日本の男根崇拝・生殖器崇拝は世界三大宗教よりも素晴らしいとぼくが考える理由

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日本の男根崇拝・生殖器崇拝は世界三大宗教よりも素晴らしいとぼくが考える理由

・日本一周・車中泊の旅で発見した日本中に存在する生殖器崇拝の衝撃
・全ての人間の生命は生殖器によって生まれる
・世界中のどの神よりもぼくたちは生殖器にお世話になっている
・人間は本能の根源的なレベルで、生殖器を強く意識せずにはいられない
・時間と空間を超越!世界三大宗教の中にも生殖器ほど普遍的な神は存在しない
・生殖器崇拝は相対的世界を破壊し、人を絶対的世界へと導く
・日本人は世界のどこよりも性を自由で大らかに表現している
・日本文化は世界中の精神の根幹と本能的な部分に入り込むことに成功している

・日本一周・車中泊の旅で発見した日本中に存在する生殖器崇拝の衝撃

ぼくは日本一周・車中泊の旅を通して、日本には数多くの男根崇拝・生殖器崇拝が存在することを学び取った。これまでは普通に日常生活を営んでいるだけでは全く出会ったことがなかった祖国の不思議な風習に大きな衝撃を受けたと同時に、なぜか素晴らしいものを見たという純粋な感動が胸に去来したことを覚えている。一般的な感性だとともすれば下品で原始的だと卑下されそうな日本の男根崇拝・生殖器崇拝を見て、一体なぜぼくは素晴らしいと感じるに至ったのだろうか。

 

 

・全ての人間の生命は生殖器によって生まれる

まず第一の理由として、男根崇拝・生殖器崇拝にはあまりも確固たる信仰の根拠が明確にあると思われる。それは「ぼくたち全ての人間の生命が生殖器によって誕生した」という紛れもない事実である。自分らの生命を生み出した根源を熱心に信仰するという、あまりにも率直であまりにも肉体的であまりにも直感的な人々の祈りの心を、誰が否定することができるだろうか。それを原始的だと卑下することは、即ち自分自身の生命の根幹を否定することと同義である。

ぼくたちはなぜ、ここに生きているのか知らない。この生命はどこから来て、そしてどこへ行くのか、自分のことなのにその答えすら定かではない。ぼくたちは大きな謎に包まれた、それどころか謎しかない生命の旅路を歩んでいる。それならば明確に分かりきっている揺るぎない事実に思いを寄せることくらいは、許されてもいいのではないだろうか。明確に分かりきっている事実、それは即ちぼくたちが生殖器から生まれ、母体を通してこの世に産み落とされたという生命誕生の物語だ。

古代人にとって精子と卵という生殖の仕組みの詳細はわからずとも、明らかにぼくたちに生命や子孫をもたらし続ける生殖器という根源そのものに神秘を感じ、崇め奉るという結論に何ら疑問を感じる余地はない。

 

・世界中のどの神よりもぼくたちは生殖器にお世話になっている

世界中には様々な宗教が混在している。日本では日本オリジナルの神道や、インドから中国を渡ってもたらされた仏教も主流だ。世界中を旅すれば日本ではほとんど見かけることのない美しきキリスト教会やイスラム教のモスクを多数目の当たりにすることができるだろう。仏教、キリスト教、イスラム教は世界三大宗教と呼ばれ、それらを信仰していたりそれらの知識を持ち合わせていれば、一応人間として全うだと判断される雰囲気が世界にはある。日本の男根崇拝・生殖器崇拝なんて、世界から見れば古代のオカルトか原始的な邪教だと見なされるだろう。

しかしぼくが敢えて思うのは、日本の男根崇拝・生殖器崇拝って世界三大宗教なんかよりも遥かに優れているのではないかということだ。仏教徒は熱心に仏像を参拝し、キリスト教徒は十字架に架けられたキリストの像を見て祈りを捧げるが、そもそもブッダやキリストに出会ったり、話をしたり、直接お世話になったりした人はこの世にいない。どんな人格かもわからない自分とは関係のない古代の見知らぬおじさんを、むやみやたらと信仰することは危険ではないだろうか。その人を尊敬したり崇拝したりするならば、他人や書物からの噂ではなく自分自身が直接関わり話をして、本当に信頼できる人物かどうかをきちんと見極めてから崇拝すべきだ。しっかりと確かめることができない人の銅像や、記録と想像と妄想のみによって形成された古代の人物像に心を強く依存させているなんて、客観的に見ても奇妙で不健康な状態ではないだろうか。

ぼくたちがブッダやキリスト、ムハンマドなどの古代のおじさんに直接出会ってお世話になったことがないのに対して、ぼくたち人間は常に生殖器のお世話になっている。自分達の生命を誕生させてくれただなんて、これ以上の偉大なお世話がこの世にあるだろうか!この生命を生み出してくれただけでもこの上なくありがたいのに、人間における生殖器の役割はそれだけでは終わらない。生殖だけではなく排泄という役割まで担い、排尿によって体内の水分量や電解質を調整してくれている。また肉体が成熟すれば生殖器を交わらせることにより、人々が常に夢中になってしまうほどの快楽をもたらすという側面もある。その快楽の結果として(女性は出産という苦痛も伴うが)、可愛らしい子供や孫や子孫という誕生の連鎖が続いていくのだから、生殖器が人間に及ぼす影響や恩恵は計り知れない。

もちろん生殖器に支配された結果として、性病にかかったり浮気が発覚して社会的地位を失うなど、不幸になってしまう人もいるかもしれないが、それも含めて人間という有性生殖を行う動物は生殖器に翻弄されざるを得ない運命を背負っているということなのだろう。

 

・人間は本能の根源的なレベルで、生殖器を強く意識せずにはいられない

生殖器というのは単なる肉体の一部だ。つまり物理的には指とか、足とか、鼻などと何ら変わらない人体の部品である。にもかかわらずぼくたち人間は生殖器を、他とは一線を画した唯一無二の特別な存在だと感じている。同じ人体の一部であっても、他人の指や足や鼻をいきなり見ても特に何も感じないのに、他人の生殖器をいきなり目の当たりにするとぼくたちはかなり驚くのではないだろうか。クレヨンしんちゃんの「ゾウさん」というギャグだって、しんちゃんが指や足や鼻を出すだけでは人々が面白いと感じるわけがない。あれは生殖器を露出しているからこそ成立しているギャグなのだ。このように世の中を具に観察していくと、人間がいかに生殖器だけを特別な存在だと大きく意識しているかが手に取るようにわかってくる。この現象に論理的な理由は必要なく、人間が有性生殖を行う動物である以上、生殖器を常に強く意識しなさいという古代から引き継がれた指令が、遺伝子や本能の根源的なレベルで深く生命に刻み込まれているのだろう。

日本に生まれ育ったぼくは、仏教寺院の仏像を非常に美しいと感じる。また世界中を旅して巡れば、キリスト教会の素晴らしい芸術作品やイスラム教モスクの色とりどりのモザイク模様も感動的だった。人間の正体とは何かを常に思考しながら旅をしているぼくは世界中の宗教にも強い関心があり、宗教と人間の切っても切れない関係性も実感している。しかしながら人間を注目させる途轍もないパワーという点ではどんなに見事な宗教的銅像も、どんなに素晴らしい宗教的芸術作品も、どんなに美しい寺院の装飾も、生殖器には敵わないのではないだろうか。男根像よりも人々の心を惹きつける仏像がこの世にあるだろうか、女陰像ほどの熱量で人々を夢中にさせる装飾がこの世にあるのだろうか。どんなにブッダやキリストという古代の見知らぬおじさんの像を拝んだり伝説を聞いたりしても、人類が共通して持つ最重要の根本的な情熱である子孫繁栄を実現することはできない。どのような宗教的偶像も宗教的物語も、動物としての人間の本能に激しく突き刺さる生殖器の前では極めて無力である。

 

・時間と空間を超越!世界三大宗教の中にも生殖器ほど普遍的な神は存在しない

もしかしたらこの上なく熱心な仏教徒ならば、生殖器像などには脇目も振らずに美しい仏像に着目するかもしれない。しかしそれがキリスト教徒やイスラム教徒だったらどうだろうか。きっと仏像よりも生殖器像に驚き、衝撃を受け、心を揺れ動かれるだろう。

ぼくが強く主張したい最も重要なことは、生殖器には普遍性があるということだ。世界には様々な種類の宗教がある。訪れる国が変われば、人々の信仰する宗教も変わるだろう。また空間的な位相だけではなく、時間的な位相によっても宗教が変容するという事実は見逃せない。インドネシアにはとても素晴らしい巨大な過去の仏教遺跡やヒンドゥー遺跡があるのに、現在はイスラム教国家のようだ。日本だって本来は自然崇拝、アニミズム、神道の国だったけれど7世紀より異国宗教である仏教が導入された。このように同じ国であったとしても、時代と共に宗教は激しく移り変わっていく。

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ぼくが神道を信仰し仏教徒であるのも、たまたまぼくが日本という国に生まれ着いたからだ。これがたとえばギリシャに生まれたのだとしたら、ぼくは十中八九の確率でギリシャ正教徒になっていたことだろう。またたとえばぼくが同じ日本であっても今ではなく7世紀以前に生まれていたとしたら、きっと仏教というものを知らずに神道だけを信じていたことだろう。宗教というのは所詮その程度のものではないだろうか。生まれた国、生まれた時代によって勝手に決定され、偶然にも信仰は始まる。

本当にこの魂にこそふさわしい宗教というものが、それぞれの人間には生まれる前から予め備わっているというのだろうか。それならばたとえ日本に生まれ着いたとしても急に目覚めたようにイスラム教徒になったり、フランスに生まれ着いてもいきなり神道を信仰する人がもっと沢山出てきてもよさそうなものではないか。しかし現実にはそのような人々はほとんど存在しない。ほとんどの人間は自らの宗教を、生まれた国と時代によって左右されながら一生を終えていく。宗教の信仰なんて、ただの偶然の産物だ。たとえば他の宗教は邪教だから破壊しようとするイスラム教徒がいたとしても、もしも彼が生まれた場所がタイだったならきっと普通に仏教徒になっていただろう。知らぬ間にあてがわれた自らの宗教という偶然に、果たして人間はそれほど強く執着すべきなのだろうか。

しかしながらどのような国に生まれても、どのような時代に生まれても、人間が必ず信仰してしまいそうになるほどに心惹かれる強いエネルギーを解き放っているものがこの世にはある。それこそがまさに”生殖器”だ。日本に生まれようが、アメリカに生まれようが、イランに生まれようが、生殖器に興味関心を持たない人間がいるはずがない。また令和の時代に生まれようが、平安時代に生まれようが、縄文時代に生まれようが、あらゆる人間は生殖器を求める衝動と情熱に突き動かされながら人生を生き抜いたことだろう。生殖器は国家という空間、そして時代という時空を超越する確固たる普遍性を持っている。これこそぼくが、日本の生殖器崇拝は世界三大宗教よりも素晴らしいと考える最大の理由だ。

仏教は主にアジアで発展し、キリスト教は西洋諸国で発展し、イスラム教は中東で発展した。しかしその領域範囲をなかなか抜け出せずに留まっているということは、それぞれの宗教には人間全体を信仰させることができるだけの普遍性が欠けていることを意味している。それこそが世界三大宗教の見逃すことのできない巨大な欠点のひとつではないだろうか。仏教を知らない人が仏像を見たならば、誰だろうこのおじさんと思いながら通り過ぎてしまうだろう。またキリスト教を知らない人が十字架に磔にされ血を流しているキリストの絵を見ると、怖いし不気味だと感じることだろう。それは宗教に関する知識が足りないからだ、もっと宗教の勉強をして知識を身につけるべきだと主張する人がいるかもしれないが、知識がなければ信仰しようと思えないものなんて果たして本物の宗教なのだろうか。本当に優れた神というものは、知識があろうとなかろうと、全ての人々が思わず注目して拝んでしまうほどの普遍的な神秘性と迫力に満ちているのではないだろうか。

この世のあらゆる人々が絶対に思わず見入ってしまうもの、全ての人間が注目するよう脳と本能に刻み付けられているもの、自らの意思とは関係なく宿命的に激しく荒ぶるもの、この世のものとは思えない原始からの快楽をもたらすもの、快楽と情熱の結果として新たな生命と子孫繁栄を約束するもの、そのような謎と神秘性を内包しているにも関わらず、常に人間と共にある、肉体的で土着的で本能的で直感的で生々しい生殖器こそ、全人類が神と呼ぶに相応しい生命の根源ではないだろうか。

本を読まなくとも、勉強しなくとも、誰に教えられることがなくても、知識を蓄えずとも、ぼくたちは生まれる前から直感と本能で知っている。本来ぼくたちが信仰すべき神の正体が何者かを。本当の神というものは国を超越し、時代を超越し、男であろうと女であろうと、賢き者も愚かな者も、富める者も貧しき者も、地位の高い者も低き者も、有名な者も名もなき者も、美しき者も醜き者も、あらゆる人間を普遍的に支配して信仰させざるを得ない根源的なエネルギーに満ち溢れている。その神はこの世の全ての境界線を融解させ、人間を真理の世界へと誘う。何人であろうと、何時代の人であろうと、男であろうと女であろうと、賢き者も愚かな者も、富める者も貧しき者も、地位の高い者も低き者も、有名な者も名もなき者も、美しき者も醜き者も、人間は誰もが等しく生殖器に陶酔する。世の中では多様性を認め合うことの重要性が叫ばれて久しいが、生殖器に支配されるという観点から言えば、人間は誰もが同等であり多様性などありはしない。目に見えるものばかりに惑わされてぼくたちはそれぞれ異なっているように見えるけれど、大切な奥底では必ずひとところに繋がっている。

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・生殖器崇拝は相対的世界を破壊し、人を絶対的世界へと導く

イスラム教のモスクは基本的にイスラム教徒ではない異教徒は入ってはならないところも多い。またギリシャ正教最大の聖地・アトスの修道院では「正教徒ではない者はこの世の真理を知らない者だから、正教徒の祈りを見ることも共に食事をすることも許されない」と実際に言われたこともある。マレーシアの世界遺産・マラッカのキリスト教会では、タンクトップは教会に相応しくない服装だからと入れなかったことがある。

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それぞれの宗教や文化圏には独自の決まりや風習があることはもちろん理解できるが、このように時として宗教は自分こそが最も正しいのだと思い上がり、自らに属さない他者を卑下し見下したり、排他的になってしまう傾向がある。また訪れる人を祈りの心ではなく、外見や服装という表面的な要素で区別・差別するという現象も起こる。これはこの世界には数多くの神々が存在するのだと寛容に信じる多神教というよりはむしろ、たったひとつの神の存在しか決して認めない一神教の世界で顕著なものかもしれない。自分とは異なる他者を認めない人の心は分裂を生み出し、やがては残酷な争いや支配へと発展していく。

しかし一方で全ての人間に普遍的な生殖器崇拝はどうだろうか。生殖器崇拝は決して他者を否定したり見下したりしない。その理由はシンプルで、顕在的であろうと潜在的であろうと、生殖器崇拝をしない人間なんてこの世界にいないからだ。あらゆる人間は多かれ少なかれ生殖器を信仰する心を持ち、生殖器崇拝に属さない人間はいないのだから他者というものも存在せず、論理として排他的になることは不可能だ。自分はそんなものを崇拝していないと信じ込む人でさえ、自分の生命を大切に保ちこの世で生き長らえている限り、心の奥底で自らの生命の根源である生殖器に対する畏怖の念を決して忘れてはいないだろう。また”崇拝”という言葉に思い当たることはなくても、有性生殖を行う動物として生殖器に意識を支配され、生殖器に情熱を燃やし、生殖器からのエネルギーを享受し、生殖器の衝動に突き動かされ、生殖器に翻弄されながら人生を歩む人がほとんどだろう。それは珍しく特別で奇妙なことではなく、有性生殖を行う生物に分類される全ての人間にとって極当たり前の風景だ。

ぼくたち人間はとかくお互いの”違い”や”差”を見出そうとする。そしてこのような違いがあると興奮し、面白おかしく並べ立てては比較し、精神は相対的な世界へと埋没していく。その結果としてこの世界は多様性に満ちているという結論を下し、それぞれの違いを認め合うことで人間の苦痛は取り除かれるのだと主張する。しかしこの世界は本当に多様性に満ちているのだろうか。確かにこの世界には様々な肌の色があるし、様々な言語が話されているし、様々な宗教が信じられている。世界中を旅していても訪れる国ごとに全く違った文化的世界が展開され、まさに世界は色とりどりの多様性を呈しているかのように見えるだろう。しかし世界が多様性に満ちていると感じるのは、意識的にやたらと人間の違いや差に着眼点を当てているのだから当たり前のことだ。違いや差ではなく同じところに注目してみた場合、ぼくたちは人間の世界をどのように感じるのだろうか。

「全ての人間は生殖器によって生み出された」「全ての人間は生殖器に夢中にならずにいられない、」「全ての人間は生殖器に意識を支配される」「全ての人間は生殖器に突き動かされる」「全ての人間は生殖器の欲望を基盤とした社会に生きている」

生殖器という人間生命の根源に光を当てた場合、多様性に満ち溢れていると信じられたぼくたちの世界に決して多様性はなく、ただ誰もが皆同じであるという結論に帰着するだけだ。ぼくたちはあまりにお互いの違いや差を見つけることに固執し、またそうするように社会的に誘導され促され、精神が相対的世界へと突入していくことを止められず、やがては分裂や争いや支配、作られた正しさの消費へと繋がっていく。しかしそのような圧力に惑われされることなく生命の根源の次元に目を凝らし続け、生殖や生殖器というあらゆる人間に普遍的な世界へと辿り着くとき、ぼくたちは浅はかな多様性や相対的な世界観を打ち破り、比較する必要のないたったひとつの絶対的世界を取り戻すことができるのではないだろうか。その絶対的世界はもしかしたら、世界中の宗教の中で古代から言われているような極楽浄土の世界、悟りの世界、天国なのかもしれない。

(このように文章できちんと書くと小難しい感じになってしまったが、ものすごく簡単に言うと、キリスト教徒の男性とイスラム教徒の男性がお互いの宗教が違うことで激しく喧嘩していても、お互いの違いではなく”同じ点”に着目し、どちらも同じ男根を有しどちらも同じくらいスケベだとわかった時、打ち解けて仲良くなれるとかそんな感じだろうか。しかし世界平和とはこのような形で成し遂げられるのが最も現実的な気がしてならない。そのような観点から言うと、生殖器をお互いに露わにしながら交流する日本の温泉は非常に素晴らしい文化だと感じられる。)

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・中島みゆき「女という商売」

女と生まれてきたにゃ 誰も彼もがみんな同じ
男と生まれきたからにゃ 誰も彼もがみんな同じ
どんなに気取ってもお見通し 夢の木の実はどこにある
それを売るのが仕事よ

 

(この記事は著作権法第32条1項に則った適法な歌詞の引用をしていることを確認済みです。)

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・日本人は世界のどこよりも性を自由で大らかに表現している

世界中を旅してきて感じたことは、日本人って性を自由に表現する能力にめちゃくちゃ長けているのではないかということだ。世界中で大人気のクレヨンしんちゃんだが、こんなに世界は広いのにしんちゃんの「ゾウさん」や「ケツだけ星人」という奇抜でセンセーショナルな性的ギャグを発明できたのは日本人だけだ。また既述したように、日本一周・車中泊の旅の中では九州から東北地方に至るまで日本全国に満遍なく生殖器崇拝が分布していることを確認した。江戸時代では春画などを通して人間の生殖行為を大らかに表現することが許されていたようだ。

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また中国大陸横断の旅をした時には宿で一緒になった中国人青年に、日本のアダルトビデオにはお世話になっていると大変感謝されたことがある。彼が言うには中国はもちろんのことながら、台湾でも韓国でもアダルトビデオを作ることは許されていないので、東アジアの男子はみんな日本のアダルトビデオにお世話になっているということだった。彼は日本のアダルトビデオ鑑賞を通して、人間がどのように生殖するのかというかなり重要で根本的なことを初めて知ったので、日本に本気で感謝している様子だった。このように日本の大らかな性的表現は、東アジア男子の性教育と子孫繁栄に真面目な意味で役立っていると言っても過言ではないようだ。彼が言うには日本は世界有数のアダルトビデオ大国だということだが果たしてそれは本当だろうか。

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このように男根・生殖器崇拝という観点からだけではなくても、日本という国はかなり性的表現が得意な民族性と風土に恵まれているようだ。日本人は礼儀正しく控えめで恥ずかしがり屋なイメージがあるのに、一方で世界中のどこよりも自由に積極的に性を表現しているという二面性は興味深い。生殖器を神として崇め奉る風習が日本中にあるくらいだから、性的な表現を抑圧するような宗教的思想が極端に少なく、逆に情熱と直感のままに潔く性を表現できるような文化の素地が存在するということなのだろうか。

日本があまりに性的な表現をしすぎると、世界中の人々から日本人は好色だと思われるので恥ずかしいという意見もあると予想されるが、果たして本当にそうなのだろうか。人間が有性生殖を行う動物であり、全ての人間が生殖器を保つ限り、どのような国に住もうと全く同じレベルで人間は等しく好色だ。これは疑いようがなく間違いのない事実だろう。重要なのは人間は誰もが生殖器を持ち同じくらいに好色であるのに、日本のように性を大らかに表現することが可能な国もあれば、その一方で性を悪しきものだとして抑圧しているような国も存在しているということだ。

しかし誰もが生殖器を持ち誰もが生物として自然と好色になってしまう運命を背負っているというのなら、性を抑圧することは明らかな嘘と偽りでしかなく、もしくは人間の生命の根源的な仕組みを否定することにもなり兼ねないので、むしろ日本のように直感的に自由に性を表現した方が爽やかで潔くかっこいいのではないだろうか。誰もが絶対に好色だと決まっているこの人間世界において、好色なものは嫌いだとしらばっくれる国がある一方で、自分は好色だときちんと素直に居直り好色である自分自身の情熱や欲望を思いのままに隠すことなく表現している日本は正直者だし好感が持てる。現にクレヨンしんちゃんや日本のアダルトビデオは世界中で大人気となっているではないか。やはりどのような世界においても、正直且つ誠実であることが人間として最も大切な要素なのではないだろうか。

 

 

・日本文化は世界中の精神の根幹と本能的な部分に入り込むことに成功している

日本が世界の中でも特別に性の表現を得意としている国であるというのなら、それは恥ではなく逆に日本という国家にとって非常に有益であるとぼくは感じる。なぜなら世界中の人々の本能に日本の表現を直接突き刺すことができるからだ。日本独自の可愛い表現や面白い表現も確かに人気があるが、やはり本能のレベルで根源的に訴えかけてくる作品の衝撃には敵わないのではないだろうか。性的な表現が他国のように宗教や政治や思想によって無理矢理に抑圧されておらず、むしろ思い通りに創造することができ、生殖器が神にさえなってしまうほどの寛容な精神的土壌は、変えてはならない日本の財産であるように思う。

ぼくが世界を旅してきて思うのは、日本は世界で人気があるということだ。インターネット上では戦争の罪で日本は嫌われ者であるというような雰囲気を感じるが、実際の世界はそのような風景とは程遠い。日本が世界中で人気があるのは、人間の表層ではなくもっと深い精神の根源に突き刺さるような作品を発信し続けているからではないかとぼくは感じる。例えばアジアでは日本のアニメが大人気だ。ドラえもんやクレヨンしんちゃんなど、ぼくたち日本人が幼少期に見て育ってきたアニメを、同世代のアジア人たちも同じように見ながら育ってきた。幼少期は人間性を構築する重要な土台の部分となるので、幼少期に日本のアニメを見て夢中になりながら育ったアジアの子供たちが、果たして日本を嫌いになれるだろうか。大人になり様々な政治的思想に触れる中で日本を嫌いになれと扇動されたとしても、幼少期に形成された精神の土台に日本を大好きな気持ちがあるのなら、日本に対する歪んだ悪意を跳ね除けることができるのではないだろうか。

また人間の成熟した肉体は本能の指令を受け、多かれ少なかれ生殖器に突き動かされながら生きざるを得ない。「What Every Man Thinks About Apart From Sex」という洋書の中身は全てのページが真っ白だったというのは有名な笑い話だ。生殖以外に男が考えていることは何もないという本が共感を集めるようなこの世界で、日本が他国を差し置いてアダルトビデオなどの性的な表現を世界へと発信し続け、世界中の男性の本能に日本の表現を深く刻み付けておけば、果たして世界中の成熟した肉体を持った男性は日本を嫌いになれるのだろうか。

このように人間性を構築する土台となる幼少期には日本のアニメを見てもらい、その子が大きくなり成熟した肉体を持った後には日本のアダルトビデオを見てもらえば、二重の意味で人間の本能や精神の根幹部分に日本文化を深く馴染ませることができ、世界における日本の好感度は上がり続けるのではないだろうか。重要なのはこれが単なる妄想や理想ではなく、日本は今現在この見事な状態を既に世界で達成しているということだ。もはやこれから日本が国家としてやるべきことは、この今の状態を崩すことなく、更なる改良を続けていこうとする努力ではないだろうか。

 

 

・今回の記事のまとめ

日本の男根崇拝・生殖器崇拝は世界三大宗教よりも素晴らしいとぼくが考える理由
・全ての人間の生命が生殖器によって誕生したという事実は、人間が生殖器崇拝をする理由として十分である

・あらゆる宗教の偉人には会うことすらできないが、ぼくたち人間は生殖器によって常に大きな恩恵を直接受けている

・あらゆる宗教には空間的・時間的な偏りがあるが、生殖器はどのような国・どのような時代の人にも崇拝されるべき普遍的エネルギーを秘めている

・あらゆる宗教は物語によって成立し知識が必要だが、生殖器崇拝には人間の心を有無を言わさず直感的・本能的に鷲掴みにするような激しい求心力がある

・世界を分裂に導く排他的宗教とは異なり、生殖器崇拝はその根源的役割においてあらゆる人間をひとつにまとめる潜在的結束力がある

・あらゆる人間は好色なのに世界は性を抑圧する思想に満ちている。そのような中で性を自由に大らかに積極的に思い思いに表現しようとする日本文化の豊かな素地と日本人の正直さ、率直さ、潔さ、素直さ、誠実さは世界の見本となり得る

 

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