死を覚悟で浄土を目指す!和歌山県の世界遺産「補陀洛山寺」で壮絶な歴史の渡海船を目撃した

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死を覚悟して、極楽浄土を目指し、海へと旅立つ!!!!!

死を覚悟で浄土を目指す!和歌山県の世界遺産「補陀洛山寺」で壮絶な歴史の渡海船を目撃した

・世界遺産に登録された「補陀洛山寺」ってどんなところ?
・死を覚悟で船出する!「補陀洛山寺」は衝撃的な「補陀落渡海」の中心地だった
・鳥居が4つ!「補陀洛山寺」では再現された渡海船を見物できた
・「補陀洛山寺」の隣の神秘的な「熊野三所大神社」
・日本人が異国的、仏教的な極楽浄土を南方に見出したというのは本当か?

・世界遺産に登録された「補陀洛山寺」ってどんなところ?

2004年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」として、紀伊山脈一帯の霊場が世界文化遺産に登録された。世界遺産に登録された場所の一部としては、熊野三山すなわち熊野本宮大社、熊野速水大社、熊野那智大社などかなり有名な神社も含まれていたが、熊野那智大社のすぐ近くにある「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」というあまり聞きなれない仏教寺院も共に登録されていた。世界遺産に登録されるほどの価値の認められた「補陀洛山寺」とは、一体どのようなお寺なのだろうか。

ぼくは2019年に紀伊山脈一周・車中泊の旅を決行したが、当時はこの「補陀洛山寺」の存在を知らなかったためにスルーしてしまった。しかしこの紀伊山脈一周・車中泊の旅の途中で、たまたま「ブラタモリ」で熊野古道特集をやっていたので、まさに熊野古道をめぐる旅をしている最中だったぼくはテレビに見入ってしまった。ちょうど熊野三山を参拝し終わって和歌山県の飛び地・北山村で日帰り温泉に入った後、休憩スペースで「ブラタモリ」の放送を見ていた。

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その時にタモリさんが訪れていたのが「補陀洛山寺」で、その歴史の内容の壮絶さに唖然としてしまった覚えがある。

 

 

・死を覚悟で船出する!「補陀洛山寺」は衝撃的な「補陀落渡海」の中心地だった

「補陀洛山寺」の補陀洛(もしくは補陀落)とは、仏教において南方にあると信じられている浄土のことを指す。サンスクリット語では「ポータラカ」と呼ばれ、チベットの有名なポタラ宮の名はこの補陀落から来ているという。南方に面した海岸から補陀落を目指して船に乗り込み、死を覚悟して沖へ出る修行を「補陀落渡海」と呼び、自発的な捨身によって民衆を先導するための捨身行の一形態であったとされる。

浄土信仰が民間でも盛んとなった平安時代後期から渡海が多く行われるようになり、確認される事例だけでも57の報告例があるという。最古の事例は868年の慶流上人、最後に行われたのは1909年の天俊上人とされている。9世紀〜15世紀までは50年に1件の割合だったのが、16世紀前半には4件、後半には11件、17世紀前半にかけては15件と流行のピークに達し、17世紀後半の江戸時代中頃になるとほぼ発生しなくなった。江戸時代には生きた人間ではなく、渡海船に遺体を乗せて水葬の形を取ったとも言われている。

この「補陀落渡海」が最も多く行われた代表地が「補陀洛山寺」のある和歌山県那智勝浦であり、他には高知県や茨城県や鹿児島県、日本海側の島根県か船出した記録も残っているという。ほとんとの行者は当然のように行方不明になっていったが、紀伊国から琉球にまで流れ着いた日秀という真言宗の僧もいたようで、彼は沖縄に「金武観音寺」という仏教寺院を建てたり、熊野信仰を熱心に広めたりして沖縄の信仰に影響を与えたとされる。

 

・鳥居が4つ!「補陀洛山寺」では再現された渡海船を見物できた

 

ちょうど紀南旅行をする機会があり、熊野那智大社を参拝して美しい那智の滝を眺めた後で、今こそ行くべき時だと感じ、壮絶で衝撃的な歴史を持つ「補陀洛山寺」を初めて訪れてみた。「補陀洛山寺」はその壮絶な歴史に似合わず、今はとても穏やかで参拝していても心安らぐ寺院となっていた。

 

 

しかし境内にはなんと「補陀落渡海」のための船が再現されており、本当にここで「補陀落渡海」が行われていたのだと実感せずにはいられない。渡海船の上には扉のない空間が設けられ、閉じ込められた行者は逃げ出せない仕組みになっている。中には30日分の食料や水のみが備え付けられたというが、外へと出られないのにトイレなどはどうしたのだろうか。

 

 

渡海船上の箱の四方には鳥居の門が建てられ、それぞれ「発心」「修行」「菩提」「涅槃」を意味しているという。四国お遍路の道場の名前と同様だ。

 

この中に閉じ込められた行者は一体何を思うのだろうか。ここに閉じ込められるだけではなく、あてどない海へと放り出されるなんて本当にその気持ちを想像することさえできない。死を覚悟できるほどに修行を完成させた人しか乗り込まないので、意外と怖くないのだろうか。仏教についてよく学んだ人なので、南方にある極楽浄土を強く信じ、恐怖ではなくむしろ嬉しい気持ちが込み上げるのだろうか。それともやはり死にたくないという動物的に当然な本能が発露し、恐れおののいてしまうのだろうか。

 

・「補陀洛山寺」の隣の神秘的な「熊野三所大神社」

「補陀洛山寺」の隣には、「熊野三所大神社」という神社が併設されていた。こちらも古い歴史を持つ神社で、熊野三山の祭神である熊野権現の家津美御子(けつみみこ)、夫須美(ふすび)、速玉(はやたま)を祀っているのだという。こちらは木漏れ日の降り注ぐとても美しい神社だった。

 

 

・日本人が異国的、仏教的な極楽浄土を南方に見出したというのは本当か?

なぜ日本の中で特にここ紀南において、「補陀落渡海」の習慣が発達したのだろうか。古来より熊野は「死の国」であるとされ、熊野古道を巡礼することで人間は一旦死に、そこから帰っていくことで新しく生まれ変わり“よみがえり“を果たすことができると信じられてきたという。紀南はまさに、生と死が混沌と混じり合う交差点のようだ。

紀伊山脈には熊野三山に代表される神道としての聖地の性質だけではなく、インドから到来した特殊な密教の中心地である高野山の存在や、さらには役行者によって開かれた山岳宗教・修験道の修行の地でもあり、様々な古代日本からの深遠な信仰形態が多層的に重なっていると言える。古事記や日本書紀など、日本神話の舞台としてもしばしば登場し、熊野は初代神武天皇が東征の船旅の終着点としても知られる。

南方へと広がる海を眺めていると、古代の人々はその先に永久に変わらない神々の国「常世」「根の国」(沖縄的に言えば「ニライカナイ」)があったと、直感的に感じられたのではないだろうか。もしかしたら「補陀落渡海」に挑戦した人々が目指したのは、補陀落などというインド的・異国的な浄土観念ではなく、そんなものが日本に伝来するよりもずっと前から日本人によって信じられていた海の彼方の異界ではなかっただろうか。

 

 

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