人生初の流氷に感動!知床半島の数々の流氷の絶景と雄大な知床連山の夕焼けに圧倒された

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今日ぼくは、生まれて初めて流氷を見ました。

人生初の流氷に感動!知床半島の数々の流氷の絶景と雄大な知床連山の夕焼けに圧倒された

・流氷はどこにある
・本日の計画
・冬のウトロ港は異世界
・雪に消される獣道
・水色のフレペの滝
・プユニ岬の放つ氷の絵画
・語られる知床連山の演出

・流氷はどこにある

今日は朝目覚めると大雪が降っていた。場所はウトロ温泉の温泉宿。中島みゆきの夜会VOL.20「リトル・トーキョー」を見るためにアムステルダムから日本へ帰ってきたぼくは、その足で羽田空港から女満別空港まで飛んだ。

目的は知床半島で流氷を見るためだ。初夏にさわやかな新緑の大自然を、秋には鮭の遡上の美しい姿を見せつけられたぼくは、すっかり知床半島に魅了され、今度はぜひ冬に流氷を見たいと計画していた。ちょうど中島みゆきの夜会を鑑賞するために帰国する予定だったので、そのまま東京から道東へ移動すれば、流氷を見るのに最もふさわしい季節に知床半島を訪れることができた。

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昨日、ウトロ温泉に来る途中には流氷の船で有名な網走にも立ち寄ったが、短時間だったのでどこで流氷を見られるのかわからずにそのまま立ち去ってしまった。網走からウトロ温泉までのバスは満員だった。今まで夏、秋とこのバスが満員だった景色を見たことがなかったぼくは、冬こそが道東の観光が最も活発になる季節なのだと思い知った。

網走からウトロ温泉までの道のりでは、進行方向左側にオホーツク海を望むことができる。最初にここを訪れた時には、見たことのない色彩の海の姿にすっかり異質なものを感じていたが、今となっては馴染みの海の風景である。シベリア鉄道・ヨーロッパ周遊の旅を終えて、お久しぶりですとオホーツク海に語りかけたくなるような親しみが込み上げる。

このバスの道中でも、左の窓から流氷が見られるのではないかと期待したが、海は白く染まっているものの流氷が転がっているようなゴツゴツしているような感触はなく、しばらく窓の外を眺めていたがそのまま眠りに就いてしまった。ウトロ温泉に着いたのは午後の17時。この時間から動き回る元気もなく、予約していた宿に直接向かった。

明日になれば流氷が見られるのだろうか、ぼくはそうなるように祈りながら眠りに就いた。

 

 

・本日の計画

今日の朝、目覚めて窓の外を眺めると大雪が降っていた。辺り一面真っ白の白銀の世界が広がっていた。しかし、朝ご飯を食べている間にだんだんと雪も降りやみ空が明るくなっている。かと思えばまた雪が降り出したりしてなんだか落ち着かない。今日の天気は、まるで山の天気のように移り変わりが激しいようだ。

とりあえず今日どこへ行くのかを、宿のフロントの方の話を聞きながら考えてみる。冬の知床五湖は夏の7月までと同様に、ガイドをつけることが義務付けられているらしく、その値段は6000円であるという。夏の時期も熊が出るからガイドをつけることが必須であるとされ、その際のガイドの値段も同様の料金だったことが思い出される。

今回は冬なので熊は冬眠しているからガイドはつけなくてもいい仕組みだろうと予想していたが、冬でも有料のガイドを必ずつけなければならないようだ。知床五湖は秋に一度行って、ここでしか見られないような素晴らしい景観に感動したものだが、その時は無料だった。季節によって無料か6000円か変わってしまう知床五湖の料金負担の振れ幅は大きい。

フレペの滝はもちろん無料のようだ。雪靴をレンタルする選択肢も提案されたが、ぼくの靴はマッターホルンの雪まみれの遊歩道を駆け抜けても問題なかったので、おそらくフレペの滝までの遊歩道もこの靴で大丈夫だろう。

冬のウトロ温泉からは、その他の季節のように観光のフェリーは出ていないらしい。その代わりに流氷ウォークなどのアクティビティツアーがあるようだ。料金は3000円程だという。

ぼくは1日後に友人のてらちゃんとウトロ温泉で合流して知床半島を見て回る予定だったので、彼と一緒に何かしらのツアーに参加するかもしれないが、とりあえず今日は無料のフレペの滝を訪れようと考えた。しかし、フレペの滝へ行くための遊歩道が始まる知床自然センターへとバスは、冬は本数が少なくなっているようで、9時半を逃すと今度は12時20分だった。それまでウトロの街中で時間を潰すしかない。

 

・冬のウトロ港は異世界

 

ぼくはお気に入りのウトロ港まで足を運んでみた。するとそこでは驚くべき光景が展開されていた。

ウトロ港までのトンネルを抜けると、なんと目の前には流氷が山積みにされている姿が!ぼくが初めて流氷を見たのは、この山積みの姿としてだった。なんでも「流氷囲い」という方法でお酒を作るための準備であるらしい。お酒を作るそんな方法があることもまったく知らなかったが、世の中にはまだまだ未知なものであふれているなぁと感心してしまう。

しばらくすると消防車がやってきて、この流氷の山積みに水を大量に噴射していた。もうやりたい放題という感じて見ていて面白い。なんでこんなことするのだろうか。水がやがて凍りつくことにより、流氷と流氷の結合を促そうという狙いなのだろうか。流氷同士を結合させることで、お酒を作るのにどのような効果があるのかよくわからないけれど。

 

 

次に驚いたのがは、ウトロ港自体が凍っていたことである。海が凍ることなんてあるのだろうか!ぼくは流氷というものは、海にぷかぷか浮かんでいて、海は液体のままだと思っていたが、海自体も凍っている中に、流氷が所々に埋め込まれているというような風景だった。北国の自然の風景は、もはやそこに住んでいないものからすると予想を逸脱してしまう。そのような予想外のものを見せつけられるという衝撃も、生きていく上での、そして旅の上での楽しみのひとつである。

それにしても、スイスで湖が凍ったり、日本で池が凍ったりしたのは見たことがあるが、海が凍るなんて!海ってゆらゆらいつも揺れているのに、そんなに簡単に凍ってしまうものなのだろうか。

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さらにもはや予想もつかない展開は続く!なんとその海の上を歩いてゆく人々がいるではないか!これがおそらく「流氷ウォーク」と呼ばれるアクティビティの全貌だろう。人々は何かもこもこした服を着ながら、凍りついた海の上をおもむろに歩いて行く。目の前の状況が異世界すぎて、思考がついていない心地がする。

 

 

しばらくすると、彼らは流氷がゴロゴロと転がっている一帯へとたどり着いていた。流氷はウトロ港よりも少し西側にかたまって漂着しているようだ。

「ここまではただ海が凍っていただけですが、ここからが流氷のエリアになります」とガイドさんが人々に説明し、みんな「おー!」と流氷に驚いていたが、ぼくは心の中で、いやいや海が凍っているだけでも十分すごいやろ!とツッコミを入れていた。

 

ウトロ港は海が凍りついた景色がメインで流氷のゴロゴロは少なかったが、ウトロ港の裏側はもうこれでもかと言わんばかりの流氷ゴロゴロ出血大サービスといった感じで、圧巻の風景だった。どこまでもどこまでも、流氷のゴロゴロと凍りついた海の上に降り積もる雪の真っ白な色彩が続いている。まさに人生で初めて見るような光景だ。

ウトロ港に転がっている流氷に直接触れてみる。本当に氷だ!それも分厚く、重く、とてもひとりでは動かせそうもない。ぼくは流氷とは雪の集まりのようなものかと思っていたが、しっかりと凍りついた、微動だにしなさそう、透明な固く不動の氷の塊だった。こんなに大きな氷塊の大群が、海に乗って旅をしてきたとは…。叩くとポンポンポンと鳴って面白い。これは海水が固まってできた氷だろうか。それならば舐めたら塩味がするのだろうか。ちょっと舐めてみたかったが、舌がくっついて離れなくなったら恐ろしいので、やめた。

空は割と青空も広がっているのに、知床連山の一帯は白く霞んでおりまったく姿が見られないのが残念だった。ぼくはこのウトロ港から見る知床連山の雄大な姿が大好きだったのだ。しかしまだウトロにいる日数はあるので、いつかは見られることを期待しよう。

 

・雪に消される獣道

12時20分に間に合うように50分前にはウトロ温泉バスターミナルに到着し時間を潰していた。そして50分も待ったにもかかわらず、なんとぼーっとしているとバスに乗り損なってしまった!なんてマヌケなのだろう、これを逃したらまたずっと待たなければならないのに!絶望していると、ぼくと同じようにバスに乗り損なった人々が2人もいて、それを見たバスの運転手さんが、なんと3人のために臨時のバスを出してくださり知床自然センターまで連れて行ってくださった。なんて優しい運転手さんだろう!このようにマヌケな人々にも臨機応変に手を差し伸べてくれる大らかさが、北海道ならではのよさであるように思う。

知床自然センターへ向かうまでのオホーツク海は、流氷と雪ですっかり覆われて、これぞ見たかった北海道の流氷の風景だという感じがした。しかし、やはりバスからだとなかなか満足のいく写真が撮れず、後から徒歩でこの一帯を散歩しようとぼくは心の中で決心していた。

知床自然センターのバス停を降りて、これまで夏と秋に2回来たことのある慣れた道を進む。道は完全に雪で覆われており、雪の上の足跡を頼りにフレペの滝までの道を進んでいく。しかし、何度も来た道なのに思っていた道とまったく違う経路でフレペの滝へとたどり着いてしまった。いつも辿っている獣道が、雪により隠されてしまっていたために方向感覚が鈍ってしまったのだった。

獣道とは、そこをたくさんの動物や人間が歩いたからこそできた、いわば生命の歩行の歴史を示す財産である。そしてその先人たちの歩行の証を道しるべとして辿ることにより、新しく来た旅人も、道に迷いそうになるさまよい人も、森の中で迷い込むことなく目的地へとたどり着けるのだ。そんな長い月日をかけて完成された歴史さえ、ひとつの冬の白雪によってすべて隠し消され、消滅し、そして人々が行き先に惑ってしまうということは、人生におけるなんらかの示唆を感じずにはいられなかった。

 

・水色のフレペの滝

 

フレペの滝は夏も秋も訪れたが、それぞれに見える自然の色彩や感触がまったく異なっており、四季の移り変わりの激しさとその中に潜む無常の美しさに、心撃たずにはいられなかった。そして今回の冬の訪れも、その例に漏れずに、ぼくに忘れられない光景を見せてくれた。

夏も秋も壮大で神聖な知床連山をここからも望むことができたが、残念ながら今回は白い雲に覆われて見ることができない。明日明後日に見られることを期待しよう。

そして崖の上から眺めるオホーツク海の流氷の景色は、まさに“絶景”と呼ぶにふさわしい広がりを見せていた。どこまでも広がる白い流氷の欠片の間に、これまでは見えなかった海の水面が姿を現している。まさに氷と水の織りなす、ここでしか見られない絶景と言えるだろう。なんだか氷の上を渡っていけば、ぼくの大好きなロシアまでたどり着いてしまいそうだ。シベリア鉄道で触れ合った、素朴で心優しいロシア人たちも、この氷の先の国に住んで生活を営んでいるのだ。

この流氷たちはロシアから流れ着いてくるようだ。ロシアなんて遠くはるかな国だと思っていたが、このようにロシアでできた氷が海に乗って北海道の地まで運ばれてくることを思えば、親近感もわくかもしれない。道東の人々は、海の向こうのロシアを身近なものとしてとらえているのだろうか。ロシアからの美しく不思議な贈り物を、この北の大地で受け取る。世界の森羅万象はつながりあい、すべては影響し合っていることをあらためて感じる。ぼくはロシアのウラジオストクで買った、レトロなお気に入りの双眼鏡で、ロシアからやってきたアザラシはいないかと氷の上をくまなく覗き込んだが、残念ながらいなさそうだった。アザラシって、どこにいるのだろう。

 

息を飲む美しさを見せつけてくれたのは、今回3回目のフレペの滝だ。ぼくはこの真冬ではフレペの滝は凍りついて動かないのではないかと予想していたが、きちんと流れ落ちその悠久の水音を轟かせていた。しかし周囲は凍りついている部分もあり、なんとその氷は淡い水色の色彩を呈していた。なんて美しい色だろう。どうしてフレペの滝の周囲だけ水色なのだろう。合理的な理由をどれだけ探っても虚しい。とにかくフレペの滝が美しい淡い水色の氷をまとっていたことを見られたのが、ぼくにとってとても嬉しかった。フレペの滝はまさにどのような季節も絶景だが、ぼくは冬が最も好きな姿だと感じた。

滝もそうだが、川も凍っていなかった。海や湖や池は極寒の地では凍りつくのに、流れる水の川や滝は寒くても凍りつきにくい性質のようだ。海だって一応動いている水なのに、やはり寄せては返す、その繰り返しでは凍りつかないのには動きが弱いのだろうか、逆に一方的に激しく流れる川や滝は、ちょっとやそっとじゃ凍らないらしい。そんな自然の摂理を教えてくれたのも、この知床この大自然だった。

 

 

・プユニ岬の放つ氷の絵画

14時のバスでウトロまで戻る。冬は知床自然センターからウトロの街へは14時が最終らしいので注意が必要だ。それを逃すと歩いて帰らなくなる。まぁ夏に歩いて帰ったら楽しかったけれど!

 

ウトロに戻ってから、再度ウトロ港へ向かった。なんだか快晴に近くなってきたので知床連山が見えそうな気がしたのだ。しかし、下の部分はかろうじて見えるものの、連山のあたりにだけ雲が留まり、その全貌を見るまでにはまったく至らない。

見えそうで見えない、お願い見せてくれ!というもどかしい心境である。しばらく待ってみたが、どうにもこうにも雲が動かない。こんなに動かない雲があるのだろうか。曇って西から東にたやすく動くと思っていたが、そうでもない雲もあるらしい。

 

 

ぼくは諦めてプユニ岬を目指して歩き出した。

さきほどバスで通ったオホーツク海の風景を、今度は徒歩でじっくりと見て歩く。流氷ウォークを楽しんでいる人々も見える。彼らはいつもモコモコの服を着ており、おそらく海に沈んでも大丈夫な服なのだろう。たくさんの中国人が参加しているようだ。

どんな外国人にも、道東の人々は日本語で押し切っているのが聞いていて面白い。外国人はおそらく、日本はロシアほど英語が通じないという感想を抱いていることだろう。

 

プユニ岬からの流氷の景色は、開けていてどこまでも広がる流氷と雪と、その隙間を縫うように現れる細い海原の風景が壮大だ。“海の隙間”はまるで川のように見え、流氷と海の氷と雪の白は陸地のように見えた。“海の隙間”には鏡のように天が映し出され、神秘的な空間を演出している。

ウトロの街並みと、流氷と、凍りついた海と、川のような水面と、流氷の上を歩く人々と、天の光と、そのすべてが合わさって、独特のここにしかない、不思議で絵画のような世界を描いている。

 

 

・語られる知床連山の演出

ふと目をやると、なんと知床連山が美しく、クリアに見えるではないか!!さっきまで雲に隠されていてまったくその全貌を見せようとしなかったのに、急にその一帯も晴れ渡り、ぼくたちにその神秘的なお姿を見せてくれている。

まるで大自然がぼくたち生命に見せてくれる演出のようだった。朝からはまったく見えず、昼は見えそうで見えず、しかし夕方になって、白雪に染められた山の表面をスクリーンとして、夕日に照らされた赤い知床連山がはっきりと現出したのだ!

いつも運が良く、たまたま簡単に見ることができていた知床連山。これほどまでに神々しさを放ってぼくの目に映るのは、きっとこれが大自然からの贈り物のように感じてしまう、今日一日のパフォーマンス的な流れがあってこそのものだろう。

今日の知床連山の素晴らしさは民宿の夕食時にも人々によって頻繁に語られ、こんなにもすごいのを見られるのは今日だけだろう、自然にしかこのような芸当はできないと、みんな口々に今日の知床連山を賞賛し続けていた。

 

 

 

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