沖縄離島の民宿のシステム

 

こちらの記事でも書いたが、沖縄の離島の民宿のシステムは、ぼくが体験したその他の日本国内の宿やホテルと比べて変わっていることが多いので、どのような違いがあるのかご紹介しようと思う。

 

沖縄離島の民宿のシステム

・電話で予約する
・料金はだいたい5000円くらい
・クーラーや自転車は料金制も
・ご飯2食付きがおすすめ!
・ゆんたくしながら食事する

・電話で予約する

これは、黒島の民宿を予約するのを前日の夜まで忘れていて困ったという記事でもご紹介したが、沖縄離島の民宿はスマホのアプリに登録されていないところが非常に多く、したがって通常の旅行の際に予約を取るときのようにBooking.comやExpediaじゃらんなどのアプリはあまり使えない傾向にあると思う。そこで、昭和的な、電話で宿を予約するという作業が必要となってくるのだ。

沖縄離島の宿の予約方法について簡単にまとめてみました。

余談ではあるが、ぼくが黒島の民宿で出会った女子大生は、沖縄の離島の宿それらのアプリに宿が登録されていないので、沖縄の離島には宿が存在しないのだと思っていた。アプリに出てこない=そこには宿が存在しないという公式が脳内で導き出されるとは、時代の移り変わりを感じずにはいられなかった(しかしいくらなんでもこれは彼女だけに限られる話である可能性も高いが)。彼女は沖縄の離島旅行がしたかったのだが、黒島のその宿しかアプリの検索に出てこなかったので、離島には黒島にしか宿がないのだと思い込み、離島周遊を黒島を拠点として行うことを決意し、黒島に長期の予約を入れていたのだった。この周辺の離島周遊旅行をしたことがある方ならばお気づきだと思うが、黒島を拠点に離島周遊をするというのは非常に効率が悪い。すべてのフェリーは石垣の港を中心に運行しているからだ。したがって彼女は黒島から石垣に戻り、その他の離島へと行くしかないため、時間もお金も余分にかかることになってしまう。今度は石垣を拠点にした方がいいかもねーと、押し付けがましくない程度に軽く助言することを忘れなかった。

 

・料金はだいたい5000円くらい

ぼくが今まで泊まった宿をふり返っても、すべての宿が2食付きで5000円〜5500円に収まっていた。どの島のどの民宿でもこの範囲内だったので、沖縄離島の民宿はこの辺りが相場と決まっているのだろう。素泊まりだともう少し安くなるようだが、次の章でも書くように、ぼくは猛烈に食事付きで宿泊することをおすすめしたい。離島では食事できるような店が十分にない場合も多く、あっても居酒屋のようなものがほとんどなので、十分に満足のいく島ならではの家庭料理をお腹いっぱい食べたいのなら断然民宿の料理を推奨する。

ちなみに宿泊料金に関しては、ぼくが仕事で与那国島に一ヶ月滞在することになった場合だと、女将さんのご好意で割引してくださったこともあったので、長期滞在する際にはそれとなくdiscount可能かどうか聞いてみるのも手かもしれない。

また、ぼくは波照間島に3泊したのだが、最後の日の夜には、家族の都合で夜ご飯が用意できないから近くの居酒屋で食事をとってくれと頼まれたこともあった。もちろん食事の料金は支払われており、オーダーもあらかじめ決まっていたようで、居酒屋で自動的に出てくるご飯を食べるという仕組みになっていた。家族経営だとこのようなイレギュラーなことも起こり得るようで、この適当さがまた離島旅行の楽しい思い出という感じがする。

 

 

・クーラーや自転車は料金制も

上の料金にプラスして、クーラー代や自転車料金がかかる場合もあるが、これは完全にその民宿によるので、事前に確認してみるのもよかろう。

クーラー代がかかるところだと相場は1時間に100円であった。民宿の宿泊者はやはり沖縄以外の場所から来た人が多く、沖縄の暑さには耐えられないといったような感じで、惜しみなくお金を払ってクーラーをつけることで安眠を確保していた。一方で宮古島から来たぼくは、クーラーをつけるのが非常に嫌いなので、それまで沖縄で一年中扇風機のみで暮らしていたこともあり、窓を開けて風を通し扇風機を稼働させるだけで十分な睡眠を得られていた。沖縄で長年暮らして獲得した体質で、お金を少しばかり得したなあと感じた出来事であった(ちなみにちょっとばかり得したなあという経験は、大きなお金を得したなあという場合よりもなぜか余計嬉しい)。

自転車は、黒島の民宿のように無料で気前よく貸し出してくれるところもあれば、波照間島のように1日1000円取るところもあった。無料の民宿に先に泊まってしまうと、無料ではない事実に対して損をしてしまったような気分になってしまうこともあるが、波照間島のようにある程度の大きさがあり、自転車でまわるのが確実に島での滞在を豊かにするものであると考えられるならば、惜しみなく自転車代を支払うこともできよう。

 

・ご飯2食付きがおすすめ!

民宿での楽しみは、何と言ってもご飯であるように思う。

ほんとうに民宿のご飯はおいしいのだ!
島の素材を活かした豊富な種類かつ十分な量の食事は、離島旅行の思い出として久しく心に刻まれている。特に離島旅行だと、一日中島の中を動き回って、自転車で走ったり、歩いたり、泳いだりするので、それゆえにおいしく感じるというのも大いにあるような気がする。ぼくが海で泳ぐのが好きな理由は、よく食べられ、よく眠れるようになるからだ。現代の人間は多くのことを望みそれを取りこぼせば幸福を得られないように思い込まされているが、ぼくから思えばよく食べられ、よく眠ることができれば幸福である。きっと遠い昔の野生生活を営んできた人間の先祖たちも、このようによく動き、よく食べ、よく眠り、本質的に幸福な日々を送っていたのだろうと、海で泳ぐ度に思うのである。波照間島の民宿では、宿のおじいが漁師であり、毎日新鮮なカツオの刺身を夕食前から食べさせてくださったこともあった。とても贅沢な時間と味わいを享受させていただいたように思う。

以下は、地味にスマホの中に溜め込んだ、ぼくの民宿のご飯の写真集である。


↑黒島のごはん


↑黒島のごはん


↑波照間のごはん


↑波照間のごはん


↑鳩間島のごはん

めっちゃおいしそうじゃない?(今インドネシアのジャワ島にいるので余計にものすごくおいしそうに見えてきた)

 

・ゆんたくしながら食事する

波照間島の記事でも紹介したが、もっとも面白い離島の民宿のシステムは、このゆんたく(おしゃべり)であるように思う。食事を個別にではなく、宿泊者全員で居間のような場所でおしゃべりしながら食べるのだ。このゆんたくのシステムにより、沖縄の離島旅行は、他のどの地域とも異なる、独特な楽しい思い出を心の中に残せるのではないかと思う。

波照間島の記事はこちらです。

鳩間島の記事でも書いたが、老若男女、さまざまな種類の人々と話せるのがまず楽しい。普段の日常生活ならば、同じような種類の、同じような人間と話す機会が必然的に増えていってしまうのが、社会生活を営む上での人間の運命であるように感じるが、普段接することもないような人々、普段話すようなきっかけもない人々と、不思議な縁でひとつの小さな離島の、ひとつの小さな民宿で出会い、そして語らい合うことができるのは、本当に貴重な心の財産になるように思う。

鳩間島の記事はこちらです。

また、普段ならば気が合わなそうで、友達になりそうもない人々と会話してみるのも、とても面白いものである。第一印象で、大して関わりもしないうちから直感的に「あ、この人なんだかいやだな」とか「この人あんまり合わないかも…」と距離を置いてしまうということは、生きている中で起こりがちな出来事であるが、ぼくの経験上、このような直感はあまり意味をなさないことが多い。ぼくも昔はこの直感には、本能的もしくは野生的な深い意味があるのではないかと勝手に解釈し、大いに尊重していたが、このように感じた人々となぜかいちばん仲良くなったりするということも多く経験したので、今ではあまりこの直感に惑わされないようにしている。悪い部分だけの人間なんてこの世にはまずいないのであるから、その人のよい部分を見つめつつまずは接してみることをおすすめしたい。さすれば思いがけない人間関係の道が開けることもあるのだ。

(時々人間の中には、よい部分悪い部分どちらも必ずある人間の中で、悪い部分ばかりに焦点を当てて、悪口ばかりをのたまっている種類の人間が存在するが、そのような者たちは元来その人を嫌いたくて、その人を嫌うために多くの悪い部分を努力して収集しているに過ぎず、そのような程度の低いことに努力を惜しまない人間には無駄に関わり合わないのが賢明である。しかし、そのような種類の人間のよい部分さえも見つけて、全人的にその人を見られれば生きることはさらに豊かになるだろう。)

 

様々な人々と触れ合い、語り合うことで、自分自身が狭い世界から抜け出し拡張され、数多の次元と連結されるような感覚を覚える。また、今後も、狭窄した範囲内で生きていくことをせず、より広く多くの次元の中で人生を歩むように努めようとする思いが芽生え、今後の生きていく道への示唆にもつながってゆく。それを財産と言わずになんと言おうか。

ゆんたくの後は、いつもみんなで星を見に行く流れになった。ひとりで夜中に民宿を抜け出し、天の川を見に行ったりもした。

静寂な世界の中で、星だけがただ輝いていた。じっと星だけを見つめ続けていると、思いがけないことが起こるのに気がついた。まず、星がキラキラと鼓動を打つように、もしくは呼吸するかのように煌めき、瞬いているように見える。その次に星が夜空の中を、移動しているように見えてくるのだ。これはぼくだけなのか、他の人にもそう見えるようになるのかはわからない。ぼくはそれに気がついたけれど、誰にも言わなかった。星はまるで生き物みたいだと、ひとり密かに思っていた。
本当に、生き物なのかもしれない。星は命を与えられているのだと、夜空がぼくに、伝えてくれているのかもしれない。そのうちに、別物だと思っていた、星と、人間の自分が、命を持つということで、銀河のもと、つながっていた。ぼくは星になるし、星はぼくになるし、同じように、瞬くように死に、瞬くように生きるということを考えた。

 

 

 

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