ホワイトテンプル、ブルーテンプルの次はブラックハウスだ!!!!!
生命の根源エネルギーが爆発!チェンライのブラックハウス(バーン・ダム・ミュージアム)でタワン・ダッチャニーの絵画を鑑賞した
・ホワイトテンプル、ブルーテンプルの次はブラックハウスへ行こう!
・生命の根源的エネルギーがひしひしと感じられるタワン・ダッチャニーの絵画は見応えがあった
・動物の骨のオブジェが死の威厳を予感させる
・巨大勃起男根の木造に男根型の柄杓!ブラックハウスは性的エネルギーに満ちていた
目次
・ホワイトテンプル、ブルーテンプルの次はブラックハウスへ行こう!
チェンライは芸術的で先進的で美しい仏教寺院が多すぎる!!チャルムチャイ・コーシッピパットさんが作ったホワイトテンプル、スラーノック(プッター・ガープケオ)さんが作ったブルーテンプルを巡った後、ぼくたちは引き続きレンタルバイクでブラックハウスに向かうことにした。
白い寺、葵寺と来て次は黒い家を訪ねようという色にちなんだものすごく単純な旅路となったが、実際のところぼくはブラックハウスについて何も知らないままで訪れてしまった。ホワイトテンプルもブルーテンプルも信じられないくらい美しい仏教寺院だったので、今度も黒い仏教寺院なのだろうか、それにしてはブラックテンプルじゃなくてブラックハウスという名前なのは妙だな、ホワイトテンプルやブルーテンプルは有名でよくインターネット上で写真を見かけるのに、黒いお寺なんか見たことないなぁなどと考えを巡らせながらブラックハウスに到着した。
するとそこでやっとブラックハウスは仏教寺院ではないことが判明した!ブラックハウスは本名「バーン・ダム・ミュージアム」という美術館なのだそうだ。どおりでブラックな仏教寺院の写真なんて見たことがないはずだった、そんなものはチェンライに存在していなかったからだ。バーン・ダム・ミュージアムはチェンライ出身の芸術家タワン・ダッチャニーによって作られたという。タイの芸術家のことを全く知らないぼくは最初「誰やねん!」と心の中で思っていたが、実際にバーン・ダム・ミュージアムで彼の絵画を鑑賞するとそれはそれは感動的だった!タイのアーティストの情熱や感性ってすごい!
・生命の根源的エネルギーがひしひしと感じられるタワン・ダッチャニーの絵画は見応えがあった
料金80バーツを支払って中まで進んでいく。すると本当に黒い家=ブラックハウスが目の前に現れた!このバーン・ダム・ミュージアムのメインはこの美術館棟だという。美術館棟の内部にはそれはそれは不思議な世界が繰り広げられていた!
まず建物全体に渡って展示されているのはタワン・ダッチャニーによる凄まじい絵画の数々!剥き出しの野性がまさに絵から飛び出てこちらにまで襲ってくるのではないかと思ってしまうほどの迫力に満ちている!さらに赤と黒で統一されている色彩がより一層抑えることのできない野性的な獰猛さ、荒々しさを強調させている。
主に怒りに満ちた荒れ狂う動物たちが描かれているが、これは恐らく動物を主題とした作品というよりはむしろ、ぼくたち人間の根源に今なお眠っている野性的・動物的・本能的な核心的な部分のおぞましさが動物というテーマを通して表現されているのだろう。死に物狂いで、真剣に、今という瞬間瞬間を必死に生きる野生動物たちのエネルギーはやがて巨大な怒りへと繋がり、燃え盛るような怒りの炎が全ての作品を包み込んで離さない。精神の根本に宿りながら生命に衝動を与え続ける、フロイトの心理学で言うところのエス(=渾沌、沸き立つ興奮に充ちた釜)のような無尽蔵で絶対的な根源的核心をひしひしと感じさせられて、ぼくの精神も共鳴せざるを得なかった。こんな素晴らしい芸術作品にタイ北部の小さな町で出会えるなんて、何と幸運なことだろう!
・動物の骨のオブジェが死の威厳を予感させる
絵画の迫力にすっかり圧倒されてしまいそうになるが、美術館棟には他にも不思議で神秘的なタイの民芸品で溢れていた!
館内の至る所で見られる動物の骨が生々しい。あまりに膨大な生命エネルギーを感じさせるタワン・ダッチャニーの絵画とは対照的に、動物の骨は静寂に満ちた「死」を語っている。
生命力溢れるタワン・ダッチャニーの絵画と死の威厳を感じさせる動物の骨の前で写真を撮ると、まるで生と死の激しい渦に巻き込まれているようで不思議なエナジーを獲得した気分だった。
・巨大勃起男根の木造に男根型の柄杓!ブラックハウスは性的エネルギーに満ちていた
さらに興味深かったのは、巨大な勃起した男根を持つ不思議な木像!胴体の大きさに対する比率として男根があまりに大きすぎることから、敢えて像の男根を巨大化しさらに天に向かってそそり立たせることで溢れんばかりの性的エネルギーをダイナミックに表現していることがわかる。
また男根を象った不思議な柄杓(?)も発見!これはさすがに芸術作品ではなくタイの民芸品の部類なのだろうか。しかし赤色と黒色でタワン・ダッチャニーの絵のように色彩が統一されているので彼の作品である可能性もある。彼は芸術家として絵を描くだけではなくて男根の柄杓までせっせと作り出したのだろうか。
・今この瞬間に世界を生き抜こうと覚悟する根源的エネルギーは「怒り」と「死」と「性」を繋げる
このように見ていくとブラックハウスの展示には何だか統一感がないようにも見受けられるかもしれない。しかしぼくの中でバーン・ダム・ミュージアムの展示にはとてもまとまりやブレない芯のようなものが感じられて、やはりタワン・ダッチャニーは素晴らしい芸術家だったのだろうと感心してしまった。ぼくがバーン・ダム・ミュージアムの作品群に共通して見出したものは、人間の奥底に隠されている野性的で根源的なエネルギーだった。それは人間だけではなく野生動物でさえ同様に持ち合わせている、生命として普遍的な絶対的エネルギーだ。
本気で必死に生き抜こうと無我夢中で世界を突き進んでいく生命の形相は、まさに怒りに満ち溢れているように見えるだろう。怒りに満ち溢れていることと、必死に生き抜くことの境界線は果たしてどこにあるのだろうか。日本の不動明王像の形相が怒っているように見えるのは実は憤怒によるものではなく、必死になって民衆を救い出そうとしているお顔だという解釈を聞いた時ぼくの中で深く納得がいった。同時にぼくの根源にもマグマのような世界に対する怒りが絶えず燃え盛っているが、それは必死にこの世界を生き抜こうと覚悟した裏返しなのだろう。
タワン・ダッチャニーの絵画の中でも野生動物が必死に世界を生き抜こうと突き進む生き様が、まるで怒りに満ち溢れたような赤々とした色彩と表情で表現されているのは極めて自然なことだ。彼の絵の中でも、不動明王の形相と同じように、「必死に生き抜く決意」と「怒りのエネルギー」が境界線を設けることなく同化している。その根源的・本能的エネルギーの泉源にどんな名前をつけようと自由だが、例のひとつとして先ほども既述したようにフロイトのエス(=渾沌、沸き立つ興奮に充ちた釜)があるのではないだろうか。
必死に、真剣に、荒々しく世界を生き抜く者たちは、あまりに膨大な生命エネルギーに満ち溢れているために、矛盾するように最も「死」に近しい者たちだ。過去を悔いることなく、未来を思い煩うことなく、今という瞬間瞬間を燃え盛るように生きる者たちは、その他の臆病な種族たちに比べて卑しく死を恐れる必要がない。なぜなら自分が死なないために生きているわけではないと、死なないことよりももっと恐ろしいことがあるのだと、それは自らの根源に燃え盛る”魂の使命”を果たせないことなのだと、直感的に誰よりも分かりきっているからだ。”魂の使命”を果たすためならば、ぼくたちは死さえ恐れることなく突き進むだろう。それゆえに巨大な生命エネルギーは厳格な死と隣接し、”生命エネルギーの象徴”であるタワン・ダッチャニーの絵画と”死の象徴”である動物の骨たちは、バーン・ダム・ミュージアムの中で違和感なく同居している。
さらに重要なのは、エスはその創造的エネルギーによって無意識の中にリビドー(性的エネルギー)を生み出すということだ。肉体が成熟した人間そして動物は、性的エネルギーの本能的な衝動に支配されながら、突き動かされるようにして生命を駆け抜けていく。性的エネルギーが満ちれば満ちるほど生命全体のエネルギーも増幅され、ぼくたちは力強く世界を生き抜くことができる。必死にこの世界を駆け抜ける原動力として、生命の根源エネルギーの中で最も重要な位置を占めている無尽蔵の性的エネルギーの発揮は欠かせない。
さらに言えば性的エネルギーの衝動が最大限に発揮される性行為というものが快楽に満ちているというのは本当だろうか。それはよく”性的快楽”などと表現されていることが多いが、その割に”性的快楽”を享受している人々の顔は快楽というよりも苦痛を耐え忍んでいるような必死の表情をしていることが多いのは気のせいだろうか。性的エネルギーの行き着く先は実は快楽ではなく、必死に何か生きた証を残そうとする根源的な衝動に他ならないのではないだろうか。
必死に世界を生き抜こうとする魂の姿勢が、赤々と燃えた怒りの表現へと繋がり、恐れを知らない死へと繋がり、膨大な性的エネルギーを内包した巨大勃起男根へと繋がるということを踏まえると、このバーン・ダム・ミュージアムの展示内容は全てが潜在的な無意識に潜むエスという核心から発生されたもののような気がしてならない。後からインターネット見てみると、ブラックハウスは怖くて不気味で怪しいという否定的な感想を抱く人も少なくないようだが、必死に世界を生き抜こうと覚悟した魂を持つ人が訪れたなら、この上なく感動的な美術鑑賞となるのではないだろうか。
・バーン・ダム・ミュージアムは美術館棟外にも見所がいっぱいあった
バーン・ダム・ミュージアムの敷地は意外に広く、美術館棟を見終わって外に出ても見るべきものがたくさんあった!
東南アジアっぽい神秘的な石像に
やっぱりまだある骨のオブジェ!
ランナー建築というタイ北部の伝統的な建築様式って、屋根がものすごく日本の神社みたいに見えるのはぼくだけ?日本人ってもしかして、タイ北部の少数民族が東の島に移住してきたのかな?
そして巨大勃起男根の木造も再登場!一体この敷地内にこの像は何体あるのだろう。今回の木造は手の指まで男根のように作られていて、まさに全身生器、性欲の権化であることが示唆されていた。
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