異教徒が受ける様々な区別!Zografou修道院ではギリシャ正教徒でない者は食事も祈りも仲間外れにされた

 

ギリシャ正教徒じゃない人は修道院で仲間外れにされるなんて知らなかった!!!!!

異教徒が受ける様々な区別!Zografou修道院ではギリシャ正教徒でない者は食事も祈りも仲間外れにされた

・女人禁制のギリシャ正教の聖地アトスへの憧れ
・Zografou修道院でアトスの祈りを見学しよう
・人生で初めて目撃するギリシャ正教アトスの祈り
・衝撃!異教徒はアトスの祈りを見学することが許されなかった
・さらに衝撃!異教徒は正教徒と食事を共にすることができなかった
・真実を知る者と真実を知らない者
・Zografou以外のアトスの修道院では果たして祈りの見学は許されるのだろうか

・女人禁制のギリシャ正教の聖地アトスへの憧れ

2017年に偶然「孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス」という写真集を見かけて衝撃を受けた。ギリシャ正教の辺境の聖地アトスでは何と1406年から今に至るまで女人禁制が貫かれており、一般的な世界とは隔絶された宗教世界の中で黒ずくめの衣装を纏った僧侶たちが自給自足の生活を営みながら祈りに専念しているのだそうだ。神秘的で美しく荘厳なアトスの写真の数々を目にしたぼくは、せっかく男性の肉体を持ちながらこの世に生まれ着いたことだし、世界一周の旅の中で絶対のギリシャのこのアトスへと立ち寄ろうと直感的に心に決めた。

 

・Zografou修道院でアトスの祈りを見学しよう

最初に泊まる修道院Zografouから20km歩き、往復4時間かけてVatopedi修道院まで日帰り巡礼して帰ってくると、既にZografou修道院の祈りは始まっていた。Vatopedi修道院では教会内部の様子を見てその荘厳で神聖な雰囲気に圧倒されたけれど、ぼくはまだアトスの祈りの姿をこの目で見たことがなかった。一体アトスで行われているギリシャ正教の祈りとはどのようなものなのだろうか。

 

 

・Zografou修道院の中に広がる美しい宗教的風景

 

実はまだ到着してからZografou内部を見学したことがなかった。教会内部へ行く前に少し中を見て回った。Vatopedi修道院ほど巨大ではないもののZografou修道院の内部もものすごく敷地が広くて立派であり全てを見回るのにかなりの時間を費やすほどだった。

 

 

 

やはりギリシャ正教は壁のフレスコ画が何よりも印象的で美しい。色も青色や水色を基調としていてぼくの好みの世界観だった。何だかこの修道院のキリスト画は若々しくて好青年に見える。キリストってお髭が生えたおじさんっぽく描かれていることがほとんどだったので、Zografou修道院のお髭がない若くて美しいキリストが記憶に残った。

 

ここZografou修道院でお花が綺麗に手入れされていて素敵だった。Vatopedi修道院の時もそうだったが、ぼくの中ではどうしても“男だけの世界”と“お花が美しい世界”が結びつかなかったので興味深かった。お花の手入れってどうしても女性が好んでやっているイメージがあったからだ。男だけの世界でも花々が美しく咲き誇るまるで天国にいるような修道院が表現できるのだと知って、ひとつの学びになった。

 

・人生で初めて目撃するギリシャ正教アトスの祈り

修道院の内部を見て回った後で、ついに教会内部に進入する。やはり教会内部はかなり暗く、壁一面に天井まで敷き詰められた神聖な宗教画がぼんやりと暗闇の中で浮かび上がる。まるで神々の姿はそう簡単に見晴るかすことはできないのだという暗示が、この暗闇によって表現されているような気さえしてしまう。

暗闇の中にろうそくの灯火だけが黄金色に燃え輝き、黒ずくめの修道士たちの姿を浮かび上がらせている。あまりにも荘厳な雰囲気に、時空を超えて古代の神々の世界に迷い込んでしまったのではないかと錯覚してしまう。修道士は一切楽器などを使わずに、肉声のみで祈りの言葉を歌として捧げている。

一方でギリシャ正教徒の巡礼者たちは、ずっと教会内部で真面目に祈りを捧げている人もあれば教会に出たり入ったりを繰り返している人もいて、何だか柔軟な印象を受けた。祈りの時間だからといって正教徒は絶対に教会にいなければならないというわけでもなさそうだ。祈りの時間が長すぎるので、自分の気が向いたら教会内部に入り、十字架を切り、イコンにキスをし、祈りが終わったら出ていくというような光景も普通に見受けられた。

 

・衝撃!異教徒はアトスの祈りを見学することが許されなかった

ギリシャ正教の教会は、2つの部屋に分かれている。祈りを捧げるメインの部屋と、その後ろに設けられたサブの部屋だった。祈りは常にメインの部屋で執り行われており、ほとんどの修道士はメインの部屋で歌ったり祈ったりしていたが、何人かの修道士はサブの部屋で座っていることもあった。おそらく彼らにはサブの部屋にいなければならない何らかの役割が担わされているのだろう。

巡礼者たちはメインの部屋に入っていることもあれば、サブの部屋で座って祈りに満ちた修道士の歌を聞いている人もあった。ぼくは生まれて初めて見るギリシャ正教の祈りが興味深く、しかしメインの部屋に堂々と入ってもいいのか分からずに、修道士たちの祈りの姿がしっかりと見えるように、メインの部屋とサブの部屋を繋ぐ扉の辺りで祈りを見学していた。

しばらくの間は何事もなくアトスの祈りを目撃することができたが、突然修道士から話しかけられ「あなたはオーソドックス(正教徒)か?」と尋ねられた。「いいえ」と答えると「あなたはここにいてはいけない。教会から出なければならない」と教えられた。

「え?!そうなの?!」とぼくは強い衝撃を受けた。アトスでは異教徒が、祈りを見ることが禁止されていただなんて!ぼくはスペイン巡礼の経験もあり、キリスト教って異教徒であろうとみんな祈りに参加してもいいのだと思い込んでいた。また「孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス」の文章を読んで、アトスの祈りって普通に当たり前のように見学できるものだと信じていた。

しかし違ったのだ。「孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス」の著者はギリシャ正教徒だった。彼は洗礼を受け、ギリシャ正教徒になってからアトスに入山したので、当然アトスの祈りに参加することに何の問題もなかった。しかし確かに「孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス」にはアトスでは異教徒はどのような扱いを受けるかということには一切言及されていなかった。それは著者がギリシャ正教徒であるからに他ならなかった。「孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス」はギリシャ正教徒の巡礼の記録なので、ギリシャ正教徒ではない人のアトス巡礼がどのようなものであるかが、それを読んでわかるはずもなかった。

異教徒はアトスで、ギリシャ正教の祈りを見ることを許されない。それがわかったときのショックは凄まじいものがあった。“祈り“というアトスの真髄を見学もできないのに、何のためにアトスに来たのだろうか。ギリシャ正教はどのような宗教であろうと分け隔てなくみんなで祈りを捧げようというスペイン巡礼のカトリックとは異なり、遠慮なく正教徒と異教徒を線引きし、分割し、区別するようだった。ぼくにはそれが伝統的とも保守的とも感じられた。

しかしそもそも女人禁制を守っているという時点でその性質に気付くべきだったのかもしれない。男と女を線引きし、分割し、区別することで女人禁制は実行される。それが正教徒と異教徒という次元にまで適応されてしまっているだけのことだ。男と女、正教徒と異教徒のように、世界を2つに分裂させる二元論的な思考回路は、まさに西洋的もしくは一神教的だと感じられた。男の中にも女があり、女の中にも男があり、お互いに混沌と交わり合い拮抗し合いながら世界が成り立ち保たれているのだという東洋的な世界が彼らには見えない。この世を善と悪、正しさと間違い、嘘と本当に無理矢理に分け隔てることで、生み出された人間の愚かな争いは数知れない。

 

・さらに衝撃!異教徒は正教徒と食事を共にすることができなかった

異教徒は祈りを見ることができないという衝撃の後に、更なる衝撃が加えられた。何と異教徒は、正教徒と食事を共に取ることができないのだった!

祈りの後、正教徒はみんな横並びになって食事を取ることになっているのだが、ぼくだけが離れた別の机に案内され、ポツンとひとりぼっちで食事を取ることになった。その日の巡礼者のうち、異教徒はぼくだけだったのだ。しかも異教徒は食事の前後の祈りに参加することが許されないので、食事の前後はいちいち食堂の外に出なければならないという徹底ぶりだった。

これに関しては決まりだから仕方ないと思うものの、何だか仲間外れにされたような寂しい気持ちを拭うことができなかった。しかしながら食事内容が区別されるということはなく同じものをいただくことができたので、そこまで酷い区別を受けたという実感はなかった。きちんと美味しい食事を出してくれているのだから、全く文句はないどころか非常にありがたかった。

食事の内容はひよこ豆の煮物、サラダ、フェタチーズ、オリーブ、パン、ブドウだった。食事を写真撮影することは許されなかった。ギリシャ名物のフェタチーズをぼくは初めてこのZografou修道院で食べたが、ものすごく塩辛いなぁという印象だった。少量ならば食べられるけど大量には食べられないかなぁ。何だか高血圧になりそう。同じ理由でぼくはギリシャ名物のオリーブも苦手だった。塩辛すぎない?しかしメインのひよこ豆の煮物は素朴な味付けで非常に美味しかった。4時間歩いてVatopedi修道院まで歩いた後だったので余計に食事が美味しく感じられて大満足だった。

 

・真実を知る者と真実を知らない者

修道士の中に日本マニアの英語を話せるおじさんがおり、その人に「異教徒はお祈りを見られないの?」と尋ねると次のように答えられた。「真実を知る者が、真実を知らない者と同じ空間にいながら祈りを捧げることはできない。あなたが正教徒になるのなら、何も問題なく祈りを見られるだろう」

ぼくが思ったのは、教会内の修道士はぼくが明らかにアジア人の顔をしているから「あなたはオーソドックスか?」と聞いたのではないかということだ。ぼく以外の巡礼者はみんな白人だ。果たしてあの修道士は白人にも「あなたはオーソドックスか?」と聞いたのだろうか。白人だけのこの空間においてそのような面倒なことをいちいちするはずはない。きっと白人的外見の人には「あなたはオーソドックスか?」と聞かないだろう。しかしぼくが思うのは、白人の中にも異教徒はいるのではないだろうか。そしてその白人的外見の異教徒は、きっと異教徒とは気付かれずにスルーされるだろう。知らない間に祈りの見学も許されるし、食事も共に取っていたかもしれない。

そう考えるとアトス巡礼において、アジア人的外見をしていることはかなり損であると思われた。明らかにこの人は正教徒ではないかもしれないという印象を外見によって与えてしまうからだ。そして実際にぼくは正教徒ではなく異教徒だった。けれどもしもぼくが白人的な外見をしていたならば、教会内で祈りを見学していても修道士に何も指摘されなかっただろうと考えると、不条理を感じないということもなかった。

 

 

・Zografou以外のアトスの修道院では果たして祈りの見学は許されるのだろうか

しかし何もアトスの修道院はZografouだけではない。Zografou修道院はアトスで最初に訪れた一修道院に他ならないのだ。異教徒が祈りを見てはいけないというのは、もしかしたらZografou修道院だけの厳格な決まりなのかもしれない。そうであってほしい、他の修道院では祈りを見られますようにと心の中で祈りながら、Zografou修道院の夜は更けていった。

このように様々な区別を受けたZografouだったが、これが修道院の決まりならば仕方ないことだろうと思うし、それによって何か酷い不利益を被ったということもなかった。他の正教徒と同じようにきちんと快適な宿も提供してくれたし、美味しい食事も出してくれたし、色々ギリシャ正教のしきたりを教えてもらったりしてとても感謝しているし全く不満はない。ただ少し、寂しいような感じがしたという個人的な感想だった。

 

 

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