普通に豪華客船でした!!!!!
料金20€で豪華客船!ヘルシンキ・タリン間フェリーのオンライン予約方法と実際の航海体験記
・人生の船旅の思い出
・オンラインでのフェリー予約方法とフェリーの乗り方
・豪華なフェリーの内装とオーストラリア人との交流
・人生の船旅の思い出
シベリア鉄道の約1ヶ月のロシアの旅を終えて、ぼくは陸路でフィンランドに入った。
フィンランドではロヴァニエミ→タンペレ→ヘルシンキと南下のし、最終的にはヘルシンキからフェリーでエストニアの首都・タリンへと移動し、そこからラトビア、リトアニアとバルト三国の旅をしようと計画していた。
この旅でははじめての船旅である。そして最終的には、このシベリア鉄道・ヨーロッパ周遊100日間の旅で唯一の船旅となった。
沖縄に住んでいたこともあり船旅をする機会は多く、自分の中では慣れているという印象がある。異国での船旅で最も思い出深いのは、スペインのアルヘシラスからモロッコのタンジェまで渡ったジブラルタル海峡の船旅である。
はじめてのアフリカ大陸に行くというだけでも刺激的だったのに、ヨーロッパから船に乗ってアフリカ大陸に渡るなんて、冒険みたいでワクワクしたのを覚えている。そして、スペインでの思い出もモロッコでの思い出も素敵なものとしてぼくの胸に刻まれている。
最近ではインドネシア横断の際に、バリ島からジャワ島への移動で短時間だがフェリーを使った。バリ島からジャワ島というのは近く、バリ島の港からはジャワ等が海の向こうにすぐそこに見えるので、あまり冒険感はなかったが、初インドネシアの自分としては、素敵だったバリ島から未知なるジャワ等へと移動するというだけで胸が高鳴った。
今回はどのような船旅が待っているのだろうか。
・オンラインでのフェリー予約方法とフェリーの乗り方
ヘルシンキからタリンまでのフェリーの予約に便利なサイトを、ヘルシンキの宿のホストに教えてもらった。
このサイトを使えば、すべてのフェリー会社から検索して最も安いフェリーや都合のいい時間のフェリーを直接予約することができる。ぼくが教えてもらったのは英語のホームページだったが、日本語版もあったので上に掲載しておく。完全に日本語なので、日本語が教えてくれる通りに進んでいけば、簡単にチケットが取れるだろう。
ぼくはこのサイトを使って、20ユーロほどでヘルシンキからタリンへのチケットを取ることができた。ロシアからフィンランドにやってくると、フィンランドの物価が泣くほど高いように感じていたので、たった20ユーロでエストニアに行けることが妙に嬉しかった。バルト三国はヨーロッパの中でも物価が安く旅しやすい国々として知られており、フェリー購入の時点でバルト三国への期待が否応なしに高まってくる。
予約すると、フェリー会社からメールが送られてくる。
このRefference numberというものが、フェリー港でチケットを手に入れるために重要である。港の住所や名前はメールにきちんと知らされている。別のヘルシンキの港と間違わないように、グーグルマップなどであらかじめチェックしておくことをおすすめする。
港に着くとこのRefference numberをフェリー会社の発券機に入力すると、簡単にチケットを入手することができる。港には複数のフェリー会社の発見機が並んでおり、ぼくの場合はメールに書かれているように「ECKEROLINE」という会社だったので、この名前の書かれた券売機をさがす。
チケットを手に入れたら、それを携えてフェリーに乗り込む。フェリーへの入り口はひとつしかないので、人の流れに従っていけば簡単にたどり着くことができる。ぼくも迷うことなくフェリーに乗り込むことができた。
・豪華なフェリーの内装とオーストラリア人との交流
このヘルシンキからタリンまでのフェリー、想像の10倍くらい綺麗で豪華だった!スペインからモロッコへ渡ったフェリーも、インドネシアでバリ島からジャワ島へ渡ったフェリーも発展途上国といった感じの、お世辞にも綺麗ですねとは言い難い船だったので、異国の船に期待するという気持ちをさらさら持っていなかった。
しかしさすがフィンランドさんから出るフェリー!なんと中にはスーパーマーケットもあり、お洒落なバーではビンゴが繰り広げられているし、バンド用の大きな舞台はあるしで驚愕しきりだった。これならば思ったよりも快適に船旅の時間を過ごすことができそうだ。
ぼくは宿のオーストラリア人の女の子がたまたま同じ船に乗るということで、彼女と一緒にフェリーに乗り込んだ。たかだか2時間の船旅なので、わざわざバーで高い飲み物を買うまでもないと思い、バーではない無料で座れる椅子を探していたが、無料で座れる椅子は意外に少なく、屋外にしかなかったので最初は屋外に座っていた。
しかし、船が港を出発するとだんだんと冷え込んできて、しかも周囲にタバコを吸う人があふれていた。ぼくも彼女もタバコが嫌いだったので、仕方なく中へ入り、バーの席を確保して飲み物を注文した。こちらの方が屋外よりもはるかに快適で、ちょっと飲み物代はかかるけれども、船の中の綺麗なバーで過ごした方がよい思い出を作ることができるだろう。
オーストラリア人の彼女と話をしていると、2時間はあっという間に過ぎてしまった。ぼくはこの旅でたくさんのオーストラリア人と会話してきたが、その結果として、オーストラリア人の英語はとても聞き取るのが難しいと感じた。何がイギリス人やアメリカ人と違うのか、はっきりとはわからないが、なにかオーストラリア的ななまりがあるのだろうか。とにかくすべてのオーストラリア人の英語は聞き取りにくくて難渋した。これも慣れなのだろうか。オーストラリア人の友達を作って長時間会話して慣れるしかないだろうか。
それでもなんとか頑張って聞き取りながら、彼女にオーストラリアの歴史について教えてもらったりした。オーストラリアは昔イギリスから囚人が送られてきて彼らが開拓してできた国であり、殆どの人は囚人の子孫であるのだと説明された。そのことはあまりいい事実ではないので教科書でも教えられないがみんな知っているということも語っていた。
また彼女は日本の柴犬が好きだと言い、とても可愛くて大好きと言っていた。英語でも柴犬は”Shiba dog”というらしく、それが面白かった。そんな話をしてからタリンに到着し、港からタリン街の中心へと歩いていくと、目の前から柴犬が歩いてきたのでふたりで爆笑した。エストニアにも柴犬がいるなんて、ぼくは思いもしなかった。