なぜ男根は世界中で境界神となるのだろうか。
日本の道祖神とギリシャヘルマの共通点!なぜ男根は世界中で「境界の神」として崇められているのか徹底考察してみた
・日本一周・車中泊の旅で目撃した数々の男根崇拝の姿
・なぜ日本では男根=境界神となり得るのか?
・衝撃のヘルマ!日本のみならずギリシャでも男根は境界神だった
・世界中で男根が境界神となっている理由を考察してみる
・男根は男性と女性の間に境界線を設けている
・男根は生と死、有と無の間に境界線を設ける
・誰もが男根に注目し、目立つ存在なので道標として都合がいい
・日本では今でも男根が境界神として生きている
目次
・日本一周・車中泊の旅で目撃した数々の男根崇拝の姿
2020年に実行した日本一周・車中泊の旅の中で最も驚いたことは、日本全国各地に生殖器崇拝・男根崇拝が溢れているという事実だった。一体なぜこんなにも男根が神として崇め奉られているのだろうと最初は不思議だったが、よくよく考えてみればぼくたち人間の全ての生命は男根から生じているし、つまりは人間によって作られたビルや車やインターネットも究極的には男根から生まれているわけだから、人間社会の繁栄や世界の発展を願うという観点から、根源である男根に祈りを捧げることは何も間違ってはいないだろう。むしろ男根を崇拝していない地域があるとしたら、なぜ男根を崇拝しないのか逆に不思議なくらいだ。ぼくたちの根源に敬意を払い祈りを託すという意味では、それくらい生殖器崇拝・男根崇拝は人間にとって必然的で当たり前の現象ではないだろうか。
日本で男根が神として崇拝されている理由としては、古事記における天皇の先祖のまぐわいの伝説にちなんでいたり、温泉=女陰だから温泉には男根を祀るなどと様々な言い伝えがあったがその中でもぼくが最も気になったのは、男根が村と村との境界、国と国との境界を示す「道祖神」としての役割を担っているということだ。日本では古来より男根があらゆる境界に道祖神として設けられるという風習があるようだ。実際に岩手県花巻市の「大沢金勢神社」ではそのような説明が書かれていたし、秋田県の巨大な道祖神である「鹿島様」は男根が異様に強調されていた。また群馬県と栃木県の境目はまさに「金精峠」と呼ばれており(金精とは男根神の意)、群馬県と栃木県を分け隔てる境界線上には立派な男根神が設置されていた。
兎にも角にも男根神=道祖神=境界の神という観念は、日本各地において広く確立され深く根付いているようだった。
・なぜ日本では男根=境界神となり得るのか?
しかしなぜ男根=境界の神となるのかその理由はよくわからないままだった。男根と境界って、何か関係ある???人間の生命は全て男根より生じているので、自分達の根源であり人間社会に繁栄をもたらすという観点から男根を”根源の神”として祀るのは深く納得できるが、一体なぜ男根は日本中で境界神としての役割を担わされたのだろうか。日本一周を終えてもその答えはわからず、男根と境界の関係性の謎を解き明かすことはぼくにとっての末永い宿題となった。
・衝撃のヘルマ!日本のみならずギリシャでも男根は境界神だった
その宿題も終わらぬまま、ぼくは2022年に世界一周の旅の続きとしてギリシャに旅立つことになった。ギリシャには1ヶ月半以上滞在し、ギリシャ本土からエーゲ海の島々に至るまでまさにギリシャ一周の旅を遂行した。
ギリシャ各地には考古学博物館があり、ぼくは好きで旅の最中よく通っていたが、そんな中で印象的だったのは、直方体の胴体に顔と男根だけが付いた不思議な像だった。これは「ヘルマ」と呼ばれ、なんと町と町の境界を示す境界神としての役割を果たすものらしい。胴体に顔と男根だけが残っているその姿はとても奇妙で、手も足も胴体から削ぎ落としたのだから当然男根だって削ぎ落とせばいいのに敢えてそれだけを残しているということは、この残存した男根に何らかの意味があると思わざるを得なかった。ギリシャ人に教えてもらったことによると、古代ギリシャ人はこのヘルマの前を通る際には豊穣や繁栄を願って男根を触る風習があったという。やはりヘルマの男根には何らかの意味深い祈りが込められているようだ。注目すべきことは古代ギリシャでも日本と同じように、何かしらの境界線上に男根をあからさまに設置していたという事実である。
・世界中で男根が境界神となっている理由を考察してみる
男根=境界神という認識が祖国の日本だけではなく、国境を超えてギリシャにまで浸透していると知ったのはギリシャ一周の旅の中で最も驚くべき出来事のひとつだった。
日本とギリシャという遥か遠く離れた2つの国で共通して古代からそのような奇妙な認識が根付いているということは、その間に位置する他の国々も同じ認識を共有している可能性が大いにあるだろう。実際にぼくが世界一周の旅をしている最中にも、台湾の離島金門島では「風獅爺」を、韓国の離島済州島では「トルハルバン(石のお爺さん)」を、ネパールでは男根と女陰の結合を表す石棒の「リンガ」など、道祖神的役割を担っていそうな様々な男根崇拝を目撃した。ぼくがまだ行っていない見知らぬ国々にも、同じような祈りの姿が多く残されているのだろうか。
男根がなぜ境界神となるかを考えることは、古代日本人のものの考え方を知るきっかけになると思っていたが、それだけではなくむしろ”人類の”普遍的なものの考え方を知ることに役立つようだ。一体なぜ日本のみならず世界で、古来より男根は境界神となり得たのだろうか。どこを探してもその答えは見当たりそうもないので、ここで自分で考察してみようと思う。
・男根は男性と女性の間に境界線を設けている
まず考えられるのは、男根は男性と女性を見分けるのに非常に役立つということだ。男と女の間には様々な違いが見受けられるものの、最大の違いは何かと聞かれたら肉体における男根を連想させない人は少ないだろう。男根は2つの性別を分け隔てる最もわかりやすい指標になっているはずだ。それはすなわち、男根が男性と女性の間に境界線を設けていると考えることもできる。
人間が生きていく上で、相手が男性か女性かを見分ける作業は重要だ。相手が男性か女性かで接し方もある程度異なるだろうし、会話の内容も違ってくるだろう。また生殖可能な相手かそうでないかを見極める上でも性別の判定は欠かせない。ぼくたちは人間と交流した場合、ほとんどの場合すぐにその人が男か女かを見極めることができるが、それって実はものすごく高度な能力ではないだろうか。ぼくは犬とか猫とはお猿とかは、すぐ見ただけではその個体がオスかメスかを判断することができない。しかし人間の場合はそれが瞬時にできるのだ。
人間は人間に限った場合にのみ、その人が男か女かをすぐに見分ける精度の高い能力を自然と身につけている。逆に言えばそのような能力が自動的に備わってしまうほど、男か女かを判断することは人間が生きていく上で極めて重要だということではないだろうか。男と女が交わらなければ新しい生命は誕生しない仕組みになっているので、動物的にも遺伝子的にも、男女の境界線というのはぼくたちが思っている以上に繊細で神秘的で大切な役割を担っているのかもしれない。
そのような男女の境界線が男根という最も原始的で最も興味深く最も単純な形で具現化され、境界を支配する神として崇め奉られるという成り行きはなきにしもあらずだろう。
・男根は生と死、有と無の間に境界線を設ける
もうひとつ考えられるとしたならば男根は0から1を、無から有を生み出すように見えることは注目に値するだろう。それはすなわち男根の最も重要な機能のひとつである。新たな生命を生み出すということに付随する。何もないところからいきなり生命の全てを発生させているように見えるその機能はあまりにも神秘的だし不可思議ですらある。生殖時の男根はまるで人の魂を死の世界から生の世界へと旅立たせるような、生命を無の世界から有の世界へと引っ張り出してくれるような迫力と勢いに満ちている。死と生の境界線、無と有の境界線を支配しているように見えるという点において、男根は境界神となる資格があるのかもしれない。
・誰もが男根に注目し、目立つ存在なので道標として都合がいい
またもっと単純に合理的に考えるとしたら、ただ単に男根は目立つからという理由が挙げられるだろう。全裸の男性が目の前に急に立ちはだかったとして、その人の男根を見ない人が果たしてどのくらいいるだろうか。男根には全ての人間を注目させる潜在的なパワーがあり、それは理屈ではなく人間の本能や遺伝子に組み込まれたnatureなのだろう。
道祖神には境界の神という宗教的な役割の他に、道案内の目印になるという実用的な役に立つ機能も備わっていたはずだ。道標となるからには、道ゆく人が思わず注目してしまうような何かしらの工夫が必要だったのだろう。全ての人間が普遍的に思わず注目してしまうのは一体何か、その問いを突き詰めていった先で古代人は「男根」という明確な答えに行き当たったのではないだろうか。口には出さないだけで誰もが根源的に好きで、誰もが深い興味を持ち、誰もが潜在的に気になって仕方がないものといえば男根をおいて他にあるまい。
ギリシャではあまりにもカラフルで呪術的な木製男根のキーホルダーや栓抜きが、町の至る所にあるお土産屋さんで売られていた。それが首都のアテネだけではなく本土から離島に至るまで本当にギリシャ各地で売られていたのだから開いた口が塞がらなかった。ギリシャで男根が大量に売られていた真意は定かではないが、ぼくには人間の誰もが男根に注目してしまう性質を利用した男根による土産店への呼び込みという側面も大いにあるのではないかと考えられた。男根の栓抜きはどこの店でも道行く人から最も目立つような店先の扉に飾られていたからだ。男根を使って人から注目されようとする思惑は、現代の商店でも古代の道標でも変わらないのではないだろうか。
・日本では今でも男根が境界神として生きている
日本では古来より村と村の境界、道と道の境界には異界の者やもののけが住むと信じられていた。道祖神にはそれらに対抗する魔除けの意味合いも含まれているという。ギリシャ人によるとギリシャでは男根崇拝はもはや昔に滅びたというが、日本ではまだこれが境界神として生きた人々の崇拝を集めている。古代からの人類の根源的な祈りを保存させているという観点から、日本の宗教形態には世界的に見ても大きな価値があるのではないだろうか。日本の宗教観への造詣を深めていくと、やがては世界に通じる普遍的な人間の正体や性質を突き止めることができるような予感がしてならない。
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