奥多摩と日原鍾乳洞〜東京の秘境の冒険

 

さて、十津川での秘境神社の訪問により、日本の秘境への関心を深めたぼくは、日本の伝統芸能「能」を鑑賞するために、東京へと旅立った。能なんて興味もなかったし人生で一度も見たこともなかったが、偶然にも能の本を読み、能と旅に深い関係があることを知り、深い感銘を受けたことがきっかけである。それ以来、ぜひこの目で「能」の実演を見たいと切望していたのだ。そして能を鑑賞する前日東京の友人のよっしーに、東京の秘境へ行ってみたいと提案した。

よっしーは鉄道が好きで地理に明るく、彼によれば東京の秘境といえば「奥多摩」であるという。そこは東京とはとても思えないほど山奥にあるのだそうだ。東京は何度も訪れていたが、都心や鎌倉や横浜で遊んだことしかなかったので、ぜひ訪れてみようということになった。ちなみによっしーも、人生で奥多摩には行ったことがないという。いったいどのようなところなのだろうか。彼に導かれるままに電車に揺られ、奥多摩を目指した。

奥多摩と日原鍾乳洞〜東京の秘境の冒険

・都心から電車で2時間の旅
・バスでさらに山奥へ
・日本の山景色は似ている
・色あざやかな日原鍾乳洞
・東京の清流

・都心から電車で2時間の旅

奥多摩までは電車を乗り継ぎ2時間。久々によっしーと会ったのでのんびりと電車内で話しているうちに、すぐに時は流れた。電車の外の景色が、だんだんと家並みを失い、緑の色彩が美しく映えてくる。その景色の移り変わりは、大阪から和歌山までの電車から見るものと非常に類似していた。緑の景色に癒されているとほどなくして、奥多摩駅へと到着した。

いくら秘境と名付けられていてもそこは東京だし、それほど秘境ということもあるまいと思っていたぼくの目の前に見えた景色は、本当に山奥の小さな駅だった。駅はレトロで非常に趣がある。駅のまわりには、清流や、温泉や、小さな商店なども立ち並んでおり、見ていて楽しかった。

ぼくたちは「日原鍾乳洞」を訪れようという目的があったので、しばらく駅の周辺を見てまわると、さらに山奥行きへのバスに乗り込んだ。

 

・バスでさらに山奥へ

バスの中の写真を撮ることがぼくは好きだ。バスの内部は、様々な方向に直線が張り巡らせられており、撮っていて楽しい。数学でいえば、x軸、y軸、z軸の3次元に渡る直線が迫ってくる感じとでも言おうか。さらに窓から差し込む光が適度で美しく、光と影のバランスがいいので、心に残る情緒あふれる写真が撮れる気分がする。ぼくはバスに乗ると必ず写真を撮ってしまうのだ。

 

・日本の山景色は似ている

バスの終着駅から日原鍾乳洞までは、20分ほど歩かなければならなかった。途中までの道は、民家がぽつぽつとあるくらいで、他には特に何もない。このような山奥にも、人々は住み生活を営んでいるのだ。しかもここに住んでいる人々は東京都民なのだということを考えると、少し不思議な感じがした。

涼しげな清流が流れ、心から涼やかな気分になる。歩いていると、十津川とか、紀伊山脈の山の中の景色と似ているなという印象を受ける。日本は山が立ち並ぶ地形であり、日本の中であれば、山の中の景色はどこも似通っているのかもしれないなと感じていた。

 

・色あざやかな日原鍾乳洞

日原鍾乳洞にたどり着き、まず入場して感じた第一印象は「さむっっっっっ!!!」だった。鍾乳洞の中というのはどうしてこんなにもひんやりと冷たい空気が漂っているのだろうか。ぼくが行ったのは初夏だったので、半袖でも我慢できたが、寒がりの方は羽織るものなどを持っていくと便利かもしれない。

 

日原鍾乳洞は予想していたよりもかなり広く、大きく、中には観音様がいらっしゃったり、弘法大師(空海)が修行していた場所があったり、三途の川が流れていたりと、ものすごく見応えがあった。

 

 

鍾乳洞の中は狭い場所と、広い場所の差が激しいのだが、一番広い場所はカラフルにライトップされており、しかもその色合いも刻々と変わっていくので、つい久しく眺めてしまった。鍾乳洞の中なので基本的に暗いか、光に照らされていても土色が見えるところがほとんどなので、この色彩はより一層の鮮明さをもってこの目に迫って来るものがあった。

 

 

三途の川を渡る体験というものは、なかなかできるものではない。果たして渡ってしまっていいものなのだろうか。足元が水で濡れて滑りやすくなっているので、滑って転んで頭を打って、本物の三途の川を渡るようなことにならないように注意が必要である。

 

 

弘法大師(空海)が修行したという場所もあり衝撃を受けた。ぼくは高野山の麓の町の出身であり、高野山を極めて愛しているので、空海には親しみを覚えているのだ。しかし、このような東京の山奥の地までやって来て修行していたというのは初耳である。空海は讃岐の地(香川県)で生まれ、都の大学を中退した後に、記録には残っていない行方の知れない空白の時期があるというが、その時期にこのような関西地方からはるか遠い場所まで来ていたのだろうか。この鍾乳洞は、山岳信仰の修行の場所であったということから、そういう観点から何かしら空海と結びつき、伝説を残したのであろうか。いずれにしても、思いがけない空海との巡り合いには心躍るものがあった。

 

 

・東京の清流

日原鍾乳洞を出て、バスまで少し時間があったので、清流と戯れて遊んでいた。本当に、奈良や和歌山の山奥の清流で遊んでいるときと、まったく同じ気持ちになった。ぼくは清流が好きなのだ。清流のような、透き通った、濁りのない、澄んだものに対する憧れや、懐かしさがあるのかもしれない。清流に触れると、そのような感覚が思い起こされるのだ。東京に来てまでこのような感覚を自分の中に見つけるとは思いもよらなかったので、新鮮な気持ちになった。東京の新しい魅力を発見でき、有意義な小旅行だった。

 

 

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