世界一美しいカフェ!ブダペストのNew York Cafeに行ってきた

 

こんなにも華やかで美しいカフェがこの世にあったのかと驚いた。

世界一美しいカフェ!ブダペストのNew York Cafeに行ってきた

・カフェ巡りの嗜好
・世界一美しいNew York Cafe
・華やかなNew York Cafe
・New York Cafeのメニュー
・ハンガリー料理のグラーシュ
・日本食の尊さ
・New York Cafe写真集
・時空の門

・カフェ巡りの嗜好

 

ぼくはカフェ巡りが好きだ。日本でも面白そうな独特のカフェがあれば訪れるし、外国でも「その街の名前 カフェ」などと調べてその街のカフェをあらかじめチェックするようにしている。カフェはその地域で特徴があるから興味深い。

例えばぼくは沖縄に10年住んでいたが、沖縄のカフェはやはり他の地域とは違うクリエイティブな内装や島の食べ物を使ったメニューなどが魅力的であった。しかしセンスのいいカフェは大概地元沖縄の人ではなく、内地の人(沖縄ではない人)が営んでいるという特徴があったことも事実である。

 

エストニア・タリンのレトロカフェPierre Chocolaterie

ぼくはカフェといえばなんだかこじんまりした、狭くて可愛い場所を想像していた。それは日本でもそうだったし、バルトの国々でカフェを回った時もだいたいそんな感じだったからだ。その方が落ち着くし、個人経営っぽいところが親しみやすいし、独自の世界観が伝わりやすいし、カフェはなんとなくそんな感じの可愛らしいものだと思っていたのだ。しかしここハンガリーの首都・ブダペストでその思いは覆されることになる。

 

 

・世界一美しいNew York Cafe

ぼくは例のごとく「ブダペスト カフェ」でネット検索していた。ブダペストはウィーンと近いこともありカフェ文化が盛んらしく、たくさんのカフェ情報が出てきた。その中でも頻回に出現したのは、世界一美しいと言われるNew York Cafeである。

世界一美しいとはいったいどれほどのものなのか。第一ぼくの中ではカフェと美しいという組み合わせがあまりしっくりこない。先ほども申し上げた通りカフェとはなんとなく小さくて可愛らしいものだと思っていたからだ。

そもそもカフェってなんなのだろう。ぼくは昔から気になっていたことだがcoffeeとcafeは何か関係があるのだろうか。とても発音や綴りが似ている気がするのだが、コーヒーを飲む場所だからカフェというのだろうか?それとも逆にカフェで出され始めた液体だからコーヒーと名付けられたのだろうか?カフェはコーヒーの語源もしくはコーヒーはカフェの語源なのだろうか?確かにカフェではコーヒーを出すというところが多い気がするがすべてでもない気もする。元々はコーヒーを飲む場所という意味だったが、次第に喫茶店にような感じに意味が広がっていき、コーヒーを出さないカフェなども出現したということだろうか。検索すればわかることなのかもしれないがどうでもいいことなので調べないまま今に至る。

とりあえず世界一美しいと言われるNew York Cafeをこの目で確かめずにはいられない。

 

・華やかなNew York Cafe

New York Cafeは宿泊しているホテルのすぐそばにあった。外から見ただけでもはや華やかな印象がある。どうやらホテルと繋がっているようだ。有名らしくカフェの外にまで順番待ちの列ができていた。こんなに並んでいるとは思いもよらなかったがせっかくここまで来たので大人しく順番待ちの列に並んだ。

回転は速いらしくすぐに建物の中にまで入ることができた。そこはもはや別世界だった。中に入った途端に目に入ってくる彫刻や天井の絵画、美しい照明の数々。まるでここは美術館かと目を疑った。彫刻の前には泉が水を湛えそこに向けお客が楽しそうにコインを投げて祈りを込めている。もはやここはカフェではなく広場のようだ。華やかで奥行きのある空間が階段を通じて上下に広がっており、果たしてどこまでがカフェなのか検討がつかない。なるほどこれでは世界一美しいと銘打たれるのも納得だ。こんなカフェは今までに見たことがないほどに、豪華で美しい。さぞかしメニューの値段も高いのではなかろうかと心配になった。

 

・New York Cafeのメニュー

列に並んでから20分ほどで席に座ることができた。

メニューを見るとそれほど高価でもない。メインの食事なら20ユーロほど。スープやスイーツなら10ユーロほどで注文可能である。メニューは写真付きでイメージしやすく注文しやすい。スイーツにはケーキやアイス、アフタヌーンティーなども豊富にあり選ぶのに迷ってしまうほどである。

ぼくは夕食時に訪れたので、牛肉のグラーシュを注文した。これはスープのメニュー欄にあり値段も10ユーロと手頃だった。これがとても美味しくて注文してよかったと感じた。

 

・ハンガリー料理のグラーシュ

グラーシュとはハンガリー料理の定番で、味はビーフシチューのようだった。しかし食感としてはビーフシチューよりも粘り気が少なくスープに近いような感じだ。ここには牛肉のほかに人参などの野菜類、そして豆がたくさん入っていたのでそれがとても嬉しかった。

考えてみれば中欧に入ってからというものもっぱら食事形態が肉食へと変化していた。中欧は肉料理の地域なのだ。チェコでも肉、ポーランドでも肉、ハンガリーでも肉と肉だらけだった。そしてやはり肉ばかりだとなんだか体が違和感を感じるようになった。

 

 

・日本食の尊さ

日本で住んでいると気づかないことだが、日本人というものは日常において実に多種類の食物を食べているなぁと感じる。新鮮な野菜、新鮮な海産物、そしてお肉など多種多様な食事をバランスよく食べることができる。それは日本が、海に囲まれ山に閉ざされた自然豊かな島国であるということが関係していることは言うまでもないだろう。すぐそこに海、すぐそこに山があるからこそ、様々な種類の食べ物を新鮮なままで食べることができる。これはなんてありがたい自然の恩寵なのだろう。そしてその多種多様な食物を、その素材をきちんと活かした、食物そのものの良さを引き立てることによって食べようとするその料理の在り方、人々の感性には、実に尊いものを感じる。

ヨーロッパに来ると意外と食の文化が貧しいことを感じざるを得ない。それはおそらく寒冷な気候や地形も影響していることだろう。単一的な種類の食事、情緒のない甘さのお菓子、新鮮ではない保存食の食べ物などに頻繁に触れていると、やはり物足りなさを感じ始めてしまう。海外旅行をした日本人は日本の食べ物がいちばんいいと感じることが多いというがこれにはぼくも納得である。

日本人は雑食のようなものではないかと感じる。肉や魚、海鮮、野菜それぞれを新鮮な状態で食べられてやっと体が納得するようにできているのだ。それらをバランスよく食べていることが世界でいちばん長生きする秘訣なのかもしれない。

このグラーシュには、肉のほかに豊富な豆、豊富な野菜がバランスよく含まれており、ぼくは多種多様な食物に体が喜んでいることを肌で感じた。単一的な食事というのはやはり違和感を感じざるを得ないのだ。たくさんの種類の食べ物をバランスよく食べてこそ健やかな幸福を覚えられる。ぼくはこれからも欧州では自炊を心がけようと思った。

 

 

・New York Cafe写真集

この世界一と言われるカフェの華やかな美しさを写真でご覧ください。

 

・時空の門

 

ぼくは特にこの階段を下る前にある時計のついた門のような装飾がお気に入りだった。美しさの他に、なんだか時間を超えてどこかへと導かれるような哲学的な趣を感じる。しかもそれが二重構造になっているからなおさらのことだ。門を超えて異界への扉が開かれるのかと思えば、またすぐに門を超えてこの世へと引き戻されてしまう。いったいこの構造は何を意図して創られたのだろう。

これはもしかして旅と似ている。ひとつの門を超えて異国という異界へと、旅人は赴く。そしてやがてまた門を超えて祖国へと帰り着く。帰り着いた先は同じ「祖国」でも、旅を経てきた旅人は、以前とは少しズレた軌道の中にある「祖国」の中にたたずむことになるだろう。それはまるでさながら日本の伝統芸能・能の世界観である。

 

 

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旅と能の関係 〜逃げ場を失くした魂たちへ〜

 

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