この旅最悪の日!バイクで転倒しガソリンが切れサンダルを失くし挙げ句の果てに修理代を要求されたラオス・ヴァンヴィエンの思い出

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マジで笑っちゃうくらい最悪の日!!!!!

この旅最悪の日!バイクで転倒しガソリンが切れサンダルを失くし挙げ句の果てに修理代を要求されたラオス・ヴァンヴィエンの思い出

・オンボロバイクでブルーラグーン3へ向かおう
・まじで危ない!ラオスの泥だらけの悪路でバイクごと転倒!
・ブルーラグーンでは必死に泥を取り払った
・ありえない事態!バイクのガソリンが切れてラオスの山道で止まる
・最悪の事態!夜道でバイクの電気がつかない!
・最後の最後に高額のバイクの修理代を要求される!
・財布の中身0円で泥だらけでビーチサンダル片方しか履かずにホテルへ帰った

・オンボロバイクでブルーラグーン3へ向かおう

ぼくの旅の中で最悪の日は、ラオスのヴァンヴィエンで起こった。この日は快晴、とても悪いことなんて起こりそうもない日。ぼくはバスの中で出会った日本人のヒデさんとブルーラグーンという自然の中のプールのような場所に行こうとしていた。ブルーラグーンは1〜5まであるようだが、ぼくたちは相談して3を目指すことにした。

市内からブルーラグーンまではかなり距離があるので、ぼくたちはバイクをレンタルすることにした。ヴァンヴィエンの前の街・ルアンパバーンでもバイクを借りてクアンシーの滝まで一緒に訪れたので、容量は心得ているはずだった。

ぼくたちはヴァンヴィエンの中のレンタルバイク屋さんを訪れ、バイクを借りたいと申し入れた。するとマニュアルならばいいのがあるが、オートマだとボロボロのしかないという。ヒデさんはマニュアルに乗れるので綺麗なマニュアルを借りて、ぼくはマニュアルに乗れないのでボロボロのオートマの小さなバイクを借りた。デポジットのためにパスポートをバイク屋さんに預けた。

このバイク、見るからに嫌だなぁと感じるようなオンボロバイクだった。まず鏡が付いていない時点でやばさを感じる。こんなバイクで無事ブルーラグーンへたどり着けるのだろうか。ガソリンがどちらのバイクも0だったのでぼくたちはそれぞれ同じ料金のガソリンを入れていざブルーラグーンに出発した。

ぼくのバイクだけヒデさんのバイクに比べてかなりガソリンの消費が激しかったが、二人で同じ量入れたのだからメーターが壊れているのだろうと話し合いながらブルーラグーン3までの道程を走った。

 

 

・まじで危ない!ラオスの泥だらけの悪路でバイクごと転倒!

ヴァンヴィエン市内からしばらくはアスファルトの道だったが、いつからか舗装されていない山道になってしまった。ラオスの道が悪路の多いことは先日の記事でも紹介した通りである。

ラオスの道路はマジでヤバイ!人々が素朴で親切で善良なラオスだが道は舗装されていなくて最悪だった

オンボロバイクは山道でかなり揺れる。それでもなんとかガタガタ言わせながらもブルーラグーン3に向かっていると、直前に泥だからのぬかるみのような道が出現した。ぬかるみは道全体に広がり、泥の上を走らなければブルーラグーンにはたどり着けない。今日も昨日もずっと晴れだったのにこんなぬかるみができているなんて、ラオスの道はよほど水はけが悪いのだろう。

ぼくは泥の上をバイクで走ったことがなかったので、その恐ろしさに気づかずに、別に大丈夫だろうと思いそのまま泥の上を余裕で駆け抜けようとすると、バイクのコントロールが全く効かなくなり、見事に泥の中に転倒してしまった!肘も膝も怪我して、しかも肩にかけていた大切なPEN-Fのカメラが泥まみれになってもはやその外見がどうなっているのかわからないほどだった!

ありがたいことにヒデさんが助けてくれてなんとか起き上がり、もうすぐブルーラグーン3なのでそこで泥を洗い流せばいいと思い、なんとかブルーラグーン3まで頑張ってバイクを走らせた。泥から抜け出そうとしたときにサンダルが泥の中にハマり、タイ・プーケットのぼくの人生市場最高だったCOMO Point Yamu Phuketでもらった可愛いビーチサンダルの片方が破損してしまった。けれどもはやビーチサンダルになど構ってられない状況なので先を急いだ。

ぼくが転倒したぬかるみからも何個か泥の水たまりが存在し、2回も転んでたまるかと今度はかなり慎重に泥の道をバイクで進みなんとか転倒せずに済んだ。

 

・ブルーラグーンでは必死に泥を取り払った

ブルーラグーン3になんとか到着したものの、気分はブルーラグーンどころではなかった!とにかくこの身体中の泥とカメラとカバンについた泥も洗い落とさなければ!ここでもありがたいことにヒデさんがハンカチを貸してくれたりして随分と助けられた。カメラについた泥をなんとか水をつけたハンカチで拭き落とすと、なんとカメラの底部が破損しているようでパカパカしていた。しかし電源は入り機能は問題なかったので大丈夫だとこの時は思っていた。

しかし後から気づいたのは、カメラの底部の部品の位置が完全にズレており、なんとカメラの電池が入っているスペースが開けられない状態になっていた!無理矢理に何度頑張ってみてもバッテリースペースが開かないので、もはや電池が交換不能な状態となってしまった。このままだと旅を続けていても、今入っているバッテリーの充電が切れてしまうとこのカメラを使えなくなってしまう。修理したいがここはラオスの田舎、修理できるお店は皆無で完全に詰んだ。この先の予定的に、中国の大都会昆明で修理に出すしかなかった。

ブルーラグーンで可能な限りの泥を洗い流し、気分直しにブルーラグーンで泳いで遊んで、泥道が危なすぎ流ので暗くならないうちに帰ろうということになった。この時点でぼくのオンボロバイクのガソリンは切れかかっていたのだが、ヒデさんのバイクはまだまだガソリンが余っており、同じ量いれたのだから大丈夫だろうメーターが壊れてるんだよとまたしても話しながら帰路を急いだ。

 

・ありえない事態!バイクのガソリンが切れてラオスの山道で止まる

しかし信じられないことにぼくのオンボロバイクのメーターは正確だったらしく、ぼくは人生で初めてガス欠というのを経験した!ラオス・ヴァンヴィエンの山道でバイクが止まってしまったのだ!しかもヒデさんが前に走っていたので、ぼくが止まったことに気づかずに行ってしまった。

がーーーーーん。人生終了のお知らせが脳内に流れていた。

さらに信じられないことには、壊れたビーチサンダルの片方をバイクの上に乗せていた乗せていたはずがどこからに落としてしまったらしく、ぼくは全身泥だらけで壊れたカメラを身につけさらにはサンダルを片方しか履いていないというとんでもない出で立ちの人間になっていた。

しばらくしてありがたいことにヒデさんが戻ってきてくれ、さらにさらにありがたいことにバイクで近くの売店までガソリンを買いに行ってくれた。ぼくはビーチサンダルを片方だけ履いた泥だらけの無力な日本人となり、もはやヒデさんを待つことしかできなかった。しばらくしてヒデさんがガソリンを持って帰ってきてくれたので、そのまま帰路を走り続けた。

 

・最悪の事態!夜道でバイクの電気がつかない!

あたりはだんだんと暗くなり、バイクのライトをつけなければならないほどとなった。ぼくは自分のオンボロバイクのライトの電源をつけようとしたが、どう頑張っても何をしても電気はつかなかった。どうしようもないので電気がつかないままで暗黒のラオスの夜道を行く。前のヒデさんのバイクの明かりだけが頼りだ。

マジで危ない!!!!!ミラーがないだけでもかなり危険だと思っていたのに、さらに電気のつかないバイクをよこすなんて何を考えているんだと、ぼくはバイク屋さんへの怒りが徐々にこみ上げてきた。それくらいにガタガタで舗装されていないラオスの夜道をバイクで走ることは怖かった。

 

 

・最後の最後に高額のバイクの修理代を要求される!

やっとの思いでヴァンヴィエン市内に到着し、泥だらけのバイクをバイク屋さんに返そうとすると、バイクの前の部分が小さく割れているので5000円ほど払えと修理代を要求してきた。泥道で謝って転倒したのはぼくなのでもちろん修理代は払うが、もともとミラーもついていないくらいにオンボロなのにこの小さな傷を直したいために5000円ものお金を取られるなんて納得がいかなかった。5000円といえばラオスではかなりの大金だからだ。

本当にこんな小さな傷ですら直したいというバイク貸しとしての心意気があるんだったら、そもそも最初からミラーをつけたり電気を直したりして安全に乗れるように整備しておいてくれよという話である。このバイクを大切に使って修理したいという気持ちなんて端からないから、電気もつかないようなひどい状態でぼくに貸し出されたのではないか。本当にこの小さな傷を修理なんてするのだろうか。ぼくはカンボジアでもベトナムでもバイクを借りたが、ミラーも電気もないようなひどいバイクが貸し出されたことはない。電気をつけずにラオスの夜道を走ることは命の危険を感じるほどに恐怖だった。そのことも考慮して欲しいと英語で訴えた。

結局ぼくの財布の中にあったお金を全部差し出して、これがぼくの持っている全てのお金だということで話はまとまり、デポジットのパスポートを無事に返してもらえた。多分財布の中身は2700円くらいだったと思うが、5000円もとられなくて本当によかった。ぼくはこれから、ビーチサンダルも買わなければならないのだ。

 

 

・財布の中身0円で泥だらけでビーチサンダル片方しか履かずにホテルへ帰った

ぼくは泥だらけで片方のビーチサンダルしか履かないまま、バイクレンタル屋さんからホテルまでヴァンヴィエンの街中を歩いて帰った。これほどまでに惨めな気持ちになったことは人生で一度もない。しかも財布の中には、本当に大げさではなく1円も入っていないのだ。けれどもしもヒデさんがいなければもっと大変な目に遭っていただろう。本当に頼りになるヒデさんがいてよかったと、感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

 

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