沖縄県の絶海の秘島!ジュゴン伝説の眠る秘境・新城島(パナリ島)への旅

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琉球諸島の中に密かに眠る、現代の秘境へ行って来ました。

沖縄県の絶海の秘島!ジュゴン伝説の眠る秘境・新城島(パナリ島)への旅

・秘境の島のうわさ
・開かれゆく世界/閉ざされた島
・パナリ島は離れの意
・荷台に乗せられて
・竜宮城の風景
・ついにパナリ島へ上陸
・祓いの儀式
・ジュゴンの眠る島

・秘境の島のうわさ

宮古島の病院で働いているときに、上司の先生から興味深い話を聞いた。沖縄の離島には今なお観光客を寄せ付けない秘境の島があるというのだ。

何でも石垣島からの定期便も出ておらず、その島へのフェリーに乗れるのはその島の住民のみで一般の観光客は行くことさえ困難であるそうだ。それならばぼくたちは行けないのかというとそういうわけでもなく、ツアーによってのみ短時間の観光をゆるされているのだという。

さらには島民以外の人間は見ることを禁止されている秘密の祭りまで開催されるのだといい、その際には島を出た地元の人々もこの島に帰ってくるのだそうだ。

その島の名は、新城(あらぐすく)島、通称パナリ島という。

 

・開かれゆく世界/閉ざされた島

ぼくはその話を聞いたときに衝撃を受けた。この時代のこの国に、まだそんな場所が存在していたのかと、いたく感心したのである。上の噂話だけを聞くと、その島はなんとなく保守的な印象を与えるが、ぼくはこのような閉ざされた場所にこそ大きな魅力を感じる。日本史の中でも、鎖国の話には興味をそそられた。

今の世の中、閉じていないこと、開放されていることが一般的になっているように思われる。そして地域同士、国同士の交流も活発化しており、それに伴い、世界が同じ色に染められて行くような錯覚に陥る。

もちろんその地域ごと、国ごとには独自の風土や精神的世界、民族性などが備わっているので、完全に同一化することはありえないが、それでも地域ごとに存在した古来からの言葉が消え、国ごとに受け継がれてきた民族衣装が消えていくことに切なさともどかしさを覚える。

そして、数の多い、中心的な力を持った言語や衣装をやや強制的に押し付けられてしまうのだ。世界が満遍なく同じ色に染まれば、色々と合理的に事が運び効率的ではないかとも思われるが、このような侵襲は、多いものが少ないものを支配する気配、強いものが弱いものを屈服させる雰囲気を、無意識のうちに人間の心の底に植え付けているようでやりきれない。どのような国へ行っても、その国も民族たちが同じようなTシャツを着ているのを見ると、身勝手にもなんとなくさみしい気持ちになる。

世界は、様々な色彩に彩られているからこそ美しいものではなかったか。世界は、異なりを鳴らすからこそ共鳴し合いその重なりが麗しいものでははなかったか。昔むかしの旅人は、旅するごとに移り変わって行く衣装や、街並み、心の色彩に触れながら感銘を受けたことだろう。ぼくたちの時代は同じであること、効率的であることの主義に支配され、それでもなお虐げ、争いながら惑っている。

 

 

・パナリ島は離れの意

”パナリ”とは日本語で”離れ”の意だといい、その名の通り新城島は、上地島と下地島のふたつに分かれている。ほとんどの住民が住んでいるのは上地島の方であり、下地島はほぼ無人だという。

ぼくはこのパナリ島に、是非とも行きたいという気持ちは一応あったものの、行けるやら行けないやら情報が不確かであり、行けるものなら行けたらいいなぁという程度の情熱しか持ち合わせていなかった。

ほんのちょっとだけ調べてみたが、そのパナリ島へのツアーは主に石垣島から出ているという情報があり、今回の旅の主旨は石垣島からフェリーで行ける島々を転々とさまようことであり、石垣島に留まる時間も少ないだろうと予想されたため、行けないのかもしれないという感想をぼんやりと抱いていた。

しかし黒島で、海を挟んで目の前にパナリ島が望まれる様子を見てからというもの、黒島からもパナリ島へと行けるのではないかという思いが募り、ついに民宿の方に行けるのかどうか相談してみた。

すると予想通り、黒島からもパナリ島へ行くことのできる半日のシュノーケリングツアーが出ているとのことであった。値段は4500円!フェリーに乗って行くシュノーケリングツアーというものに参加したことがないので相場はわからないが、まあそんなもんなのであろう。

そんなこんなで早朝からパナリ島シュノーケリングツアーに参加してきた。

 

・荷台に乗せられて

黒島の宿から港までは、荷台に乗って行くことになった。天気は快晴、黒島ののどかな風景に囲まれて、大自然を全身で受け止められるような思いがした。

 

・竜宮城の風景

このツアーに参加したのは、パナリ島へ行くためだったので、パナリ島へ行ければ十分だったのだが、その名の通りシュノーケリングをすることもこのツアーの目的であるため、ついでにシュノーケリングも楽しんだ。

ツアーに同乗した内地からの観光客の方々は皆、日焼けしないようにか、クラゲに刺されないようにか、皮膚のなるべく露出しないきちんとしたシュノーケリングスーツを着用しており「シュノーケリングツアーというものはこのような出で立ちで参加するものなんだなあ」と、後の祭りであることを噛み締めながら水着と半袖Tシャツ一枚で海へと潜っていた。

しかし、ついでのつもりであったこのシュノーケリングの風景が、予想よりもはるかに美しいものであり感動しきりだった。なんといっても海の碧さが極めて美しかった。

差し込む光に照らされて煌めく魚たちの鱗、琉球珊瑚の見たこともない不思議な紅色の姿、そして生きてきた中で最も碧い海…その風景はさながら竜宮城という趣である。島と島の間にある大海の真っ只中のシュノーケリングスポットからの眺めは、やはり陸地付近でシュノーケリングする際のものとはまったく違っており、ツアーにわざわざ参加する意義を認めさせられる思いがした。

 

 

・ついにパナリ島へ上陸

下地島も含めたシュノーケリングスポットは3箇所回った後、ついにパナリ島の上地島へと上陸した。港からの海の色が実に鮮やかで美しく目を奪われた。

 

港で写真を撮っている際には何も言われなかったが、港を出て道にさしかかると、ツアーガイドの方に「私がいいと言うまでは、決して勝手に写真を撮らないでください。」と注意を促された。

このようなことは他の離島では決して言われるようなことはないため、異様な雰囲気が漂っていた。港には厳かな看板も掲げられている。

 

 

特に特徴のない山道を歩いて行くと、御嶽のようなものも見受けられたが、もちろん中へ入ることはできない。しばらくすると、上地島の景色を一望できる展望台へと辿りついた。

ここで写真を撮って、また同じ山道を辿って港へ戻り、上地島での時間は終わりである。ぼくは民家などもある町の見学もできるのかと期待していたが、半日ツアーではそのような時間を割けないのも無理はないかもしれないと思い、諦めた。

 

 

・祓いの儀式

上地島の港から船へと乗り込む時、砂を洗い流しましょうねと言われて、足に冷たい水をかけられた。ぼくはなんとなく、これは儀式的なものなのではないかと思った。もちろん、ただ単に船が汚れないように砂を洗い流しているだけなのかもしれないが、その際に少し民族的な空気が流れたのを感じたような気がしたのだ。

琉球諸島の精神世界は奥深く、魂や、霊や、神様を身近に、そして確かに感じている人が多く、またそのような文化がある。それが日本よりも色濃く、日本と異なっているというよりは、昔の日本の心の姿が今なお残っているのだとでも言おうか。

ある時沖縄の最も神聖な島、久高島について沖縄の友達と話している時に彼は言った。「久高島のものを、石でも、砂でも、なんでも、決して持って帰ってはならない。」と。理由を尋ねると「何か悪いことが起こるからだ」と、あくまでも真剣に語っていたことが印象的だ。

パナリ島も、神聖な島だと他の島から見なされているのであれば、その島の砂でさえ持ち帰ることは、災いを起こすと考えられている可能性もあり、それ故に、足の砂を洗い流したのではないかと、直感的に感じたのだった。もちろん間違っているかもしれず、ただそうふと思ったというだけのことである。

おったまげた!「魂消る(たまげる)」という漢字から考察する沖縄と日本の魂の仕組み

 

・ジュゴンの眠る島

最後に、パナリ島の秘祭について、伝え聞いたことがあったのだが、そのことを直接ここに書くことも憚られる且つ野暮だとも感じられるので、それについて感じ言葉を重ねたものを、下の記事で記載して終わりにしようと思う。

ジュゴンの詩

 

 

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