トカラ列島全制覇の旅2島目は、宝島だ!!!!!

絶景展望台に鍾乳洞にイギリス坂!トカラ列島宝島を徒歩で回ってみたら牛が後ろから付いてきた
・ミズイロノタビはトカラ列島7島全制覇の旅へ出発!
・3泊4日の小宝島滞在を終えて
・小宝島から宝島への移動方法
・宝島では素泊まり民宿「とから荘」でお世話になった
・まずは明日の悪石島行きのフェリーチケットを購入
・宝島にある「イギリス坂」の名前の由来はイギリス人の暴走
・宝島最高峰の「イマキラ岳展望台」から360度の海の大パノラマを見渡す
・宝島最大の鍾乳洞「観音洞」
・碧く澄んだ海が美しい「大間泊」
・帰り道は「大原牧場」で牛と一緒に歩いた
・トカラ列島はそれぞれが孤立せずに関わり合っている
目次
・ミズイロノタビはトカラ列島7島全制覇の旅へ出発!

2025年2月ぼくは日本の離島を巡る旅の一環として、鹿児島県のトカラ列島の有人島7島全てを一気に回るという海洋の大冒険に出発した。トカラ列島には週に2回しかフェリーが来ないことや、民宿の数が限られていてしかも電話予約しなければならない、海が荒れてフェリーが欠航すれば島に閉じ込められてしまうなど、トカラ列島を全制覇する旅には様々な困難が立ちはだかっており難易度が非常に高かったが、持ち前の知能と行動力を発揮して何とか旅の体制を整えた。
ぼくが事前に計画したトカラ列島全制覇の旅程、及び予約した民宿は以下の通りとなった。
大阪
→(飛行機)→奄美大島
→(水曜日上り便)→小宝島(民宿いこいの森3泊)
→(土曜日下り便)→宝島(とから荘1泊)
→(日曜日上り便)→悪石島(西荘3泊)
→(水曜日上り便)→中之島(民宿ひので3泊)
→(土曜日下り便)→平島(平和荘1泊)
→(日曜日上り便)→口之島(民宿なかむら2泊)
→(火曜日下り便)→諏訪之瀬島(民宿やまき1泊)
→(水曜日上り便)→鹿児島港
→(飛行機)→大阪
後はこの計画が予定通りに遂行されトカラ列島7島全てを巡る旅が無事に達成できるよう、海が荒れてフェリーが欠航になったりしないように天に向かって祈るのみだ。まさに”人事を尽くして天命を待つ”という心境にまで辿り着いたが、ぼくにできる限りのことはやり尽くしたので何が起きてももはや悔いはない。
・3泊4日の小宝島滞在を終えて

3泊4日の小宝島滞在を無事に終えて、次なる島である宝島に向かう日がやって来た。いやー小宝島最高だった!特に無料の開放的な絶景露天風呂!まだ最初の島の記事しか書いていないのにこれを言うのはどうかと思うけど、ぶっちゃけ小宝島がトカラ列島で一番好きだった!いつか絶対にまた戻って来たい。
・小宝島から宝島への移動方法


小宝島へのフェリーチケットは郵便局近くの「防災活動拠点施設(別名は十島村役場 小宝島出張所)」という建物で購入することが可能だった。てっきり港でチケットを買うのかと思ってたのにこんなよくわからない場所でチケットを買わなければならないなんて、島の住民に聞かないと絶対にわからなかった。小宝島から宝島へのフェリーの料金は1490円。

小宝島からの下りの便に乗るので時間は10:45着、10:55発となっている。

早朝ではなく時間があったので、最後の「湯泊温泉」へ!もはや小宝島滞在中に何回入ったのかわからないくらい気に入ってしまった。
今回のトカラ列島を巡る旅のうち唯一宝島だけは素泊まりになってしまった(食事付きの宿が全て埋まっていた)ので、カップラーメンを持っていくことにした。宝島で買うと高いので事前に準備しておくようにと宝島の民宿のおじちゃんから電話口でアドバイスがあり、それに従った形だ。ぼくが宝島は素泊まりしか予約できなかった話を小宝島で泊まった「民宿いこいの森」のおばちゃんに話すと、何と優しいことに昼食用にお弁当を作ってくれた。最後の最後まで本当に優しくて、感謝の気持ちでいっぱいだった。もちろん港まで送迎もしてくれた。

フェリーは下りだと遅れることが多いようだが、遅れる際は事前に放送で教えてくれるから便利だ。今回はきちんと時間通りにやって来てくれた。小宝島はトカラ列島のうちで最小の島であり接岸率も最も低いということだったが、行きも帰りもきちんとぼくを送り届けてくれたので一安心だった。

小宝島から宝島への航海は1時間以内の短い旅路だった。
・宝島では素泊まり民宿「とから荘」でお世話になった



宝島では「とから荘」という民宿でお世話になった。おじちゃんがひとりで営んでいるようで食事の提供はなし、さらに送迎もなしだったが港から歩いて10分ほどだったので特に不便はなかった(登り坂あり)。他の宿が全て満室だったので素泊まりだろうが何だろうが泊めてくれるだけありがたいというものだ。料金は素泊まり1泊4000円。
宝島では1泊しかできないスケジュールになっていたので(トカラ列島を巡る旅では下りのフェリーに乗った後の島では1泊しかできないことを念頭に置いておくと計画が立てやすくなる)、「とから荘」に到着してから休む暇もなく観光に出かけることにした。お昼の12時くらいに着いて、明日の早朝5時(!)には宝島を出なければならないので、かなりの過密スケジュールだ。とりあえずどこに行きたいかをグーグルマップで予め確認しておいて、時間の許す限りできるだけ多く巡るしかない。



宝島では小宝島と同様に、徒歩で移動した。宝島は小宝島と違って面積が大きいので、小宝島のように気軽に一周することができない分、どこへ行くか事前に決めておくことがスムーズな観光へと繋がる。1泊では徒歩で宝島全体を見ることは不可能だが、自分の見たい場所だけを選択して突撃するしかない。
・まずは明日の悪石島行きのフェリーチケットを購入

まずは民宿のある宝島の中心地で明日のフェリーのチケットを買う。宝島では「十島村高齢者コミュニティーセンター」というところでチケットを購入することができた。悪石島へのチケットは1490円だった。

ちなみに隣に島で唯一の商店があったが、12時くらいに行くとまだ閉まっていると言われた。え、今閉まってるなら一体いつ開いてるねんと心の中で激しくツッコんでしまった。秘境中の秘境では例え商店が存在していたとしても、利用時間がかなり限られているらしい。
・宝島にある「イギリス坂」の名前の由来はイギリス人の暴走

中心地には「イギリス坂」という不思議な名前の坂があった。日本のこんな辺境とイギリスなんて何の関係もなさそうに思えたが、「イギリス坂」には以下のような説明書きがあった。西洋風の名前なので何だかお洒落な由来でもあるのかと思ったがこの看板を読んだ後、イギリス人ってロクでもないのではと思ってしまった…。
文政7年(1824年)7月8日、徳川幕府の鎖国体制下にイギリス船数隻が宝島沖合に停泊し、多数の船員が艀(はしけ)に乗り、前篭港に上陸して在藩牛屯所を訪れ、同港近くの牧場の牛と交易を願い出たが、交易は不成立に終わり、その為に船員等は数名一組となって牧場の牛一頭を射殺する外、数頭の牛を強奪し、他の一組は在藩牛屯所に向けて鳥銃を乱発する行動に出たので、当時藩庁より出張中の吉村光助がこれに応戦して、内一人を射殺したという。地元ではこの一連の事件を通じて、応戦現場を中心に「イギリス坂」と称している。
徳川常府は、宝島の事件を重視し翌年二月に異国船打払令を発令して一段と鎖国体制を強化した事が証明されている。十島村においては記念事業として石碑を建設し、その由来と歴史的重みを後世に伝えるものである。
・宝島最高峰の「イマキラ岳展望台」から360度の海の大パノラマを見渡す



ぼくが宝島でまず向かったのは「イマキラ岳展望台」。宝島最高峰の291mに位置し、頂上にあるトカラ列島の固有種であるトカラ馬の像の背中からは、360度の海の大パノラマが見渡せた。

海の向こうにはさっきまでいた大好きな小宝島の姿も見える。やっぱり小宝島と宝島は近い!

「イマキラ岳展望台」までは当然登り坂が続いて2月といえども汗ばんだけれど、宝島最高峰からの絶景は一見の価値ありだった。ここで島の風に吹かれながら小宝島で作ってもらったお弁当を食べて一休みし、爽やかな思い出になった。
・宝島最大の鍾乳洞「観音洞」


次に向かったのは「観音洞」という鍾乳洞。宝島には6つの鍾乳洞があるが、その中でも観音洞は最大で奥行が約500mある。入口に安置された観音様を住民は「カミサマ」として崇めており、島の信仰の中心的存在にもなっている。この観音洞からは古代の湖州鏡(中国南栄・元代の鏡)1枚と古銭35枚(寛永通宝13枚・永楽通宝3枚・大観通宝2枚など)が発見されたという。



この「観音洞」は中を探検するというよりは入口から中を眺めて終わりという感じだったので、すぐに観光を終わらせることができた。宮古島や沖永良部島、北大東島など琉球諸島には数多くの鍾乳洞が点在しているが、宝島の「観音洞」もそのひとつだろうか。しかし他の琉球諸島の有名な鍾乳洞と比べるとかなり小ぶりの印象だった。
・碧く澄んだ海が美しい「大間泊」

「観音洞」からそのまま海へと下って歩くと、「大間泊」という海へと辿り着いた。かつて北風が強く船が他の港に接岸できないときには、島の西南にあたるこの大間泊を利用していたという。 船を簡単に引き上げることは困難だったが、艀(はしけ)で住民や物資の上陸を助けていたという。小宝島では日本最後の艀を見かけたが、ここ宝島でも艀が使われていたようだ。トカラ列島を巡るにあたって「艀」は重要なキーワードになっている。

碧く透明に透き通っている海は美しく、沖縄の海を彷彿とさせた。
・帰り道は「大原牧場」で牛と一緒に歩いた




帰りは往路とは別の道を辿ろうと「大原牧場」の道を歩いた。歩いていると飼われている牛が後ろから付いて来たりして、雄大な島の大自然の中へと入り込んでいることを実感させられた。牧場+牛+海の組み合わせの風景が珍しくて新鮮だった。
・トカラ列島はそれぞれが孤立せずに関わり合っている

「とから荘」では予定通り日清カップラーメンを食べた。トカラ列島の旅の中で今日だけは食事なしの日なので仕方ない。他に泊まっている人もいないらしく、宿のおじちゃんと一緒にご飯を食べることになったが、このおじちゃんは何と小宝島で泊まった「民宿いこいの森」の家族と親戚関係にあったり、ぼくが明日行く悪石島の民宿の女将さんはその昔トカラ列島の旅がきっかけでよそから嫁ぐことになったなど、他の島の事情を色々知っていて面白かった。おじちゃんの話を聞いているとトカラ列島はそれぞれが孤立しているわけではなく、島を超越した様々な人間関係が網のように形成されているのだということを実感させられた。
振り返ってみると宝島は1泊だけでも色々回ることができてそれなりに充実していたが、やっぱり1泊というのは島を全て見て回るには時間が足りないと感じた。しかしそれも効率的にトカラ列島7つ全ての島を巡る旅を達成させるためにやむを得ない選択肢だったと言えよう。もしかしたら今回の旅で1泊しかできなかった島はやがてもっと見てみたかったという思いが強くなって、将来再び訪れてしまうかもしれない。
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