人生初の「切り火」をしてもらった後で、ぼくはとんでもない目に遭ったんですが!!!!!
人生初の交通事故!鬼滅の刃にも出てくる「切り火」に旅の安全の効果なんか全くなかった話
・「鬼滅の刃」に出てくる藤の花の家紋の家のおばあさんの「切り火」
・ぼくは人生初の「切り火」を熊本県の秘境で経験した
・「切り火」の後で人生初の交通事故に遭った!!
・「切り火」には意味も効果も全然ないというのは本当か?
・「鬼滅の刃」の考察記事一覧
目次
・「鬼滅の刃」に出てくる藤の花の家紋の家のおばあさんの「切り火」
「鬼滅の刃」の第15話「那田蜘蛛山」の回で炭次郎たちが那田蜘蛛山の任務へ出発する際に、藤の花の家紋の家のおばあさんから火打石で「切り火」をされるシーンがある。伊之助は「切り火」を知らずに火打石で火花を散らしたおばあさんに怒り狂うが、善逸は「危険な仕事行くからお清めしてくれてんの!」と説明してやっていた。
「切り火」とは旅立つ者に向かって火打石で火花を散らすことで、古来より清浄であるとされる火のご加護を受け、身を清めたり厄除けのまじないになったりするという古来からの民間信仰の一種であるとされる。つまり旅の無事を祈っていてくれているという意味らしい。
・ぼくは人生初の「切り火」を熊本県の秘境で経験した
この「切り火」という伝統的行為は、果たして有名なのだろか。何を隠そうぼくも、2019年の夏に「九州一周・車中泊の旅」をした時に、熊本県の宿でこの「切り火」をしてもらったことがある。その宿は熊本の神秘的な秘境神社である「上色見熊野座神社」のすぐ近くにあった。
手作り感あふれる素敵なログハウス「ペンション三林山」という宿で一泊し、夜に宿のおじさんとも旅の話をして仲良くなり、朝の出発の際にはまさに鬼滅の刃のおばあさんがしてくれたような感じで「切り火」をしてぼくたちの旅の無事を祈ってくれた。
しかしぼくも伊之助と同じように「切り火」というものを全く知らなかったので、宿のおじさんがいきなりぼくたちの目の前で火花を撒き散らしたからかなり驚いた!え?!なに?!なに?!何が起こってるの?!?!というまさに戸惑いの心境だった。ぼくはこれまでの人生で「切り火」という習慣を見たこともなければ聞いたこともなかったのだ!しかし一緒に旅行したぼくの友達はこの「切り火」を知っていたらしく戸惑っている様子はなかった。こんな伝統的な旅立ちの文化が日本にあるだなんて、やっぱり日本を巡って旅をしているといろんなことを知れて勉強になるなぁと感じた次第だ。
最初これは熊本県独特の風習なのかと思ったが、一緒に旅行した友達は大阪の人だし、鬼滅の刃でも披露されていたので、日本全国で行われる古い習慣なのだろう。かなりビビったけれどまぁこれで旅の無事が約束されるならありがたいことだと感じぼくたちは車に乗って出発した。しかしこの「切り火」が全然意味も効果もないことが、この後すぐに明らかになるだなんてぼくたちは予想もしていなかった。
・「切り火」の後で人生初の交通事故に遭った!!
ぼくはこれまでに10年以上は運転してきて、一度も交通事故など起こしたことはなかったのだが、なんとこの「切り火」をしてもらったすぐ後に、熊本県の阿蘇の狭路で接触事故を起こしてしまったのだ!!!!!
まぁ接触事故といってもミラーとミラーがぶつかり合っただけのかなり軽いもので、お互いのミラーに傷もついていなければ動作も正常だったので何も困ったことはなかったのだが、一応交通事故なので警察を呼んだようがいいということになり、警察を呼んで事情を聞かれたり答えたりしてかなり時間がかかってしまった!人生初の交通事故だったので警察が来てどんなことをするのか何が起こるのか全くわからないままで緊張したし、もしもこれで免許取り上げられて車が運転できなくなったらどうしようという焦りもあった。
しかしもちろんそんなことはなくただただ事故の時の状況を聞かれたり、お互いの連絡先を交換したりして、免許の点数を引かれることもなかったので安心した。何も悪いことが起きずに安心した一方で、警察の事情聴取というのは丁寧な手続きであり結構時間がかかるのだなぁという感想を抱いた。
・「切り火」には意味も効果も全然ないというのは本当か?
警察の事情聴取が終わった後、心も落ち着きを取り戻してふと今日の自分をふり返ってみると、いやいや「切り火」って効果も意味も全然ないやんと気づいて驚愕した!人生初の「切り火」をしてもらった今日、ぼくは人生初の交通事故を起こしてしまったのだ!もはや旅の安全もへったくれもあったもんじゃねぇという心境である。まさか日本の伝統的な旅立ちの儀式「切り火」を初めて受けたその日に、旅の安全とは全く真逆の交通事故という状況に陥るなんて誰が予想できただろうか!
ぼくはこの日の朝に日本の伝統的な「切り火」を初めて見て感動し、昼間にミラー同士が接触するという人生初の交通事故を経て、その結果として「切り火」の効果に失望するなんて、なんと慌ただしいジェットコースターのような1日を過ごしているのだろうと感じ疲弊した。
しかしせっかくやってもらった「切り火」に意味も効果もなかっただなんて言ったらバチが当たるだろうか。もしかしたら死んだり大怪我したりするもっとひどい交通事故になるはずだったのに、朝に「切り火」をしてもらったおかげでミラー接触、傷なし、故障なしというかなり軽い状況で済んだと「切り火」をありがたく思うべきなのかもしれない。そのように思って火の神さまに感謝しつつ人生を歩んでいくことが、日本人としてのあるべき姿だろうとぼくはまた一転して「切り火」に感謝した。
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