おじいさんになってからでもできる旅を、若い今敢えてしなくてもいいのでは?????
若くて健康な今の自分にしかできない旅と、老後でもできる旅の違いについて考察する
・ぼくは世界一周の旅人8年目
・ミズイロノタビの今後
・ブログにまだ書けていない「日本の離島を巡る旅」の真実
・旅は若いうちに沢山行っておいたほうがいいというのは本当か?
・未来を読むことができないからこそ、ぼくは中国と台湾に旅立つ
目次
・ぼくは世界一周の旅人8年目
ぼくは2018年に世界一周の旅を始めたので、早いもので今年で旅人として生き続けて8年の歳月が流れたことになる。その間には世界的な新型コロナウイルスの大流行があって世界一周の旅を中断せざるを得なくなり日本一周・車中泊の旅に切り替えたりとか、その後には日本中で旅するように働くコロナワクチンバイト医師になってこれからの旅のための資産形成を強化するなど、かなり紆余曲折もあった。
ぼくの中では自分の魂はずっと持続的に世界や日本を旅してきたつもりなので旅人8年目だと思っているのだが、医師としてあんなに活発に最初から最後までコロナワクチンバイトで労働していたのだからその期間は旅人じゃなかったのではという意見もあるかもしれない。いずれにしてもぼくは未来の旅のために燃え盛るように天職のコロナワクチンバイトに従事していたので、ぼくの中ではその労働も確かな旅の一部なのだ。
そしてコロナワクチンバイトの終焉と共にぼくは医師としての労働を潔く全て辞め、また本格的に世界一周の旅を再開した。問題は3年間で蓄えたコロナワクチンバイトの資産だけでこれから永遠に旅が続けられるのかどうか(FIREを達成しているのか)ということなのだが、世界の旅のためにそれなりにお金を費やしても現状では資産は増え続けているので、もしかしたらFIREできているのかもしれないけれどまだ確証が持てないので経過観察している。
全く労働せずに旅だけに集中していても資産が増え続けるマネフォの画面を眺めながら、若い時代に巨額の富を蓄える重要性を再認識するばかりである。
・ミズイロノタビの今後
もしもFIREできているのだとしたら、重要なことは自分自身のこの魂によってこれからどのような旅を描き続けていくのかということだ。旅人としてまだ行ったことのない大陸や国を訪れなければならないという使命感もあるし、純粋な直感や理由の説明できない衝動としてこのエリアへ絶対に向かいたいという燃え盛るような思いもある。もしくはまだ今は認知すらしていないけれど将来出会う旅人にからもたらされる情報によって、これからも世界中に行きたい場所は増え続けていくことだろう。
今後の人生の全ての時間を旅に費やすことが許される運命にあるのだとしたら、もしかして行き当たりばったりで世界に飛び出して行くよりも、ある程度は優先順位を付けた方がいいのではないだろうか。
・ブログにまだ書けていない「日本の離島を巡る旅」の真実
例えば2020年に日本一周の旅を終えたぼくは今、「日本の離島を巡る旅」に夢中になっている。これに関してはマジでほとんどブログ記事を書けていない状態なのでまるで夏休みの宿題が山積みになっていく絶望的な小学生状態なのだが、おばあちゃんの体調が悪くてそばにいてあげないなと思っていた時期には日本中の離島を回り、沖縄県の多良間島や久米島、鹿児島県のトカラ列島全7島や三島村全3島、奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島、長崎県の壱岐島や対馬、新潟県の佐渡島、東京都の伊豆諸島全9島、そして北海道の離島5つも全て制覇した。
日本の離島を回れば回るほどその魅力に取り憑かれてしまい、今度はどこの離島へ行こうかな、早く新しい離島を訪れたいとついつい考えがちになってしまうのだが、よくよく考えれてみればこれっておじいさんになってからでもできることなのではと思い当たった。ぼくはまだおじいさんになったことがないので実際におじいさんとして生きることがどんな感じなのか詳細は不明だが、洗練された便利な先進国・日本を旅することは体力的にも精神的にもそれほど困難を伴わないので、年を取って様々な機能が低下した老人になってからでも行ける場所は多そうだ。
逆に若くて健康で何でもできる今しか実現できない旅には、どのようなものがあるのだろうか。世間では「旅は若いうちに沢山行っておいたほうがいい」と頻繁に囁かれているが、果たしてそれは本当なのだろうか。
・旅は若いうちに沢山行っておいたほうがいいというのは本当か?
例えばぼくがこれまでにやってきたインド一周の旅やアフリカ大陸縦断の旅など、発展途上国の中をめちゃくちゃ歩いたりめちゃくちゃ長距離移動したりする種類の旅は、体力やエネルギーの消耗が激しいので若い時代の方がよさそうだ。旅の中で登山やダイビングなどのアクティビティーに挑戦する際も、もちろん若い人の方が健康面で安全に取り組めるだろう。また最近ぼくが日本旅で積極的に取り入れている車中泊の旅なんかも、年を取ったらしんどくなってもう辞めたいと思ってしまうのだろうか。お金があるならホテルに泊まってしまおうと、車中泊の節約旅を諦める冒険的ではない未来がやがて訪れるのかもしれない。
老人になってからでもお金を出してツアーに参加すれば世界中どこへでも行けそうな気もしてしまうが、例えばケニアの代表的な観光であるサファリツアーは乗っていた車が思いの外めちゃくちゃ揺れたので、一緒に参加していたハンガリーの老夫婦などは疲弊して翌日もあったサファリツアーをキャンセルしてしまっていた。老人でもツアーなら何でも安心というわけではなく、そのツアーは肉体に負担がかからないかどうかを事前に見極める必要がありそうだ。その観点から言っても体力面に不安がなく、積極的にどんなツアーにも参加できる若者はやはり旅に適した存在だと言うことができるだろう。
ぼくが意外だったのは約800kmを歩くスペイン巡礼の旅でかなり多くの老人が歩いていたことだった。800km歩くなんてそれこそ体力勝負の世界なので老人なんかほんの一握りだろうと予想していたが、主にヨーロッパのお年寄りなどがカミーノに参加することは全く珍しくなく、歩いている途中でコミュニケーションを取ったり苦労を共にした美しい思い出が蘇ってくる。ただ老人は怪我をしやすく歩みもゆっくりなので、次第にひとりまたひとりと見かけなくなり、最後まで一緒に歩き続けられたのはやっぱり若者だけだったというのは注目に値するかもしれない。
スペイン巡礼はキリスト教の聖なる道を歩くので徐々に死に近づく年齢に差し掛かると、特にキリスト教圏内の老人としては巡礼の中で思うところがあるのだろうか。若くて健康なぼくたちが見ているカミーノの景色と、彼らのカミーノの景色は全く異なるものだったのかもしれない。
また体力的な話ばかりではなく精神的な面でも、旅は若いうちに行った方がいいという意見が散見される。何でもおばあさんやおじいさんになるに従って感受性が徐々に低下してくるので、若くて感受性が豊かで記憶力もよく、世界の物事を吸収しやすい若い年齢で旅に出ることには大きな意味があるというのだった。ぼくは老人になったら感受性が落ちるかどうかは、その人の心がけ次第だと思うのだがそういうものでもないのだろうか。年を取っても自分や他人や世界から重要な信号を受信することを忘れずに、常に世界へ向かって問いながら学び続ける姿勢を崩さないのであれば、老人になっても瑞々しい感受性を維持できるような気がするのだけれどどうなのだろう。やはり時が経つに従って人間の肉体が必ず次第に衰えていく運命にあるように、精神や感受性も同様に削られていくのだろうか。
確かに変化のない今の生活に満足して世界から学び取ろうとする意欲のない平凡な人間が多いことを鑑みると、精神的に未熟で不安定で影響を受けやすい若い時代に旅に出ることは、老人が旅に出るよりも人格形成の上で大いに意味があることかもしれない。もしも瑞々しい感受性の観点から若者がもっと旅に出るべきだという主張が真っ当なのであれば、どのような種類の旅であっても若いうちにした方がいいということになる。 ぼくは「日本の離島を巡る旅」なんて体力的におじいさんになってもできるからと世界の旅を優先しそうになっていたが、若い今の自分の感受性でしか受け止められない日本の離島の姿があるのだとしたら、今しかないその貴重な感受性を発揮することも表現者として重要な使命なのではないだろうか。
ぼくが同じく今ハマっている旅に「日本の温泉を巡る旅」というのがあるのだが、これなんかまさにおじいさんになってからでも絶対にできそうだ。というかイメージが渋すぎて、おじいさんになってからやる方がはるかに似合っているに違いない。しかし若くて健康で体力がギンギンにある今の自分が積極的に温泉を巡るのと、ヨボヨボの老人になった自分が温泉に入るのとでは感じる物事が確実に変わってくることだろう。今の自分ならばこの温泉は他と比較してこういう点が素晴らしいなどとまだ考察する余地が残されているが、おじいさんの自分は温泉に入っても「あ〜腰が痛いのが治ってよかったの〜」とただただ満足して終わるだけかもしれない。
年を取れば取るほどに認知機能も低下して、判断能力が鈍ってくる可能性も大きいだろう。世界の旅をしているとここで判断を間違うと重要なバスや飛行機に乗れなかったり、もっとひどい場合には命の危険が伴ったりもするので、世界一周の旅に敏感な危機察知能力や判断能力は欠かせない。また「日本の離島を巡る旅」は多くの場合船旅となり、海の荒れ具合によって柔軟に旅路を変更しなければならないので、旅の最中は常に緊張して適切な決断を迫られている状態だった。そのような観点から言えば若い時代の旅は老人の旅よりも問題解決能力に長けている可能性が高いが、もしかしたら老人のこれまでの豊富な旅の経験が判断能力の低下をカバーしてくれるかもしれない。老人になっても自由に世界の旅を続けられるかどうかは、若い時代にどのような生き様を描いてきたかということとも大いに関係がありそうだ。
【まとめると体力的、健康面的、認知機能的にエネルギーを消耗する過酷な旅は若い時代に行っておいた方がいいという意見は大いに一理ある。それでは気楽に行ける旅は今は後回しにして老人になってから行くべきかと問われれば、そうでもない。なぜなら気楽に行ける場所であっても今の若い自分の瑞々しい感受性でしか吸収できない旅の要素で溢れているからだ。今の自分とおじいさんになってからの自分では旅先で話しかけて来てくれる人の種類も、話の話題も、経験できる物事も大きく異なってくることだろう。だからこそ今しかない今の自分で旅するということに意味があり、それはどこを旅していても同じことだ。結局若いとか老人とか考えることなしに、この瞬間の燃え盛るような情熱の指し示す方角へと導かれるように旅に出るべきなのだろう。】
・未来を読むことができないからこそ、ぼくは中国と台湾に旅立つ
また体力面、精神面だけではなく、今の不安定な世界情勢を見ていると今しかできない旅ってあるのだなぁとつくづく実感させられる。ぼくは世界一周の旅を開始してすぐ2018年にシベリア鉄道でユーラシア大陸を横断する旅を決行したが、ロシアが戦争している今ってそんな旅は実現可能なのだろうか。ロシア人の素朴な心が美しいことを、シベリア鉄道で実際に心を触れ合わせた旅人だけが知っていることだろう。またぼくが旅した中でもイランは最も美しい国のひとつだったが、もしもイランに行きたいと願ったとして次に行けるのは一体いつになることか。このように自分が行きたい国にいつ行けなくなるのか見当も付かないので、若いとか老人とか全く関係なく、行きたい国には行けるうちになるべく早く行くというのが旅の鉄則なのかもしれない。
未来を見通す水晶玉を誰も持っていない。これから世界がどうなるかなんて誰にもわからない。だからこそ何が起こっても後悔しないように、ぼくは今中国と台湾に旅立つことにした。ぼくは中国も台湾も大好きな国なので、万が一行けないような世界情勢になってしまった時に悲しみに暮れることがないように、行ける時に行きたい場所を思う存分巡ろうと心に決めたのだった。中国も台湾も隣国なので、それこそおじいさんになってからでも行けそうな国ではあるが、おじいさんになった時の世界の中で中国がどうなっているのか、台湾がどうなっているのか、日本がどうなっているのか誰にもわからない。結局はぼくが以前からこのブログで言っているように、過去を振り返ることなく、未来を思い煩うことなく、今という一瞬一瞬だけを見定めて燃え盛るように生き抜くのが正解なのだろう。
若くて健康で何でもできるような年齢に、お金のことを考える必要がなく世界を思いのままに旅するという稀有で尊い運命が授けられたのだとしたら、そのような宿命を背負う魂としてふさわしい生き様を美しく描くことが、次なる次元へと遥か飛翔するための鍵となるだろう。
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