大自然への回帰から男根崇拝まで!日本一周しながら日本人が温泉を大好きな理由を徹底考察してみた

(この記事には広告が含まれる場合があります)

 

日本人は温泉が大好き!!!!!

大自然への回帰から男根崇拝まで!日本一周しながら日本人が温泉を大好きな理由を徹底考察してみた

・日本人は温泉が大好きすぎる民族!
・日本の温泉施設は大自然の模倣によって成り立っている
・温泉では生殖器を露わにし自分は動物だと明かすことで、大自然へと回帰できる
・禅において悟りの最終段階は、大自然へと回帰すること(返本還源)
・野湯や秘湯では裸体と大自然を対峙させ、本物の「返本還源」の感覚を味わえる
・日本各地の野湯/秘湯の旅の記事一覧はこちら!
・温泉は地球や大地のエネルギーを人間にダイレクトに伝える
・日本人の自然崇拝の信仰心が、温泉というダイナミックな大自然の現象にも向けられる
・温泉は女陰だから男根を祀るという日本の男根崇拝は、生命の根源の観点からすれば理にかなっている
・日本各地の男根崇拝/生殖器崇拝の記事一覧
・日本人が温泉を大好きな理由の考察まとめ

・日本人は温泉が大好きすぎる民族!

日本人は温泉が大好きな民族として知られている。ぼくは2020年に車中泊で日本一周の旅を実行したが、確かに日本各地どこへ行っても日本人は温泉施設を作って温泉文化を楽しんでいたし、秘境であれば施設や建物など設けずに大地から湧き出るままに開放的な状態で野生の温泉を利用する秘湯や野湯のような文化も存在し、日本人の温泉に対する深いこだわりや執着心を見せつけられる思いがした。

日本の代表的な人気アニメ・クレヨンしんちゃんの映画でも「爆発!温泉わくわく大決戦」などと言って、温泉をテーマとして子供向け映画が1本作れてしまうほど、日本では温泉文化が盛んだし温泉に入ることが大人から子供まで馴染み深い風習であることがうかがえる。

台湾人と一緒に日本を旅行していても、日本の豊かな温泉文化には驚かされているようだった。台湾にも温泉はもちろん存在するが、日本のように気軽に日帰り入浴などはできず、友達や家族などで貸し切って利用するのが一般的だと教えられた。だから知らない人や友達の前で裸になるという経験も、日本ならごく普通のことだが台湾では珍しいことだという。

いったいどうして日本では独自の温泉文化が育まれてきたのだろか。そしてなぜこんなにも日本人は温泉が大好きなのだろうか。その理由を日本一周の旅をしながら考察してみた。

 

 

・日本の温泉施設は大自然の模倣によって成り立っている

日本の温泉施設や温泉旅館を見ていると、ある特徴があることに気がつく。日本の温泉にはやたらと大小様々な岩がゴロゴロと設置されていたり、わざと温泉の滝が作られて迫力ある音を立てていたり、露天風呂にはたくさんの木が生い茂ったりしている。これは全国共通で見られる日本の温泉の典型的なよくある風景である。それはまるで人工的な空間であることを忘れさせ、大自然の森や山の中に迷い込んでしまったかのようだ。多くの日本の温泉施設というのは、まさに日本の大自然の模倣をテーマとして作られているでのはないだろうか。

岩がゴロゴロしていたり、滝や川が激しく流れていたり、木々が生い茂っていたりするのは、まさに日本の風流な山奥の風景を彷彿とさせる。ぼくたち日本人にとって温泉へ出かけるとは、ただ単にお風呂に入るということだけを意味するものではなく、もっと深いところで精神が大自然へと回帰すること、野生へと立ち帰っていくことを意味しているのではないだろうか。

地理的に新期造山帯に属する日本列島では大地の活動が活発だったので、昔から多くの温泉が湧き出ていたはずだ。今のような温泉施設なんてものができるずっと前から、人間がまだ野生動物との区別があまりつかない時代から、人間たちは森の中や川沿いや海の近くに湧き出ていた野生の温泉に入浴し心と体を休めていたのではないだろうか。そのような原始への憧れや野生への懐かしさが温泉を媒介として、今の時代になっても日本人の心を刺激しているような気がしてならない。

 

・温泉では生殖器を露わにし自分は動物だと明かすことで、大自然へと回帰できる

日本人は温泉に裸で入る。日本の温泉に入るのに裸以外は考えられない。ハンガリーのブダペストで水着を着ながら温泉に入らされたがそれはそれは気持ちが悪かった。やはり日本人にとって裸になって温泉に入るというのは特別な意味合いが含まれているのだろう。裸になることは、まさに大自然への回帰を表しているのではないだろうか。岩がゴロゴロしていたり、滝が流れていたり、木が生い茂っていたり、そんな風に日本の山奥の風景を模倣した温泉の中に、まさに素っ裸で入っていくと、もはや人間であることを忘れて、ただの野生動物に戻ったような気配がする。この「自分が野生動物に返る」ということこそが、日本人の温泉へ入る精神的な本来の目的なのではないだろうか。

人間は社会の中で、自分は動物なんかじゃありませんというような顔つきで生きていくことを強いられている。もっと具体的に言えば自分は文明的人間です、野生動物なんかじゃありません、生殖器も付いていなければ生殖もせず排泄もしません、そんな野蛮な動物ではありませんというような澄ました顔をして洗練された生活を営まなければならないという気配を人間社会はまとっている。しかしみんながどんなに自分は動物的ではありませんという顔つきをし合いながら生きていても、それは絶対に嘘だとお互いがお互いを見抜いている。みんな人間である限り、どんなに衣服やパンツで必死に隠していても、誰にも生殖器がちゃんと付いており、動物のように生殖や排泄をしている洗練されているとはほど遠い野蛮な動物なのだということをお互いに知っている。

ぼくたちは人間として社会で生きる限り、全ての人々にあらかじめバレていると分かりきった秘密を、必死になって隠しながら生きていかなければならない矛盾した運命を背負っている。みんな自分が生殖器のついた単なる動物だと知っているのに、それは明らかにみんなにバレているのに、それなのにぼくたちはパンツとズボンを履いて二重になって必死に自らの野生を他者から隠し、自分は生殖器のついた動物であるという秘密を断固として守ろうと努力する。元からバレていることがわかりきった秘密を必死になって隠さなければならない、この人間社会における野生の矛盾が、人間の精神にどれだけの負担をかけていることなのだろう。しかしその重荷は、日本の温泉という聖域によって解き放たれる。

日本の温泉空間に迷い込めば、誰もが皆大自然の中をウロウロしている裸の動物に過ぎない。自分が生殖器のついた単なる野蛮な動物だという事実を、温泉空間でだけは遠慮なしに開放し、わかち合い共有することが可能となる。社会の中で服を着て隠し合っているだけでは不確かで不安になるが、なんだやっぱりみんな自分と同じ生殖器のついて単なる動物なんだ、動物のように野蛮に排泄もすれば生殖もするのだということが明らかとなり、共有感と心の安堵が生じる。温泉空間という聖域ではどんなに地位や名誉がある人も、お金持ちの人でも、頭のよい頭脳明晰な人でも、外見が優れている人でも、裸になることによってただの情けない動物へと成り下がり、人間は誰もが皆平等だということを教えてくれる。

人間は温泉に入ることによってようやく矛盾したおかしな社会的隠蔽システムから精神を解き放つことができ、全ての人間を平等で野蛮な動物に返したところで、さらなる深みへと日本人の心を導いてくれる。それが模倣された自然への回帰である。日本の温泉空間という、岩がゴロゴロしていたり、滝が流れていたり、木が生い茂っていたりしている日本の深山幽谷の神秘的な大自然の模倣の中に、何ひとつ衣服をまとわずに、生殖器を遠慮なく露わにしながら迷い込むことで、やっと本物の野生動物へと返ったような心地がする。日本の温泉空間において野生へと回帰できるというこの神秘的な現象が、どれほどの日本人の心を癒してきたのだろう。そして野生へと回帰したいと願う心を忘れずに、温泉という文化風習に絡ませながら現代に至るまで大切に受け継いできた日本人という人々をぼくは素晴らしいと感じる。

 

・禅において悟りの最終段階は、大自然へと回帰すること(返本還源)

禅の教えをわかりやすく伝えるための「十牛図」という絵がある。そこには禅において悟りへとつながる10段階の境地が、10の牛の絵を用いて端的に表現されている。悟りへの段階を確実に踏んでいき、やがて自分と他者の区別すら忘れてしまう「人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)」という境地に達する。ここで悟りを開けたのかと思いきや、その後に本物の悟りの境地がまだ続いていく。「人牛倶忘」の後に来る本物の悟りの境地は、大自然へ帰って行くことを意味する「返本還源(へんぽんかんげん)」だ。

「十牛図」は宋の時代の中国で作られたという。東アジア人にとって悟りの最終的な境地とは、大自然に回帰し、大自然と一体となり、大自然の一部に還っていくことを意味していたのだ。まさに日本の温泉文化に通じるものが、禅の悟りにはあるとぼくは感じる。温泉とはまさに禅的であり、禅とはまさに温泉的なのだ。

 

・野湯や秘湯では裸体と大自然を対峙させ、本物の「返本還源」の感覚を味わえる

この日本の温泉文化における「返本還源」の思想は、温泉施設だけではなく野湯や秘湯においてより濃厚に感じ取ることができる。ぼくは日本一周車中泊の旅で初めて日本にこんなに野湯というものが点在していることに気づかされた。野湯とは大自然の中にあり、大地からお湯が湧き出るまま野生の温泉の状態を保っており、大抵の場合それはなんと無料で入ることができるのだ!北海道の知床半島で無料の野湯の存在を知って以来、ぼくはずっと秘湯や野湯を探しながら日本列島を南下することになった。それほどに野湯というのは魅力的な存在だったのだ!

日本人にとって温泉に入る最も大きな精神的目的のひとつが、裸になって大自然へと回帰し野生を取り戻すということならば、有料の温泉施設というものは日本の大自然の模倣という観点からその役割を十分に果たしていると言えるが、もっとリアルで模倣ではない本物の日本の大自然と自らの裸体を対峙させ野生へと帰りたいと願うなら、もはや温泉施設という偽物では物足りなく感じてしまうことだろう。日本には秘湯文化、野湯文化があり、周囲に何もない、人すらほとんど訪れないような大自然の中に、ポツンと入浴可能な温泉が点在しているのだから素晴らしい!

大自然の中の秘湯や野湯を訪れると、まさに模倣や偽物ではなく本物の大自然の中へと迷い込み、そこで衣服を脱ぎ捨て裸になって温泉につかると、もはや過言ではなく本物のただの野生動物に返ることができる。大自然と自らの肉体を隔てるものは何もなく、ただ裸体のままで大自然と堂々と対峙する。秘湯や野湯でこそ、本物の「返本還源」の神秘的な感覚を味わえるのだ!

 

・その他日本各地の野湯/秘湯の記事一覧はこちら!

滝の水が全部温泉!秋田県の秘境「川原毛大湯滝」は人生最高の温泉体験だった(10月でも入れたよ)

日本最東端の無料秘境温泉!羅臼「相泊温泉」は海と国後島と日出を一気に見られる唯一無二の海岸絶景野湯だった

マナーは?シャンプーは?温度熱すぎ?!羅臼の素晴らしき無料天然温泉「熊の湯」について徹底解説!

海の真ん中に浮かぶ秘湯!羅臼「瀬石温泉」は干潮時にしか入れない無料絶景露天風呂だった

運転が苦手な人はアクセス注意!北海道「川北温泉」は大自然と一体になれるまさに絵に描いたような秘湯だった

道東斜里の秘湯で日帰り入浴!「越川温泉」は三度入ればそそり立つというローカルな名湯だった

川のすぐそばの混浴露天風呂!北海道中標津町の大自然に囲まれた野湯「養老牛温泉 からまつの湯」に魅了された

「コタン温泉露天風呂」は屈斜路湖の絶景を眺めながら入浴できる素晴らしき無料野湯だった

屈斜路湖沿いの「池の湯」は北海道の森の中にある神秘的で広大な絶景無料野湯だった

北海道の美しき秘境湖「オンネトー」とそばにある秘湯「野中温泉」で日帰り入浴して来た

秋の然別峡野営場・鹿の湯は、北海道の大自然の中で川のせせらぎを聞きながら入れる理想的な無料秘湯だった

北海道然別峡・鹿の湯周辺に点在している崖下の湯、メノコの湯、ペニチカの湯などの野湯群を巡った冒険記

砂利道の狭路の先は立入禁止?!秋田県「奥奥八九郎温泉」は野性味あふれる野湯だった

日本海を一望できる絶景混浴露天風呂!青森県「不老ふ死温泉」に日帰りで行ってきた

白濁の巨大混浴露天風呂!憧れの秘湯・秋田県乳頭温泉「鶴の湯」で日帰り入浴してきた

荒涼とした大地に点在する泥の混浴露天風呂!東北地方一標高が高い「藤七温泉 彩雲荘」に日帰り入浴してきた

温泉=女陰だから温泉には男根を祀る日本の風習があると「藤七温泉 彩雲荘」の巨大木造男根から学んだ

不思議な男根神チムチムゴッドを発見!Go To トラベルで岐阜県下呂温泉に泊まったら日本の生殖器崇拝への理解が深まった

マタギの由来、伝統的風習、山の神信仰まで徹底解説!秋田県「マタギ資料館」を見学し日帰りで「マタギの湯」も堪能した

巨大ダムの見える絶景混浴温泉!岡山県北部の湯原温泉の砂湯に行ってきた

不思議な絶景の秘湯!町中に蒸気が立ち込める熊本の秘境で「岳の湯」に浸かる

秘湯って本当にあったんだ!大分県別府の「鶴の湯」に感動した

人生初の混浴!大分県湯布院の「下ん湯」に行ってきたことと男性と女性の肉体について

日本最古の湯船!和歌山県白浜の「崎の湯」は海がすぐそこに迫る絶景露天風呂だった

日本最古にして唯一の世界遺産温泉!湯の峰温泉「つぼ湯」へ行ってきた

 

・温泉は地球や大地のエネルギーを人間にダイレクトに伝える

ぼくは旅の中で和歌山県にある日本最古にして唯一の世界遺産温泉である湯ノ峰温泉「つぼ湯」を訪れた。「つぼ湯」は非常に面白い他には見たこともないような温泉で、小さな湯船が30分の貸切となっていた。この「つぼ湯」の湯船の広さからすれば小さく見えるけれどものすごく深く、なんと立ちながら入浴しなければならないほどだった!

日本最古にして唯一の世界遺産温泉!湯の峰温泉「つぼ湯」へ行ってきた

「つぼ湯」のお湯はとても熱く入りにくいため、いくらでも水で埋めていいということだった。なんでも底から次から次へと熱い温泉が湧いて出てくるので、どんなに水で埋めても一瞬でお湯が入れ替わるので次の人のことを心配しなくていいということだった。

この「つぼ湯」に入っていると、本当に底の方からお湯がどんどん湧いてくるのが足の底の皮膚を通して伝わって来て、温泉というものはこのように地球や大地のエネルギーの恵みをもたらされているものなのだなぁということを肌で実感した。日本人が温泉文化を昔から大切にしているのは、このような地球からのエネルギーをしっかりと感じ取り、大自然に対して畏怖の念を抱いているという理由もあるのではないだろうか。

 

 

・日本人の自然崇拝の信仰心が、温泉というダイナミックな大自然の現象にも向けられる

日本には数多くの神社がある。その多くは天皇などにまつわる古事記や日本書記の神々が祀られているが、ぼくが注目してしまうのは、そのような政治的な天皇的神々が祀られる前には、その神社や祈りの聖域では何が祀られていたのかということだ。日本人の祈りの根源をたどって行くと、そこには水や木や石を信仰していた自然信仰へと行き着く。つまり日本人は古来より大自然そのものを信仰の対象とし、祈り続けてきたということだ。その気配は政治的な神々に上書きされた今でもなお、この日本という国に祈りの形態として残存し続けている。

前世がゆるされる!熊野速玉大社は険しい山上の巨大な岩の権化

現世を救う!熊野那智大社は古代の清らかな滝の水となって

来世を司る!熊野本宮大社は神聖な熊野の森の化身

日本人の宗教観の源流!日本人は仏様・神様の前に何を信仰していたか?

例えば世界遺産である和歌山県の熊野古道を代表する3つの神社では、熊野那智大社では滝そのものを御神体として、熊野速玉神社では巨大な岩石を御神体として、熊野本宮大社では熊野の森へと祈りを捧げる場所であるように感じられる。いずれも日本の原始的な信仰形態を現代に至るまで忘れずに受け継いでいるという点において価値があり、世界遺産に登録されるまでになったのではないだろうか。

このように自然そのもの、大自然そのものを畏れ、敬い、信仰し、祈りを捧げるという信仰の形は古来より日本人にとって自然なものであり、大地からの恵み、地球からのエネルギーである温泉という底知れぬ現象に対してもありがたさを感じ、畏怖の念や信仰の思いを抱いたことから、日本人は古来より神のような存在として温泉を大切に守って来たのではないだろうか。温泉地に行くと重要な場所に必ずと言っていいほど神社やお寺が温泉の神として祀られている。

また温泉には本当か嘘かわからないような効用効能が記されていることが多い。温泉は実に様々な病気に効果があるのだそうだが、これは本当に医学的に証明されたものだけが記されているのだろか。温泉は神的でありがたいものだから、きっと何かいいご利益を運んでくれるだろうという日本人の温泉に対する期待を感じずにはいられない。

 

 

・温泉は女陰だから男根を祀るという日本の男根崇拝は、生命の根源の観点からすれば理にかなっている

温泉ではみんな裸になるので、日本では独特な性的信仰の文化さえ発展させて来たようだ。ぼくが日本一周の旅をして驚いたことは、温泉に巨大な木造や石の男根像を祀る文化があったということだ。日本人として生まれ育ったのにそんなこと全然知らなかったが、なんでも温泉は女性器を意味しているので、その対となる男根を祀るという風習が日本にはあるのだそうだ。しかしここは温泉なのだから男根なんか祀らなくてもそこらへんに男根がたくさんあるのでは?と少し疑問に思ってしまった。しかしこの温泉に男根を祀るというのは日本各地にある伝統的な風習のようで、日本一周の旅をしていても至る所で目撃することができた。

しかし裸になることが当たり前の温泉空間では、男根はもはや卑猥でも異常なものでもなくただそこにある肉体の器官の一部に過ぎないものとなるだろう。人間社会では男根を卑猥なものとして遠ざける傾向があるが、全ての人間の生命が男根から誕生している以上、その姿勢こそが異常だと言うことができる。男根が卑猥だとすれば、そこから生まれた人間の全ては卑猥な存在なのだろうか。男根が卑猥だと退けるより、男根を全ての生命の根源、すなわち人類全体の繁栄をもたらす神のような存在として、ありがたく祀っている日本の温泉文化の方がむしろ理にかなっているし、正しい姿勢ではないだろうか。

温泉=女陰だから温泉には男根を祀る日本の風習があると「藤七温泉 彩雲荘」の巨大木造男根から学んだ

不思議な男根神チムチムゴッドを発見!Go To トラベルで岐阜県下呂温泉に泊まったら日本の生殖器崇拝への理解が深まった

 

・日本各地の男根崇拝/生殖器崇拝の記事一覧

自然石の巨大な男根岩!群馬屈指のパワースポット榛名神社は奇岩だらけだった

遠野物語にも出てくる男根神!「山崎のコンセイサマ」は石も木も賽銭箱も全部男根だった

たくましくリアルな男根像が並ぶ金勢社!遠野の「早池峰神社」は神聖な雰囲気あふれる山寺だった

仲良く並ぶ男根と女陰!岩手県遠野「伝承園」にも金精様(コンセイサマ)が祀られていた

巨大にそそり立つ男根たち!日本昔ばなし「マヨヒガ」を求めて遠野を彷徨えば程洞稲荷神社のコンセイサマへたどり着いた

巨大な木造の男根だらけ!大分県の「幸徳観音」は謎の珍珍スポットだった

男根と女陰の結合!大分県伊美別宮社の陰陽神(リンガ)を見て日本と世界の男根崇拝/生殖器崇拝がつながった

「日本の山の神は醜い女性でしかも男根が好き」という伝説は真実だと、島根県八重垣神社で確認できた

巨大な男根と女性器像!長崎県雲仙「木花聞那姫神社」で生命と日本信仰の根源を目の当たりにする

ちんちん鈴!?奈良県明日香村の飛鳥坐神社で男性器と女性器の結合と陰陽石の神秘をたどる

 

・日本人が温泉を大好きな理由の考察まとめ

まとめると日本人が温泉を大好きなのには様々な理由が考えられた。

その1.裸体となり誰もが自分は野蛮な動物だと告白する秘密の共有と安心感(裸の付き合い)

その2.温泉でただの間抜けな裸の動物と成り下がることにより、社会によって作られた偽物の地位や階級を崩壊させ人間を本来の平等な関係性に戻す

その3.模倣だろうが本物だろうが本来住むべき日本の大自然へと裸体で回帰することによって、禅における「返本還源」のような精神的悟りの境地を感受する

その4.地球や大地のエネルギーを直接裸体に受けることによって、その膨大なエネルギーにあやかろうとしている

その5.日本人が古来より石や木や水など大自然を信仰する一環として、温泉そのものを信仰の対象としている(温泉地の中心地には必ず神社やお寺や伝説がある)

その6.温泉をありがたい薬のようなものとして信仰しているので様々な効能効用を信じ、健康に役立てようとしている

その7.温泉への信仰はその裸体性と結びついた結果、自然と生殖器崇拝へと発展し、温泉=女陰だから巨大な男根を祀るなどして子孫繁栄をも促すようになった

 

 

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

 

関連記事