大都会だけれどあんまり何もない!!!!?
インドネシア第2の都市!スラバヤは何をしたらいいのかわからない都会だった
・インドネシアの第2の都市スラバヤへ
・スラバヤは見るものがあまりなかった大都会
・「スラバヤ通りの妹へ」内の童謡をインドネシア人は知っていた!
・インドネシアの第2の都市スラバヤへ
スラバヤという不思議な街の名前には、なんとなく聞き覚えがある。それは松任谷由実さんの名曲「スラバヤ通りの妹へ」という音楽を知っていたからだろう。
”土埃り 馬車がゆくスラバヤを
思い出せる遠くても RASA SAYANG GEH”
この素敵な歌詞に描かれている通り、スラバヤというのは馬車が走っている古風でアジア的風流な街並みなのかと想像していた。しかし実際に訪れてみたスラバヤは、インドネシア第2の発展した大都会だった!
・スラバヤは見るものがあまりなかった大都会
スラバヤでは1泊しかしなかったので、スラバヤってどんなところなのかなーとちょっと覗いてみたに過ぎない。それにしてもスラバヤとはどのようなところかいまいちよくわからなかった。インターネットで観光名所を調べてみてもパッとしたところがない。調べていくうちに、スラバヤには観光で見るものは何もないよという記事を発見してしまったほどだ。
確かに、ぼくも色々と散策してみたが見るものは何もなかったような気がする。ただただ都会であり、何か歴史を感じさせるものとか文化的に面白そうなものは見つからず、ただ人とビルが多い場所というイメージのままだった。
何も見つからなかったので仕方なくショッピングモールへ入ってタピオカを飲んだくらいでスラバヤ観光は終わりを告げてしまった。けれど以外と面白かったのは、このショッピングモールにおける日本語や日本食の多さだ。吉野家があり、「パン」と書かれていたり、「ようこそ!来てください!」と書かれていたり、なんだかやたらと日本語が多い。日本が悪くは思われていない証拠だろう。
松任谷由実さんの「スラバヤ通りの妹へ」では
”痩せた年寄りは責めるように
わたしと日本に目を背ける”
という歌詞があったので、ちょっと反日的な国家なのかというイメージがあったが、インドネシア全体を通して旅してみて全然そんなことはないという印象だった。それにしても、「スラバヤ通りの妹へ」の中に描かれている”土埃り 馬車がゆくスラバヤ”なんて一体どこにあるのだろうか。それはもはや昔むかしのスラバヤの姿だろうか。1981年の曲だから昔の風景を歌っていても仕方あるまい。土埃り馬車がゆくスラバヤだったのに大都会に変わったということなのだろうか。
けれどよく聞いてみるとこの歌詞はどこかおかしい。「スラバヤ通り」とはインドネシアのジャカルタにあるレトロな骨董品店の並ぶ通りのことだ。ジャカルタの「スラバヤ通り」を旅している歌なのに、この歌の主人公はどうしてスラバヤの街を思い出すのだろうか。この歌は実際にはジャカルタの歌で、スラバヤの歌ではないのだった。
・「スラバヤ通りの妹へ」内の童謡をインドネシア人は知っていた!
ぼくがスラバヤに来てよかったなと思ったのは宿でインドネシア人と友達になったことだ。彼はジャカルタ出身の男性だったが、ぼくはインドネシア人と友達になったら是非聞きたいことがあったのだ!それは松任谷由実さんの名曲「スラバヤ通りの妹へ」の中に出てくる少女が口ずさんでいるインドネシアの童謡”RASA SAYANG GEH”という歌詞の歌を、本当にインドネシア人が知っているのか興味があったのだ!そして実際に聞いてみると、彼は”RASA SAYANG GEH”を知っていた!
らっさーさーやんげー!松任谷由実「スラバヤ通りの妹へ」内の歌「Rasa Sayang」がインドネシア人に通じて感動した話
これをまさにスラバヤで知ることができたのには、意味があるのだろうと感じた。