見たことも聞いたこともない特別な貸切温泉がここに!!!!!

まるで殿様気分の貸切風呂!宮城県青根温泉「不忘閣」の登録有形文化財で入れる「蔵湯」が唯一無二だった
・毎週東京から東北の温泉旅行に出かけよう
・宮城県青根温泉「不忘閣」へのアクセス方法
・宮城県青根温泉「不忘閣」の宿泊料金
・伊達家とも縁が深い500年間続く「不忘閣」の歴史
・「不忘閣」で宿泊した部屋は長い階段の先に
・国の登録有形文化財の建築内に泊まれる「不忘閣」はまるで博物館
・登録有形文化財の個室で食べられる「不忘閣」の贅沢な食事
・登録有形文化財の蔵の中にある貸切温泉「蔵湯」で殿様気分になれた
・階段の底にある貸切温泉「新湯」も500年の歴史があった
・「不忘閣」で最も広大な湯船「大湯」は江戸時代の趣
・どこにあるのかわからない「亥之輔の湯」
・温泉旅行とは全く関係のないお漏らし事件の話
目次
- ・毎週東京から東北の温泉旅行に出かけよう
- ・宮城県青根温泉「不忘閣」へのアクセス方法
- ・宮城県青根温泉「不忘閣」の宿泊料金
- ・伊達家とも縁が深い500年間続く「不忘閣」の歴史
- ・「不忘閣」で宿泊した部屋は長い階段の先に
- ・国の登録有形文化財の建築内に泊まれる「不忘閣」はまるで博物館
- ・登録有形文化財の個室で食べられる「不忘閣」の贅沢な食事
- ・登録有形文化財の蔵の中にある貸切温泉「蔵湯」で殿様気分になれた
- ・階段の底にある貸切温泉「新湯」も500年の歴史があった
- ・「不忘閣」で最も広大な湯船「大湯」は江戸時代の趣
- ・どこにあるのかわからない「亥之輔の湯」
- ・温泉旅行とは全く関係のないお漏らし事件の話
- ・真冬の東北地方秘湯巡りの記事はこちら!
・毎週東京から東北の温泉旅行に出かけよう

ぼくは今どこの病院にも組織にも属さないフリーランスの医師として、日本全国でコロナワクチンのスポットバイトをしながら生計を立てている。2021年6月末から大阪市でコロナワクチンバイトを開始し、そこからいくつかの医師派遣サイトに登録しスポットバイト案件を手に入れる術を身につけ、コロナワクチンバイトに従事しながら日本各地をさながら旅するように渡り歩き、もはや3年以上の月日が流れ去ってしまった。
この3年間を振り返ると、西日本は大阪を中心として兵庫県、奈良県、京都府、さらには広島県までコロナワクチンバイトをするために渡り歩いた、東日本は東京を中心として周辺の千葉県、埼玉県、神奈川県、茨城県はもちろんのこと、北関東の群馬県や栃木県、さらには静岡県の富士山の絶景が見える街で1か月暮らしてみたり、愛知県では訪問のコロナワクチンバイトに挑戦したり、もはや本州に別れを告げ北海道の東の果て・釧路まで飛び出したこともあった。まるで労働をしながら日本一周の旅でもしているようだった。
そんなぼくのコロナワクチンバイトの最後の会場は東京都庁45階展望台、まさに東京の中心・日本の真ん中の最上階と呼ぶべき場所で行われることが決まった。しかし最後まで残った日本で唯一の大規模接種会場ということもあり、都庁のワクチンは水曜日~土曜日しか開催されなかった。関西在住で東京に家がないぼくは空白の日曜日~火曜日をどうしようかと迷ったが、どうせなら東京を拠点に暮らしている今しかできないことをやろうと思い立ち、毎週日曜日~火曜日は2泊3日の東北温泉旅行に出かけることにした。
関西に住んでいると東北地方の温泉は遠くてなかなか行けないので非常にいい機会だと思ったのだ。しかも1~3月の真冬の東北の秘湯なんて、日本人のぼくにとっては何となく憧れだった。こうして3か月に及ぶ、毎週東北温泉の旅が始まった。宿を選ぶ際には「秘湯を守る会」や「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」を大いに参考にした。
・宮城県青根温泉「不忘閣」へのアクセス方法
今回訪れたのは、宮城県の山奥にある青根温泉「不忘閣」という温泉旅館だった。
「不忘閣」へ行くためにはまず東北新幹線やまびこに乗って白石蔵王駅まで移動、そこから遠刈田温泉行きのバスに乗り換える必要がある。終点のアクディブリゾーツ宮城蔵王というバス停で降りると、そこからは無料で旅館まで送迎してくれる仕組みになっていた。


遠刈田温泉といえばこけしが有名で、ぼくが2020年に日本一周・車中泊の旅をした時も立ち寄ってこけしを買ったことがあった。青根温泉と言われても聞き慣れなかったが、遠刈田温泉と聞くと行ったことがあるので一気に親近感が湧いた。
ちなみにぼくはこの冬東北地方の秘湯を散々巡ったおかげで、東京から福島県までならば長距離バスで移動可能な範囲だということを知った。福島県よりも遠くなると時間がかかりすぎるので使えないが、福島県までなら長距離バスは格安なので積極的に使っていきたい。先進国である日本の長距離バスは安いのにとても快適だ。
今回も行きは温泉でゆっくりできる時間を多く取るために新幹線を利用したが、帰りは遅くなっても問題ないのでバスは途中の白石駅で下車し、そこから在来線で福島駅まで、そこから長距離バスに乗り込むと3920円で東京へ帰ることができた。長距離バスは楽天トラベルから予約するのが最も便利で使いやすかった。
・宮城県青根温泉「不忘閣」の宿泊料金

「不忘閣」は公式ホームページから予約。料金は1泊2食付き18900円で、ぼくは2連泊することにしたので37800円となった。
・伊達家とも縁が深い500年間続く「不忘閣」の歴史


「不忘閣」は江戸時代から21代、約500年も続いている歴史ある温泉旅館。国の登録有形文化財の建築が7棟あり、現在も浴場や食事処として活用されている。江戸時代には地元藩主である伊達家との関係も深く、湯治場として藩士たちに利用されていた。伊達家の保護下で湯治場には温泉を管理する「湯守(ゆもり)」という制度が設けられ、「不忘閣」の創業家である武田家はこの湯守を代々務めており、藩命に基づいて湯を管理・提供する特別な地位にあったということだ。「不忘閣」は泊まるだけでそんな深い歴史を感じさせてくれる特別な温泉旅館だった。
・「不忘閣」で宿泊した部屋は長い階段の先に


「不忘閣」で宿泊した部屋はこんな感じで綺麗な和室。

「不忘閣」内部はかなり広大で高低差もあり、ぼくが泊まった部屋も長い階段をひたすらに登らないと辿り着けなかった。何だか伝統的な建物内の迷路を冒険しているようでワクワクするような一面はあるものの、足の悪いお年寄りなどは泊まるのが大変だと感じた。若くて健康な今に来られてよかった旅館だと言えるだろう。
・国の登録有形文化財の建築内に泊まれる「不忘閣」はまるで博物館


落ち着いた雰囲気のフロントはこんな感じ。





ラウンジのような湯上がり処には、こけしなどの東北地方らしい人形が並んでいて風情がある。ここでは無料で日本酒をいただくこともできた。











宿泊客は朝になると女将さんがガイドしてくれるツアーのような形で、国の登録有形文化財の建築内部を見学することができる。建物内はさながら博物館のようになっており、伊達家や湯守に関する展示品を鑑賞することができた。
・登録有形文化財の個室で食べられる「不忘閣」の贅沢な食事
「不忘閣」は食事も素晴らしかった!歴史ある登録有形文化財の建物内の個室でいただける夕食と朝食は、なんだか殿様になったような気分にさせてくれる。特に夕食は工夫の凝らされた料理が次から次へと運ばれて来るので視覚的にも美しくて興味深く、味の満足感も高かった。













1日目の夕食はこんな感じ。











2日目の夕食はこんな感じ。



朝食はこんな感じだった。
・登録有形文化財の蔵の中にある貸切温泉「蔵湯」で殿様気分になれた

「御殿湯」
「不忘閣」には合計で6つもの浴場があり、「御殿湯」「大湯」「新湯」「蔵湯」「亥之輔の湯」のうち2つある「御殿湯」は男女入れ替え制だった。「御殿湯」はこれと言った特徴のない最もスタンダードな内湯だったが、体を洗うことができるのはここだけだった。

「蔵湯」と「新湯」の札
「不忘閣」で強烈に印象に残ったのは30分間貸切にすることができる「蔵湯」と「新湯」だった。「蔵湯」と「新湯」はフロントに大きな札が置いてあり、その札を持ち出して入口に立てかけておくことで利用できる特別な貸切温泉風呂になっていた。この「蔵湯」と「新湯」はこれまでの人生で体験したこともないような特別な温泉だった!
「蔵湯」はその名の通り、蔵の中に湯船があるという見たことも聞いたこともない温泉だった。さらにこの蔵も登録有形文化財に指定されているというから驚きだ。

「蔵湯」までの通路

「蔵湯」への通路にある神様の祠
「蔵湯」までの薄暗い通路には神様の祠があり、湯の神様が祀られているのだろうか、もはや異世界へといざなわれている感覚すらある。蔵の重厚な扉を開ける前にはどこからともなく和風の音楽まで流れてきて、これから何が特別な出来事が起こるであろうことを予感させる。そして扉を開けるとものすごく広大な空間が広がっていて、その中に照明に照らされた神秘的な湯船が浮かび上がるように出現した!もはや目の前で何が起こっているのかわからず、呆気に取られるばかりだった。

「蔵湯」

「蔵湯」

「蔵湯」
貸切の湯船はとても大きな檜風呂になっており、1人で入ると快適なことこの上なく、歴史的な建造物の中で光にも照らされたてまるで殿様になったような気分だった。お湯は無色透明の源泉かけ流しで、温度はやや熱めだったので長くは入っていられなかった。この「蔵湯」に限らず、「不忘閣」のお湯はぼくの中ではどの浴場もかなり熱めの印象だった。
唯一無二の貸切温泉だった「蔵湯」のYouTube動画はこちら!
・階段の底にある貸切温泉「新湯」も500年の歴史があった

「新湯」への階段

「新湯」への通路にあるお面

「新湯」

「新湯」
同じく札を取って貸切ることのできる「新湯」は、その名の通り新しく建てられたような和風の綺麗な建物の階段を下って行った先に現れる、石組みの湯船の温泉だった。しかしこの「新湯」も実際には500年前から存在しているらしく、新しいというよりもむしろ歴史のある湯船だった。「新湯」を取り囲む建物の木はベージュ色で新しい印象だったが、これから歴史を刻む度にまた濃い色へと変色していくのかもしれない。
「新湯」のYouTube動画はこちら!
・「不忘閣」で最も広大な湯船「大湯」は江戸時代の趣

「大湯」の入口
「不忘閣」で最も広大な湯船「大湯」では、本当に江戸時代にタイムスリップしたかのような不思議で特別な感覚を味わうことができた。この石風呂は400年の歴史があり、30人の人夫が2年かかって作り上げたのだという。

「大湯」

「大湯」

「大湯」
とても広大な湯船なのにぼくが行った時には誰も来ず、ひとり静かに温泉と向き合う時間がより一層神秘的で贅沢な体験になった。
・どこにあるのかわからない「亥之輔の湯」
札はないが小さな貸切風呂の「亥之輔の湯」は、最初どうやって入るのか、どれが扉なのか全くわからないような作りになっていて困惑した。
最初入ろうとした時は本当にどこに湯船があるのかわからずに、その辺にいた旅館で働いていた若めの女性従業員にどうやって「亥之輔の湯」に入るのか聞いたが、全くよくわからない的を得ない説明をされた後に「ではよろしくお願いします」と一方的に会話を打ち切られてしまいとても印象が悪かった。忙しかったのかもしれないが他の従業員の対応は問題なかった分、この人の態度が悪かったせいで「不忘閣」によくない思い出が残ってしまったのは残念だ。
この役に立たない女性従業員の説明は全く参考にならず、自力で「亥之輔の湯」への扉を見つけた時は壁だと思っていた部分が実は扉だったので心底驚いたが、兎にも角にも「亥之輔の湯」の湯船を発見することができた。

「亥之輔の湯」

「亥之輔の湯」
「亥之輔の湯」はとても小さいが不思議な形をした石風呂で、ここは貸切風呂であるにも関わらず札もないので30分間という制限もなくとてもゆっくりできたのでぼくの中では好印象だった。
・温泉旅行とは全く関係のないお漏らし事件の話
ここからは温泉とは全く関係のない話になってしまうが、呑気にこの「亥之輔の湯」に入っていた時に大事件が起こった。何とMRTの3月分の都庁案件が出てしまっていたのだ!ぼくがのんびりと「亥之輔の湯」に入ってからスマホを見ると、3月分の案件がもうほとんど残っていないような状態で大ショックを受けた。ボケーっと温泉になんて入っている場合じゃなかった!ちゃんと常にスマホを確認しておけばよかったと思っても後の祭りだった。

暇だったので温泉で記念撮影していたが、全然そんな場合じゃなかった…
後悔しつつも表示されている案件を必死に全部取り終わったが、たったの2個を確保しただけで終了。3年間やってきたコロナワクチンバイトの最後の最後がこんな結末じゃ流石に救いがなさすぎる!!!!!しかし落ち着いて考えてみると、こんなに短時間で全部消えることなんてあるのだろうかと疑問に思えてきた。都庁案件は特別に選ばれた医師にしか案件が見られない仕組みになっているらしく、1月2月と見てきてそんなにすぐには消えなかったからだ。
ぼくは都庁の医師仲間に全日程が出たのか情報収集してみたが、どうやら一部の日程しか出ていないかもという結論に至った。しかし選ばれた医師しか見られない案件なので情報が少なすぎて、もしかしたら全日程出たのかもしれないね、でも一部の日程しか出ていない可能性が高いかもねという曖昧な結論しか導き出すことができなかった。当然のことながら、ここからは全然温泉旅行なんて楽しめなかった。
ぼくが「不忘閣」に泊まった2泊3日のうち、この大事件は2日目に起きたので、1日目は最高に満足した夜ご飯も、2日目には味がほとんどわからないと感じてしまうほどだった。1日目と変わらずにとても豪華で素晴らしい夕食のはずなのに、料理というものはその人の心理状態で全く同じような質のものであっても、とても美味しいと大満足したり味がしないと落ち込んでしまったりするものなのだと驚いた。味は味蕾細胞だけに左右されるものではないのだ。
結局は案件はほんの一部しか出ておらず、翌日の福島駅からバスタ新宿に向かう長距離バスの中で3月の案件が一気に出て、ぼくは全日程を抑えることができたので結果オーライなのだが、それならば昨日の案件のお漏らしは何だったのだろうと怒りを禁じ得ない。昨日の無意味な案件のお漏らしさえなければ、ぼくは「不忘閣」を丸々全日程何の憂いもなく完璧に楽しむことができたのに!しかしこれまでの3年間、ぼくに巨額の富を運んできてくれたMRTが、最後にちょっとお漏らしで失敗したくらいでもはや怒ることもあるまい。逆に今まで本当にどうもありがとうと、床のお漏らしを拭いてあげるくらいの感謝の心意気が大切ではないだろうか。
このような経緯でぼくはコロナワクチンの歴史上最後に当たる3月において、全日程フルで医師としての重要な役割を全うすることができた。のんびりと働いて給料を得ているかのように見えるフリーランス医師でも、裏ではこのように艱難辛苦や紆余曲折の事情があるのだということを知る人は少ない。
・真冬の東北地方秘湯巡りの記事はこちら!
