五島列島も空海と関わりが!!!!!

五島列島にも空海像が!遣唐使の日本最後の寄港地である福江島の「辞本涯の碑」を訪れた
・日本の神秘的な高野山は空海が開いた
・四国お遍路の巡礼は空海とともに
・なんと台湾でも空海像に巡り会った!
・中国人の若者もしばしば空海を知っていた!
・遣唐使の日本最後の寄港地である五島列島福江島の「辞本涯の碑」
目次
・日本の神秘的な高野山は空海が開いた
ぼくが日本で最も素晴らしいと感じている場所は、和歌山県の高野山だ。高野山は真言宗の総本山もある、空海(弘法大師)が開いた天空の神秘的な仏教都市だ。ぼくは高野山の麓の町で生まれ育ったので高野山にしばしば訪れる機会を得、それゆえに空海にも親近感を抱いていた。
・四国お遍路の巡礼は空海とともに
台湾人の友達と一緒に、四国お遍路の車中泊の旅をしてからというもの、空海への親近感はより一層深まった。お遍路の88箇所の仏教寺院には必ず、空海像や空海を祀る空海堂が建立されており、空海を見ない日はなかったからだ。そもそもお遍路自体が「同行二人」と言って空海と巡礼の道を深めて行く旅でもある。ぼくたちはお遍路の巡礼の道において、常に空海を意識しながら旅を継いでいくのである。
・なんと台湾でも空海像に巡り会った!
流石に空海は日本でしか有名ではないと感じていたが、なんと台湾の花蓮でも空海像を見る機会に恵まれた!台湾一周の旅の中でも、これは非常に衝撃的な運命の巡り会いだった。
しかし台湾は今となっては異国といえど、かつては日本だったのだ。この空海像の建てられていたお寺は日本統治時代に日本人たちが作ったものだという歴史を知れば、空海像が台湾で見られることも納得がいく。この吉安慶修院は、かつて日本から台湾への移民たちの心の拠り所として建てられたものらしかった。中には88箇所の仏像が安置され、寺の中でお遍路一周ができるような仕組みになっていた。台湾の人々はありがたいことにこの寺院を大切に守ってくれており、日本人のぼくから見れば何の変哲もない日本式のお寺も台湾人からすれば珍しいようで、大勢の人々が訪れ人気を博していた。
・中国人の若者もしばしば空海を知っていた!
また中国大陸横断の旅をしていた時にも、中国人が空海のことを知っていることが多々あった。空海は結構、世界でも有名なのだ!空海は唐の長安に仏教を学びに留学していた時期があったことから、中国人にとっても関心のある人物であると思われる。空海は中国人の若者にもよく認知されており、日本人の中だけで偉人だと見なされているのだろうと予想していたぼくにとってはとても意外だった。
・遣唐使の日本最後の寄港地である五島列島福江島の「辞本涯の碑」

空海は中国が唐の時代、仏教を学ぶために都の長安へと留学した。当時の日本の航海技術は未熟であり、唐へと渡るのは命がけだったようだ。そんな遣唐使が日本で最後に立ち寄った寄港地が、ぼくが「日本海沿いを北上する旅」の中で訪れた長崎県の離島・五島列島福江島の「辞本涯の碑」が建てられたあたりだったらしい。ということは当然、空海も唐へと渡る際に福江島の「辞本涯の碑」周囲を訪れたのだろう。この「辞本涯の碑」を日本の最後の地として、もはや帰って来られるかわからない唐へと命がけの後悔の旅に出たのだ。それは科学技術の発達した今の時代を生きているぼくたちには、ちょっと推し量れない感情だろう。辞本涯とは、日本の最果てを去るという意味の言葉である。


この「辞本涯の碑」には一緒に空海像も安置され、海の向こうを眺めている。また空海像と共に、遣唐使に出かける我が子の安全を願った万葉集に残された歌が刻まれた石碑も立てられている。
”旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群”
福江島には意外なことに、この「辞本涯の碑」以外にも空海にまつわるお寺も存在しているらしい。2泊3日じゃとても行ききれなかったので、また人生で福江島を訪れる機会があれば今度は空海巡りがしたい。今回はどうしても”長崎県=教会巡り”という方程式を成り立たせてしまい、キリスト教会を巡ることが旅の主旨になってしまったのだった。

空海の興味深い一生を知るためには司馬遼太郎の「空海の風景」がオススメ!面白いのでぼくも夢中になって読みました!世界でも有名な空海について日本人として異国人に語れる知識をぜひ持とう!