽と海の写真を送ってやると言って止まず、ぼくはとうとう住所と名前と電話番号をおじさんに渡した。おじさんが幽霊ではなく人間だった暁には、おじさんの写真がぼくの家に送られてくることだろう。
おじさんは最後に自分は天理教徒だと言うことを告げていたが、無事にウトロへと帰りつけたことが嬉しく、そのことについてはあまり深入りしなかった。おじさんが天理教徒であるということと、今日の不思議な体験とが、深く密接に結びついているとは思えなかったからだ。しかし、今日のおじさんの絶対的な観点ではなく、相対的な観点から世界をとらえる考え方は、おじさんの宗教観と関係があるのだろうか。ぼくが天理教で知っていることは、天理市が奈良にあるということと、泥の中からドジョウが生まれてなんたらかんたらということだけである。
はたしてあのおじさんは何者だったのだろうか。ただの写真を撮りまくってくれる親切な初老のおじさんだったのか、それとも写真撮影好きの幽霊だったのか、はたまたぼくに相対的な観点からの世界の見方を示してくれる神の使いだったのか、もはや真実は定かではない。100日間のシベリア鉄道〜ヨーロッパ周遊の旅でも受け取らなかったまったく数奇な運命を、ここ知床半島は運んで来たのだ。
ぼくはまたしても日本の伝統芸能「能」の仕組みを思い出さずにはいられなかった。「能」の物語の中では、何もかもを失くして旅に出る主人公が、幽霊などの異界のものと出会い、そしてその異界のものと別れることにより、少し違った世界へと帰り着くストーリーである。まさに「能」のような出来事が、真に旅をしているものには訪れるのだ。
日本の精神世界が脈々と現代に至るまで引き継いで来た物語の真髄が、本当に人間に降りかかることがあったのだ。それはまさに、ぼくが100日間の異国での旅を終えて、この日本という国へ帰ってきたための、日本の精霊からの贈り物なのかもしれない。
あのおじさんも、もしかして精霊…?