崩壊の美学!カンボジアシェムリアップからベンメリア遺跡とコーケー遺跡へ日帰り小旅行

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香港人と台湾人と日帰り小旅行!

崩壊の美学!カンボジアシェムリアップからベンメリア遺跡とコーケー遺跡へ日帰り小旅行

・ベンメリアには行かないつもりだった
・人付き合いはぼくたちの経済を回す
・密林の中の巨大ピラミッド!コーケー遺跡
・ベンメリア遺跡の崩壊の祈り

・ベンメリアには行かないつもりだった

シェムリアップから日帰りで小旅行するといえば、まるでラピュタに世界観が似ているというベンメリア遺跡が有名だ。石が崩壊している感じがラピュタの崩壊のシーンと重なるらしい。ぼくも最初は行きたいと思っていたが、アンコールワットをゆっくり3日間かけて回ってみて感じたことは「アンコールワットも結構崩壊してるやん!」ということだった。全てではないがアンコールワット内の寺院も、たくさんの寺院で石が崩壊して積み上げられている風景を見ることができたしいっぱい写真に撮ることもできた。

崩壊感を感じるためにベンメリア遺跡に行こうと思っていたが、もはや十分アンコールワットで3日間かけて崩壊感を味わったので、no more崩壊感でいいかなと思い始めたのだった。

 

 

・人付き合いはぼくたちの経済を回す

しかし宿で友達になった香港人と台湾人が、一緒にベンメリア遺跡に行こうと誘ってくれたのでそれならば行こうと参加した。つくづく思うのは、人付き合いというのは人間に消費させる圧倒的な力を持っているということだ。ぼく一人だけなら絶対に行かなかったであろうベンメリア遺跡に、友達に誘われたらホイホイ行こうという気になってしまうなんて、本当に人付き合いというのは経済を回すパワーを持っていると実感させられる。

孤独と健康は最大の節約!節約のためにはお金のことだけ考えていればいいというのは本当か?

ともかくみんなで行ったらどこでも楽しいだろうということで、ぼくはシェムリアップからベンメリア遺跡と、もうひとつピラミッドのようなコーケー遺跡をめぐる日帰りツアーに参加することになった。

 

 

・密林の中の巨大ピラミッド!コーケー遺跡

 

参加者はぼくと香港人1人と台湾人3人の合計5人!たくさん人が集まればその分1人あたりの値段が安くなるのでお得だった。早朝に出発し、まずはコーケー遺跡へ!

 

 

密林の中にひっそり潜むピラミッドのようなコーケー遺跡だが、実は10数年間だけ都だったこともあるそう!そのあとはすぐアンコールに都が戻されたまま取り残されていたので、幻の遺跡とも呼ばれているという。しかしピラミッドのような遺跡は全然崩壊せずにその姿を留めており、ジャングルの中の秘密の遺跡を訪れたような神秘感と迫力があった。

 

ピラミッドの上から眺めるジャングルの広さに圧倒される!本当にこのピラミットは、密林の中にポツンとあるんだなぁ。

 

 

・ベンメリア遺跡の崩壊の祈り

 

お昼ご飯を食べた後は、ついに有名なベンメリア遺跡へ!

 

 

感想から言うと、来てよかった!!!アンコールワットで崩壊感はもはや満たされたと思っていたが、アンコールワットと全然違った!!!アンコールワットにはない、静寂と神秘的な空気がここには確かにあり、ベンメリア遺跡の方がはるかに崩壊の世界観に心から入り込め、また心安らいだ。

 

 

崩壊具合もベンメリアの方がはるかに美しいように思う。まさに絵に描いたような理想的な「崩壊」だった。それは人の力や戦争によって無理矢理に倒されたわけではなく、時の流れと共にゆっくりと自然に崩壊したという、ある種の安らぎがベンメリア遺跡の崩壊には込められていた。

 

 

自然と崩れ去ったものって、極めて美しくないだろうか。ぼくたちは未来がどうなるかわからずに恐ろしくて怖いので、今の状態が変わらないでいてほしいと知らず知らずのうちに祈ってしまうことがよくある。今の状態が自分の生命にとって最善であるとは限らないのに、そんな保証はどこにもないのに、いつの間には人は今の状態が一番いいのだと保守的になって、変化を恐れるようになってしまう。

 

 

しかし仏教や「平家物語」が説くように、この世は無常なのだ。ずっと同じであるということはあらゆる物事においてなく、すべては刻々と移り変わっている。それを楽しむ人もいれば、移り変わってしまう世界や写り変える「時間」というものを憎む人も存在する。しかしこの世が無常である限り、変化を憎むという生き方は自らに苦しみを課すだけだろう。

 

 

変わりゆくなら変わりゆくで仕方がない。ぼくたちはそれを諦めるしかない。しかしどうせなら、優しく移り変わってはくれないだろうか。急に津波が押し寄せてすべて洗い流してしまうような、いきなり大地震が起きてすべてが激しく崩壊していくような、そういう急峻な変化率はどんなに悟りを得た人間にとっても即座には受け入れ難い。できるならいきなり崩壊しないでほしいものだ。移りかわることは受け入れるから、せめてゆっくり変わってはくれないだろうか、霧雨がしとしとと降るように、木漏れ日が風に揺れるように、優しくゆるやかに、わからないほどの速度で変わってはくれないだろうか。そのような変化なら、人は傷つく前に気づかないだろう。

 

時の流れがぼくたちに与えてくれる「優しい崩壊」を、ベンメリア遺跡は見せてくれている気がした。ぼくたちは必ず崩壊する。けれどそれは誰も気づかないほどに、自然に優しく、滅ぼされたい。

 

 

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