金門島の風獅爺おもしろい!!!!!
世界の男根信仰と繋がる!あまりに男性的特徴を持つ台湾・金門島の風獅爺は男根の化身
・台湾金門島で発見した沖縄のシーサーにそっくりな風獅爺の謎
・日本に散りばめられた男根信仰の形
・ユーラシア大陸全域に広がる宿神もしくは男根的信仰
・あまりにも男性を主張する風獅爺は男根の化身
目次
・台湾金門島で発見した沖縄のシーサーにそっくりな風獅爺の謎
中国大陸福建省廈門から船で渡って来られる台湾の離島・金門島へやってきた。そこにはぼくが10年間住んでいた沖縄とあまりに似ているシーサーの姿や石敢當がいくつも見受けられ、ぼくは驚きを隠すことができなかった。金門島のシーサーは「風獅爺」と呼ばれている。シーサーはおじいさんだったのだ!
しかし金門島で10日間を過ごす間に、ぼくは沖縄のシーサーと金門島の風獅爺にはいくつかの重大な相違があることに気づかされ、その相違点をまとめた。
また金門島を一周しできるだけ多くの風獅爺を観察することで、一言で”風獅爺”と言ってもその形態は多種多様であり、謎は深まった。風獅爺は不思議なシーサーだ。なぜ風獅爺は赤いマントをしているのだろう?なぜ風獅爺は棒の形をしているものが多いのだろう?なぜ風獅爺はしばしば立派な男根を併せ持ち、その強い男性的特徴を主張するのだろう?
しかしぼくには直感的確信があった。それはあまりに男性的特徴を主張する風獅爺自身が、男根の化身であるということだ。
・日本に散りばめられた男根信仰の形
ぼくは世界一周と同時に日本一周も実行している。世界一周と日本一周を同時に進行させようというのが、ぼくの「ミズイロノタビ」における他にはないひとつのテーマだ。日本一周としては琉球諸島をめぐる旅や東北地方一周、生まれ故郷の紀伊半島を一周するなど多様な活動をしてきたが、その中でも日本における男根信仰の数々の祈りの姿を目撃してきた。男根を信仰することは俗物的な変態的行為ではなく、ぼくたちすべての生命の根源が男根に根ざしている限り、その祈りは必然的な発生と言える。
東北地方一周の旅のさなか、岩手県遠野で見かけた山奥の神社に祀られていた多数の木造の男根たち、日本最西端の与那国島で目撃した男根的な神聖な岩の神の姿、そして奈良県明日香村の飛鳥坐神社に祀られているたくさんの石の男性器と女性器たち。日本の古層の祈りは、根源的な生殖器信仰で満たされている。
・ユーラシア大陸全域に広がる宿神もしくは男根的信仰
さらに話を深めると、日本には国家ができるずっと以前より「宿神」と呼ばれる古代の石の神が存在していた。「宿神」はしばしば、男根を示す石棒や女性器を示す石や扇として神社に祀られる。
また「宿神」もしくは「ミシャグチ」は、日本の伝統芸能における最重要演目「翁」であり、赤子がこの世に誕生する際に頭にかぶっていた「胞衣」であり、さらにそれは「ずきんをかぶった子供」もしくは「包茎のペニス」にも象徴され、それらはこの世のものでもなくあの世のものでもない、境界線上の中間的な存在であるがゆえに霊力を保ち、表層的な神々や人間の力を裏で操り励起させる力を持っていた。その霊力はこの現代においても衰えていないと言える。
その霊力は国家さえ超え、西洋諸国のケルト文化においてでさえ「ずきんをかぶった子供」や「胞衣」の霊性として確認することができる。「宿神」の観念はいわばユーラシア大陸全域に広がりを見せ、さらには人間の精神に通底する祈りの観念を引き出すのに役立つだろう。
・あまりにも男性を主張する風獅爺は男根の化身
金門島を巡っていると、多種多様な姿かたちの風獅爺に巡り会える。色彩豊かなものから石色のもの、いかにも動物の形をしたものから石棒状のものからただの石状のもの、股間に立派な男根をつけたものやひょうたんをつけたものまである。
しかしその本来の姿としての原形はやはり、最もシンプルな形である「石ころ」もしくは「石棒」に帰着するだろう。赤いマントに包まれた「石ころ」や「石棒」を守り神だと崇め奉る人々の心。なぜそこに”赤いマント”が必要だったのだろう。それはユーラシア大陸全体を覆っている「宿神」から演繹されるように、赤いマントが「包皮」に見立てられた包茎的男根信仰の具象化ではないだろうか。
石棒はいうまでもなく男根を意味している。風獅爺がしばしば天を貫く石棒として表現され、その周囲を必ず赤いマントで囲っている事実は、この島の人々も古来より日本民族と同じように「包皮をかぶったペニス」すなわち「包茎」が境界線上に立つ中間的な神聖を帯びた存在として、世界を揺れ動かす「宿神」の役割を果たすと直感的に知っていたことを意味しているのではないだろうか。
風獅爺はあまりにその男根を主張し男性的であることを誇示している。それはそもそも、本来は風獅爺自身が”男根”だったからではないだろうか。元来人々は生命の根源としての男根=石棒を信仰していた。これは記述したように日本各地でも見られる普遍的な信仰の形である。インドやネパールなどのヒンドゥー教圏では「リンガ」と呼ばれる棒がいたるところに設置され信仰されているが、この「リンガ」の正体も男根だ。
(↑ネパールのリンガ)
ぼくは棒状の風獅爺を見かけるたびにいつの間にかヒンドゥー世界のリンガを思い浮かべていた。それほどまでによく似た存在だったのだ。ヒンドゥー世界と金門島が、歴史上どこかで繋がっていくのだろうか。さらに金門島の人々は日本の「宿神」および西洋の「ずきんをかぶった子供」と同様に、信仰の対象とするその男根的石棒にこの世のものでもあの世のものでもない中間的、宿神的な神聖を求めたために、石の棒に”包皮”を意味する赤いマントをかぶせ男根を”包茎”としたのではないだろうか。
時代を経て男根への信仰は洗練された異国からの文化の影響を受け徐々に”動物化”していったが、それでもかろうじて棒状であることや赤いマントを残したことにより、古代の人々が本当は何に対して祈っていたか、人の祈りとは本来どのような形態をとっていたのかを、後世に伝え続けることに成功していると言えるだろう。
「宿神」とは現代の人々が「神様」と呼ぶようなものの後ろにこっそり隠れて、知らない間にその表面的な神々に創造力を与え、実質神々を操っているような静かな影の支配者である。ぼくは風獅爺のひとつが全く見えにくい場所にあることを思い出した。立派な男根を持つ金門城風獅爺は立派なお寺の裏に密かに置かれ、誰の目にも入らないところに隠されていたのだ。この風獅爺は宿神的、包茎的に表立った神々を支配し、最終的には人々の魂に人しれず活力を与えているのかもしれない。
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