出雲大社の幸魂と奇魂の啓示!大国主命の神話は他人ではなく自らの直感を信じることの大切さを教えてくれる
・ぼくの「日本海沿いを北上する旅」+「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅
・人生2度目の出雲大社参拝へ行こう!
・出雲大社を参拝して出雲大社への理解を深める
・10月(神有月)には出雲大社に日本中の神々が集まって会議をする
・出雲大社は縁結びの神社?
・出雲大社が大国主命を祀るために建てられた経緯
・出雲大社には「因幡の白兎」に因んだうさぎ像がいっぱいだった
・幸魂奇魂とは何か?出雲大社で印象的だった大国主命と幸魂奇魂の像
・大国主命と幸魂奇魂の神話がぼくたちに教えてくれること
目次
・ぼくの「日本海沿いを北上する旅」+「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅
こんにちは!世界一周+日本一周の旅を続けている水色です。
ぼくは今までの人生で日本海沿いの地域をほとんど旅したことがなかったので、新型コロナウイルス感染拡大の影響で外国にも行けず旅人としてはこのまま日本を深めるしかないという絶好の機会に、日本海沿いを北上する車中泊の旅を決行した!
岡山県、広島県、山口県、佐賀県、長崎県、福岡県、大分県、熊本県、島根県、鳥取県、兵庫県、京都府、福井県、石川県、富山県、新潟県、山形県、秋田県、青森県、フェリーに車ごと乗り込んで北海道函館まで渡り、そのまま北海道の最北の離島、礼文島の澄海岬を「日本海沿いを北上する旅」の最終目的地とした。
そのまま北海道をぐるっと一周し、再びフェリーに乗って青森県へ!青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、長野県、岐阜県、山梨県、静岡県と「太平洋沿いを南下する旅」を完遂した。
結果的にぼくは7月〜11月までの間ほぼ4ヶ月かけて「日本海沿いを北上する旅」+「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅を達成したことになる。この旅ブログ「ミズイロノタビ」では、あまりに感動的で素晴らしすぎた日本一周の旅の一部始終を公開しようと思う。
・人生2度目の出雲大社参拝へ行こう!
「日本海沿いを北上する旅」の途中、ぼくは島根県出雲大社を訪れた。出雲大社へは九州一周・車中泊の旅の帰りにも立ち寄ったことがあったが、とても幻想的で不思議で神秘的な点が気に入り、ぜひまた訪れたいと願っていた。
日本海に沿って旅をすることがテーマの「日本海沿いを北上する旅」の最中に、出雲大社をまた参拝できるというのはとても自然な流れだった。偶然によるものなのか、はたまた神様に導かれたのは、ぼくは人生2度目の出雲大社参拝をすることができた。
・出雲大社を参拝して出雲大社への理解を深める
日本海沿いの地域をほとんど訪れたことがないぼくにとって、出雲大社は何も知らない謎の神社だった。もちろんかなり有名なので名前くらいは聞いたことがあったが、どんな神様を祀っているのか、どんなご利益があるのかなど一切知ることがないまま大人になってしまった。しかし知らないことは全く恥ではない。知らなければただ新しく覚えればいいだけの話だ。旅という積極的で具体的な“行動“を通して、日本の神々についての知識を深めるというのは有意義な経験であり、壮大な旅をする醍醐味であるとも感じられた。
出雲大社のすぐそばにはかなり面白くて興味深い「島根県立古代出雲歴史博物館」があったので、出雲大社に関する歴史や神々について存分に知ることができた。ここは本当に面白くて何時間いても全く飽きない素敵な博物館!
・10月(神有月)には出雲大社に日本中の神々が集まって会議をする
ぼくが出雲大社を訪れる前から辛うじて知っていたのは、出雲大社には日本中の神様は集まるということだった。これは学校で国語や古文を習得していれば自然と身につく知識だろう。旧暦の10月には日本中の神様が留守をして出雲大社へと集まるので、昔の日本では10月のことを「神無月」と呼んでいたという。また出雲だけは日本中の神様が集まってくるので10月のことを「神有月」と呼んでいた。神様は出雲に集まって、縁結びや五穀豊穣など日本の様々な物事について会議をするのだという。
・出雲大社は縁結びの神社?
ぼくが九州一周・車中泊の旅の帰り、人生で初めて出雲大社を訪れて学んだことは、出雲大社は「縁結びの聖地」というイメージが一般的に強いということだった。日本中の神々が出雲大社に集まり、縁結びについて会議を行うとされていることからそのような信仰が広まったのだろう。
しかしぼくは実際に出雲大社を訪れてみて、ここをただ単に“縁結び”などという俗っぽい観念で裁くことはあまりにも浅はかだと感じられた。それほどまでに出雲大社には、独特で複雑な古代神々の神秘性と目に見えない深い歴史の気配を直感させられたのだった。
・出雲大社が大国主命を祀るために建てられた経緯
出雲大社では、大国主命(おおくにぬしのみこと)が祀られているということも学んだ。大国主命は、出雲で少彦名命(すくなひこなのみこと)という海の彼方からやって来た小さな神様と一緒に国造りを行なった。大国主命が作った国は豊葦原の瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)と呼ばれた。
その様子を高天原(たかまがはら)という神様の国から見ていた天照大神(あまてらすおおみかみ)は、豊葦原の瑞穂国は子孫である天神の御子(あまつかみのみこ=神武天皇)が治めるべきだと考え、大国主命へと使者を送った。大国主命は2人の子供に相談したのちに、国を譲ることを決めてこう言った
「私には何の異存もありません。ただ一つの願いは、国を譲る代わりに、私の住居として、高天原の大神の御殿と同じように、大磐石の上に太い柱を立て、大空に千木(ちぎ)が突き出ているような立派な御殿を建てていただきたい。」
このようにして大国主命を祀るため、古代の巨大神殿である出雲大社が出来上がった。古代の巨大神殿である出雲大社の想像ジオラマの展示は、「島根県立古代出雲歴史博物館」で見ることができた。平安時代の書物には、出雲大社は日本で最も高い建物だという言及の記録が残されているという。最も高いのは出雲大社、2番目は奈良の大仏、3番目は京都の大極殿だったのだという。
・出雲大社には「因幡の白兎」に因んだうさぎ像がいっぱいだった
また出雲大社ではたくさんの石でできた可愛いうさぎの像が点在していたことも印象的だった。これは大国主命とうさぎの物語である「因幡の白兎」に因んだものだと思われる。
隠岐の島に住んでいたうさぎはなんとか向こう岸へと渡りたいと思い、サメを騙して海に並べ、その背中を踏みつけながら海を渡っていった。しかしすんでのところで騙していたことがバレてしまい、サメに皮を剥がれてしまった。うさぎは痛みでもがき苦しんでいたところで、そこに大国主命が通りかかった。
「すぐに真水で体を洗い、それから蒲(がま)の花を摘んできて、その上に寝転ぶといい。」と教えてもらい、その通りにするとうさぎは元の体に戻った。うさぎは大国主命の優しさに救われたのだった。
・幸魂奇魂とは何か?出雲大社で印象的だった大国主命と幸魂奇魂の像
また大国主命が波と対峙している像も大迫力で印象的だった。どのような場面を像にしたのか、知識がないので全くわからなかったが、調べてみるとこれは神話における幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)の物語を示したものだと言われている。
日本の神様には2つの側面があると言われる。すなわち荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)だ。荒魂はその名の通り荒々しく災いをもたらす神様の一面で、和魂はその逆に優しく穏やかで人々の生活に恵みをもたらす一面だという。
加えて言えば、この和魂はさらに2つの側面に分かれるのだという。それが幸魂と奇魂だ。幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きである。奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きであり、知識才略、学問、技術を表すという。この荒魂、和魂、幸魂、奇魂の4つは本来同列であるとされ、一霊四魂と呼ばれることもある。
大国主命が少彦名命と一緒に国造りを行なっていたところ、少彦名命は海の彼方の常世の国(とこよのくに)へ帰ってしまった。一人取り残された大国主命は海を見ながら「これからどうやって一人で国造りをすればいいのだろう」と悩んでいた。
するとその時、海を照らしてやって来る神がいた。 その神は「我は汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である。丁重に私を祀れば、国造りに協力しよう」と言った。どう祀るのかと問うと、大和国の東の山の上に祀るよう答えた。この幸魂と奇魂は、現在で言えば奈良県桜井市の三輪山をご身体とする大神神社に鎮座しているという。大国主命は自らの幸魂・奇魂に生かされているという直感と霊性を得て、豊かな国造りを成功させた。
・大国主命と幸魂奇魂の神話がぼくたちに教えてくれること
この神話はぼくたちに何を伝えようとしているのだろうか。神話だからひとつの結論があるということはないだろうが、ぼくの感想では、重要なことは海を照らしてやって来て立派な国造りへと導いてくれたものが、他人や外来の神ではなく、自分自身の中に存在する幸魂と奇魂だったという事実ではないだろうか。
人は困ったり途方に暮れた時、やたらと他人を当てにしたがる傾向がある。大国主命のように、これまでは少彦名命という頼もしい協力者がいたという背景があれば、なおさら彼を失ったことを不安に思い、彼を補うために他者や別の頼りになる神々を探したくなってしまうのも無理はないことだろう。誰かと一緒に協力して物事を成し遂げた方が、様々な有益なアドバイスを聞くことができるし、自分には思いもつかなかったアイデアを提供してくれるかもしれないし、自分の意見だけではなく他人からの意見を聞き入れながら総合的に判断して物事を取り進めていく方が失敗も少なくて済みそうだ。
しかしそのような様々な利益があるにもかかわらず、この物語は、壮大な物事を成し遂げるためには、他人を頼りにするな、やたらと神頼みするな、それよりもむしろ自分の奥底に眠っている自分でも気づかなかった直感の声に耳を澄ませて突き進めと主張しているような気がしてならない。実際に途方に暮れた大国主命を救ったのは、代わりの協力者でもなければ新しくやって来たよその神でもなく、自分自身の中にあった幸魂と奇魂なのだ。
すなわち究極的に自分を救うことができるのは、他人ではなく自らの霊性や直感をおいて他にはないと、この神話はぼくたちに教えてくれているのではないだろうか。幸魂とは運命によって人を幸せへと導く働きを持ち、奇魂はその人独自の才能によって幸福へと導くことを助けるという。ぼくもこのブログでは、信仰するのは神や仏ではなく、自らの感性のみだということを主張してきたが、まさにこの表現は古代神話においては、自らの幸魂と奇魂を信じて突き進むということに他ならないのかもしれない。
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