雪に閉ざされたこの季節、東北地方の秘湯巡りの旅に出よう!!!!!
湯の神とは何か?日本昔ばなし「湯侍とあんま」を見て東北地方の秘湯巡りの旅を開始した
・日本昔ばなし「湯侍とあんま」のあらすじ
・日本人にとって温泉とは一種の宗教
・雪に閉ざされた東北地方の秘湯巡りの旅に出る
目次
・日本昔ばなし「湯侍とあんま」のあらすじ
突然ですが日本昔話を始めます。昔むかしあるところに…
昔むかし山形県上山(かみのやま)に赤倉又右衛門(あかくらまたえもん)という、温泉の取り締まりをしている湯侍(ゆざむらい)がいた。温泉は普通の人が湯治に来る下湯(しもゆ)と、代官藩主以外入れない上湯(かみゆ)に分かれていた。又右衛門は鍵を預かり、身分が高い者も低い者も安心して湯治ができるよう、毎日温泉一帯を見回るのを仕事としていた。丑の刻になるともう湯に入ってはいけない決まりになっており、又右衛門は毎晩の仕事が終わると誰にも邪魔されず1人で下湯に入り疲れを癒すのを日課としていた。
しかしある夜から見かけたことのないおじいさんが下湯に入ってくるようになった。もう湯に入ってはいけない時刻で、下湯の扉の鍵も閉めたというのに、毎晩どこからともなくやってくるそのおじいさんを又右衛門は怪しく思っていた。思い切って話しかけてみるとおじいさんは「これは又右衛門様、お役目ご苦労様です。オラはこの温泉のあんまです」と言い、あちらは又右衛門のことをよく知っている様子。2人は毎晩一緒に温泉に入るようになり、おじいさんは又右衛門の背中を流したりあんまをしてくれるようになった。
しかし目の悪いおじいさんがこんな真夜中に1人で風呂に入りに来るなんてどう考えてもおかしいと、どうしても疑惑を拭いきれなかった又右衛門は、おじいさんと本性を出させてやろうとしっぺはじき(じゃんけんで負けた方の額を勝った方が指ではじくこと)で遊ぶことにした。
目の悪い老人相手にじゃんけんで後出しばかりする又右衛門は連勝し、おじいさんのおでこはやがて赤く腫れ上がっていった。だがおじいさんは一向に正体を現さず、調子に乗りすぎたと思った又右衛門はそそくさと逃げるように帰っていった。
しかし実はおじいさんは目が見えていて、又右衛門がズルばかりしていたのを見抜いていた…!
帰り道、又右衛門は巨大な手に襲われ盛大に弾き飛ばされてしまう。そしてやっとの思いで番屋に帰り着くと、中にはなんとおじいさんが座って又右衛門を待ち構えており、さらにもう一発しっぺはじきを喰らう。
「わしは上山の湯の神じゃ。毎日見回りで疲れているおまえさんを労ってやろうとあんまになっていたんじゃ。おまえさんを疑わせて悪かったな。じゃがズルをしちゃいかんよ!アッハッハッハッハ!」と言っておじいさんは消えていった。又右衛門は「湯の神様!オラが悪かった!」と反省し、それからも真面目に見回りを続けたということだった。
・日本人にとって温泉とは一種の宗教
「湯侍とあんま」は、日本昔ばなしの中でも全く有名ではない回だろう。しかしぼくは最初動画を見た時からこの「湯侍とあんま」という物語にものすごく心が惹きつけられてしまった。まずこの物語が湯の神様を主題とした物語だと、タイトルから全く想像できないという点が非常に面白い。タイトルには”湯侍”と”あんま”という情報しか出てこないので、この物語に出てくるかなり不思議で怪しいおじいさんの正体が一体何であるのか最後まで一切わからないまま、ある種の不気味な感情を抱きながら話が展開されていく。そして最後におじいさんが湯の神様なのだとわかり、そうだったのかという明るい感動が心の中に広がっていくのを感じるのだった。
日本の温泉地を巡っていると、必ずと言っていいほど温泉のそばに神様や仏様が祀られているのを目撃する。それを見るだけでも日本人が温泉というものに神様の存在(神性)を潜在的に感じ取っているのだと理解するのに十分だった。これほどまでに温泉をこよなく愛し、温泉が生活や生命に根差している民族が果たしてこの世界中にいるだろうか。ぼくは温泉というものは日本人にとって宗教的な要素が強いと常々感じていた。日本人ならば誰でも温泉が自分の肉体や精神や健康にとっていいはずだと、心のどこかで強く信じているのではないだろうか。しかし冷静に考えてみると地面からたまたま湧き出てきた自然の液体が必ずしも人間の健康を考慮した組成となっているとは考えにくい。にもかかわらずぼくたちが温泉ならば全てが健康にいいはずだと信じ込んで湯に浸かってしまうのは、ある種の合理性や科学的分析を超越した、温泉というものに対する熱心な信仰心や宗教心なのではないだろうか。
日本は多神教の国で、八百万の神様が存在していると言われる。山には山の神様がいて、海には海の神様がいて、火には火の神様がいて、水には水の神様がいるが、やはり湯の神様という温泉の神様も遠い昔から人々の心の中に存在していたのだと、ぼくたちはこの日本昔ばなし「湯侍とあんま」を見て実感として伝え知ることができる。
また日本人にとって神様とはどのような存在であるかも、この「湯侍とあんま」では伺い知ることができると感じる。日本人にとって神様とは、極めて尊くあまりにも遠い存在で、手に触れることも目に見ることもできないものだというよりもむしろ、このおじいさんのように一緒にお風呂に入ってくれたり、背中を流してくれたり、マッサージをしてくれたり、かと思えばやはりこの世のものではない超人的な力を発揮して、人間を戒めたり畏れさせるような力をも持っているというような、親しみ易さと神性を同時に秘めた矛盾する掴みどころのない存在なのではないだろうか。
・雪に閉ざされた東北地方の秘湯巡りの旅に出る
関西で生まれ育ち、10年近く琉球諸島で暮らしたぼくに圧倒的に足りないのは、北国という要素だった。白銀の雪の世界に囲まれて生きるということも、それが悲しいことなのか嬉しいことなのか、全く実感として理解できないままで人生の旅路を通り過ぎた。天職であるコロナワクチンバイトも終幕を迎えつつあり、東京で水曜日〜土曜日の労働は固定しつつもそれ以外は予定が空いていたので、せっかくならば残りの日曜日〜火曜日は東京にいる今しか行けない場所へ行こうと思い立ち、東北地方の温泉巡りに出かけることにした。雪に完全に閉ざされていそうな真冬のこの季節、東北地方の秘湯巡りを通して日本のまだ見たことのない新たな側面を発見しようとする試みだった。
そして北国の秘湯を巡ってわかったことがある。日本には、湯の神様が、本当に、いる…!!
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