朝ドラマッサンの舞台!北海道余市蒸溜所でウイスキーができる過程を無料見学した

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ウイスキーを作る方法が大迫力ですごい!!!!!

朝ドラマッサンの舞台!北海道余市蒸溜所でウイスキーができる過程を無料見学した

・ぼくの「日本海沿いを北上する旅」+「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅
・朝ドラ「マッサン」の舞台である余市蒸溜所へ行ってみよう!
・余市蒸溜所は完全オンライン予約制だった
・ウイスキー作りの過程では「蒸留棟」が迫力があって面白かった
・ウイスキーの天使のわけまえ
・車で来なかった人はウイスキーの試飲が無料でできた
・ウイスキー博物館では、創設者の竹鶴政孝とリタ夫人の歴史が知れて興味深かった
・ウイスキー博物館のレトロなポスターはCMも素敵だった

・ぼくの「日本海沿いを北上する旅」+「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅

こんにちは!世界一周+日本一周の旅を続けている水色です。

ぼくは今までの人生で日本海沿いの地域をほとんど旅したことがなかったので、新型コロナウイルス感染拡大の影響で外国にも行けず旅人としてはこのまま日本を深めるしかないという絶好の機会に、日本海沿いを北上する車中泊の旅を決行した!

岡山県、広島県、山口県、佐賀県、長崎県、福岡県、大分県、熊本県、島根県、鳥取県、兵庫県、京都府、福井県、石川県、富山県、新潟県、山形県、秋田県、青森県、フェリーに車ごと乗り込んで北海道函館まで渡り、そのまま北海道の最北の離島、礼文島の澄海岬を「日本海沿いを北上する旅」の最終目的地とした。

そのまま北海道をぐるっと一周し、再びフェリーに乗って青森県へ!青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、長野県、岐阜県、山梨県、静岡県と「太平洋沿いを南下する旅」を完遂した。

結果的にぼくは7月〜11月までの間ほぼ4ヶ月かけて「日本海沿いを北上する旅」「太平洋沿いを南下する旅」日本一周の旅を達成したことになる。この旅ブログ「ミズイロノタビ」では、あまりに感動的で素晴らしすぎた日本一周の旅の一部始終を公開しようと思う。

 

 

・朝ドラ「マッサン」の舞台である余市蒸溜所へ行ってみよう!

北海道一周・車中泊の旅をほとんど終えて、小樽まで戻ってきた。小樽のそばの余市町という場所に、ウイスキーを作っている過程を無料見学できる「余市蒸溜所」があるというので訪れてみることにした。余市蒸溜所はあのNHK朝ドラ「マッサン」の主人公である、純国産のウイスキーを日本で初めて作った竹鶴政孝が建設したニッカウヰスキーの創業地となっている。

 

・余市蒸溜所は完全オンライン予約制だった

新型コロナウイルスの影響で2020年は予約制になっており、インターネット上でオンライン予約してからでないと見学できなかったので注意が必要だった。駐車場も入場料も見学料も無料!予約通り13時に集合すると、ガイドさんが1人ついてくれてまずは敷地内を詳しく案内してくれた。

 

・ウイスキー作りの過程では「蒸留棟」が迫力があって面白かった

 

余市蒸溜所で興味深かったのは、ウイスキーをどのように作るのかどの過程の詳細を学べたことだった。ウイスキーを作るためには、麦の乾燥→糖化→発酵→蒸溜→貯蔵→商品化の過程を辿るという。見学していて特に面白かったのはこのうち「蒸溜」の過程だった。

 

蒸溜の過程は「蒸留棟」で見ることができた。蒸留棟には今までの人生で見たこともない不思議な形をした巨大な蒸留機が立ち並んでおり、それぞれの胴体にはしめ縄が巻かれていて神様のように扱われていることが示唆されていた。日本には八百万の神がいて、山にも川にもトイレにもそれぞれに神様が宿っていると信じられているというが、まさかウイスキーを作る機械にさえ神様がいると信じられているなんてとても不思議な気分だった。

蒸溜機の下には加熱装置が設置されており、伝統的な石炭直火焚きでアルコールを取り出していた。ぼくが実際に見学した際にも、係の人が真っ赤に燃えるかまどに熱を調整しながら炭を投入していて、その様子がとても神聖で迫力があった。

 

・ウイスキーの天使のわけまえ

樽に貯蔵したウイスキーは長年保管していると量が半分ほどになってしまい、それは「天使のわけまえ」と表現されると言う。

 

・車で来なかった人はウイスキーの試飲が無料でできた

一通り見学が終わった後には、無料でウイスキーを試飲することができた。しかしぼくは車で来たのでジュースをいただくことしかできなかった。見学した過程を経て作られたウイスキーはどんな味がするのだろうと興味深かったが、車で来たのでどうしても飲むわけにはいかなかった。ここは電車かバスで来る場所だったのかもしれない。

無料試飲の後にはお土産コーナーが待っていて、数多くのウイスキーの銘柄が並んでいた。無料見学させてもらったのにここで何かを買わなければ申し訳ないような気がしたが、ぼくは本来お酒が好きでもなく、人生でウイスキーというものを飲んだことがなかったでどんな味か想像もできなかったので何も買えなかった。好きでもない可能性が高いお酒をちょっと試しに買ってみるにしてはどれも結構高価だったのだ。

 

・ウイスキー博物館では、創設者の竹鶴政孝とリタ夫人の歴史が知れて興味深かった

ガイドさんに引率されて巡るツアーが終わると、その後は自由行動することができ、好きに敷地内を回ることができた。この時に見学ツアーの際にはゆっくり見られなかった場所をゆっくり自由気ままに見学することができた。

その中でもウイスキー博物館は、創設者の竹鶴政孝やリタ夫人の歴史を知ることができてとても面白かった。少女のことから文学を愛する物静かな女性だったスコットランドのリタは、1919年、23歳の時に東洋人の竹鶴政孝に出会った。弟に柔道を教えるために訪れた彼は寂しげだったが、日本で本物のウイスキーを作るという夢を熱っぽく語る姿にリタは好感を持ち、政孝が定期的に訪れ、楽器を奏でたり家の外でも合うようになると、いつしか思いは募るようになる。政孝は家族ぐるみの付き合いをしていたが、リタに結婚を申し込んだ時、家族に反対されてしまった。リタ24歳は政孝26歳と共に歩む決心をし、戸主の許可を必要とする教会での結婚(レギュラーマリッジ)を諦め、登記所での署名結婚(イレギュラーマリッジ)という方法を選んだ。

1920年に政孝とリタは日本へ帰国した。自分の信念に忠実に生きる政孝は仕事を辞め、ウイスキー作りのあてもない日々を過ごしていたが、リタは政孝の夢を信じて励まし続けたばかりではんく、大阪や京都で親しくしていた人々を政孝に紹介し、4人で会社を起こすことになる。1934年にはスコットランドによく似た、ウイスキー作りの最適地だという北海道のここ余市へ移った。余市は政孝の言う通りスコットランドに似ており、リタは余市へきて初めて、自分たちの夢が確実になるという実感を掴んだ。やがて「ニッカウヰスキー」の第一号ウイスキーが完成し、2人の夢はここ余市で形になったのだった。

 

 

・ウイスキー博物館のレトロなポスターはCMも素敵だった

ウイスキー博物館には歴史の資料の他にも、ウイスキーのレトロなポスターやCMが流れていたりして、それを見ているだけでもとても楽しめた。奥には有料で試飲できるスペースもあったけれど、もちろんぼくは車なので飲めなかった。

 

 

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