大都会新宿のど真ん中にも男根崇拝があるなんて!!!!!
大都会新宿の男根崇拝!伊勢丹近くの「花園神社」には巨大木造男根が隠されていた
・日本各地に満遍なく存在する生殖器崇拝・男根崇拝の不思議
・日本の生殖器崇拝・男根崇拝は辺境や田舎に存在する傾向がある
・コロナワクチンバイトのために新宿で暮らす日々
・大都会新宿の真ん中!花園神社は朱色の拝殿が美しいパワースポットだった
・衝撃!花園神社境内の威徳稲荷神社には巨大木造男根が隠されていた
目次
・日本各地に満遍なく存在する生殖器崇拝・男根崇拝の不思議
ぼくが日本一周・車中泊の旅を通じて最も驚いたことは、日本には男根や女陰を神様のように崇拝する生殖器崇拝が全国各地に散りばめられているということだった。特に石や木でできた男根崇拝が盛んで数多く見られ、日本にはこんな生々しい信仰の姿があったのかと祖国を新鮮な視点で見つめ直す大きなきっかけとなった。
最初ぼくが日本一周の旅で生殖器崇拝を偶然発見したのは、長崎県雲仙市の山の中でポケモンGOをしていた時だった。ぼくは全く気づかなかったが、どうやら石でできた巨大男根像がポケモンのジムになっており、ジムを目指して歩いていたぼくは知らず知らずのうちに巨大男根へと導かれていたのだった。この「木花聞那姫神社(コノハナサクヤヒメジンジャ)」には石の巨大男根像が野晒しで祀られていたのに加え、洞窟の中には石でできた巨大女陰像も姿を現し驚愕の一言だった。男根が天に向かって高くそびえ立ち、女陰が洞窟の影で待ち構えている、日本とは何て不思議な国なのだろうと興味深さを抑えることができなかった。
そしてその後の日本一周の旅路の中でも、ぼくは立て続けに生殖器崇拝の姿を、特に男根崇拝の姿を度々目撃した。それは木花聞那姫神社のある九州地方に留まらず、山陰地方にも関西地方にも関東地方にも東北地方にも見られたので、地域性は一切なく日本では全国で普遍的に生殖器が崇拝されているのだと気付かされるのに時間はかからなかった。もはや日本の神社の中に男根を身過ぎて、男根が祀られていることが当たり前だと感じるようになったほどだった。さらに男根と女陰があるからこそぼくたち人間の生命は誕生し、人類は繁栄していくのだから、2種類の生殖器を並べて崇め奉る生殖器崇拝はとても純粋で直感的なエネルギーに溢れた素晴らしい信仰形態ではないかと思うようになった。
・日本の生殖器崇拝・男根崇拝は辺境や田舎に存在する傾向がある
しかしそうは言っても日本の生殖器崇拝、男根崇拝にはあるひとつの共通点があると感じていた。それは割と田舎や辺境に存在しているということだ。なかなか大都会の東京や大阪で男根像が堂々とそそり立っている様子を見ることは難しいだろう。生殖器崇拝や男根崇拝は田舎や辺境の素朴な神社にまるで隠されているかのように過度に自己主張することなくささやかに置かれ、密かにしかしながら熱心に祈りを捧げる種類のものなのかもしれない。ぼくが日本一周するまで日本という祖国に生殖器崇拝があるという存在にすら気付くことができなかったのも、おそらく日本人がそれを辺境でひっそりと信仰されていたからに他ならない。あまりに密かにひっそりと祈りを捧げすぎて、住んでいる日本人にすらはっきりと気付かれないほどだったのだ。
ぼくが推測するに、生殖器崇拝とは人間にとって最も古く最も根源的な信仰形態ではないだろうか。その証拠に縄文時代の遺跡からも男根を模したような石棒が多数出土している。最も古く、最も根源的で、最も動物的で、最も原始的で、最も本能的で、最も純粋な生殖器崇拝や男根崇拝は、大陸から様々な高エネルギーの文化や宗教が輸入されていく中で、中心から追い出され次第に辺境へ辺境へと追いやられていったという歴史の流れがあるのではないだろうか。異国からの文明というものは、当然栄えた都市を通じて輸入されやすい。日本で言うと京都や大阪や東京などを歴史の中心舞台として数多くの異国の文明が通り抜けていったことだろう。異国の文明を受け入れて洗練され栄えた国際的な都市部では、本来この国にあったあまりに素朴なもの、生々しいもの、直感的なもの、原始的なもの、野生的なものは恥ずかしいもの、野蛮なもの、卑下すべきものとして次第に排除され、消滅していったのではないだろうか。その代表例として、生殖器崇拝があるような気がしてならない。生殖器崇拝や男根崇拝は元から田舎や辺境にあったというわけではなく、本来は日本全土に満遍なく普遍的に存在していたものが、時代の流れと共に都市部で排除されゆき、結果的に今現在田舎や辺境に残ってしまったということなのではないだろうか。
・コロナワクチンバイトのために新宿で暮らす日々
しかしこの「日本の生殖器崇拝・男根崇拝は田舎や辺境にある」という、ぼくが日本一周・車中泊の旅を通じて生み出した見事な法則が一瞬で脆くも崩れ去ってしまう衝撃的な出来事があった。それは東京都新宿の伊勢丹百貨店近くの神社を訪れた時のことである。新宿駅といえば日本はおろか世界で最も多くの電車の乗降者数を誇っており、文句なしに日本を代表する大都会のひとつと言えるだろう。ぼくはコロナワクチンバイトをきっかけとして度々東京を訪れるようになり、今となっては住んでいる関西の案件が少なくさらに安いということもあって、東京でしかコロナワクチンバイトをしなくなりもはや東京に住んでいると言っても過言ではない状態になってしまった。そんなぼくが東京で寝ぐらとしている街がここ新宿であり、新宿のホテルに滞在しながら伊勢丹百貨店前の十字路を通勤路としながら毎日コロナワクチンバイト会場に足を運ぶ生活が続いている。
・大都会新宿の真ん中!花園神社は朱色の拝殿が美しいパワースポットだった
そんな感じで新宿で何ヶ月も暮らしていると、当然様々な場所に寄り道するようになってくる。ここ「花園神社」もそんなよくある寄り道コースのひとつだった。花園神社は新宿を代表する百貨店である伊勢丹のすぐ近くに位置し、大都会の真ん中にありながら広大な敷地を有しゆったりと心が落ち着ける場所となっている。
大きな鳥居をくぐり抜けて拝殿へ向かう参拝路は巨大なビルとビルに挟まれ、まさに大都会新宿の神社という風格を醸し出している。
花園神社の拝殿は朱色で美しく、立派で荘厳な建物だった。どことなく和歌山県の世界遺産、那智大社を思い出させた。人間と物質だらけの新宿にこんな神聖な場所が存在しているなんてと感動せずにはいられなかった。
・衝撃!花園神社境内の威徳稲荷神社には巨大木造男根が隠されていた
広い敷地の境内を巡りながら、最終的には鳥居が数多く建てられた日本的な異世界感のある「威徳稲荷神社」を参拝した。これは花園神社の敷地内にある小さなお稲荷さんだ。
特に何の変哲もなさそうなお稲荷さんだったが、拝殿の裏に巨大な岩石の塊があったのが気になった。岩石の上にも祠が建てられており、これは原始的な岩石信仰が古代より元々あり、岩石を祈る場所に拝殿が建てられそれがお稲荷さんとなった経緯があることを示唆するものだろうか。
岩石の上、祠の横には垂直な石棒と左右に丸い石が2つちょこんと横たわっていた。なんだか少し男根崇拝のようにも見えたが、日本一周・車中泊の旅で見かけた生々しさや迫力はなく、たまたまそのような石の配置になっているだけかもしれないと気にしていなかった。
そしてもう帰ろうかとしたその時、ぼくはそれまで全く気が付かなかったとんでもないものを発見した!威徳稲荷神社の拝殿の真前の鳥居の上部、屋根の下に挟まれるようにして巨大な木造男根が横たわっていたのだった!これは疑うようもなく、まごうことなき確かな男根崇拝の姿だった!こんなん絶対普通に参拝しているだけじゃ気づかへんわ!まさに密かに隠されるように、しかしその割にはかなり堂々と巨大木造男根は参拝する者の頭上に君臨していたのだった。
よく見ると巨大木造男根をきちんと触れるように、社殿の前には石の台のようなものが用意されている。この巨大木造男根をしっかり触って祈りを捧げることで、様々な生殖器的な願いが叶うように配慮されているのだろう。
そしてこの巨大木造男根を発見した瞬間こそ、ぼくが日本一周で勝手に作り上げた「日本の生殖器崇拝・男根崇拝は田舎や辺境にある」という法則が完全に崩れ去った瞬間だった。世界一の乗降者数を誇る日本・東京の大都会新宿の、さらに新宿を代表する伊勢丹という百貨店のすぐそばに日本の男根崇拝は堂々と残されていたのだった!ぼくの脳内では「日本の生殖器崇拝・男根崇拝は田舎や辺境にある」から「日本の大都会の真ん中にも男根崇拝はある」という風に、法則は書き換えられた。
しかしどうしてこのような新宿のど真ん中に男根崇拝が存在しているのだろうか。花園神社の公式ホームページには威徳稲荷神社について次のように説明されていた。
戦災で資料が焼失したため詳細は不明ですが、昭和3年4月頃に建てられたと伝えられ、女性の参拝者に人気の高い神社です。奉納された赤い鳥居が並び、異界へのトンネルに足を踏み入れたような不思議な感覚にとらわれます。
「女性の参拝者に人気の高い神社です。」という脈絡のない文章が突如出てくるのは意味深だ。しかし花園神社の公式ホームページには男根崇拝の”だ”の字も出てこないどころかとても爽やかな雰囲気で統一されているので、やはり男根崇拝というものは隠されるものであるということが伺える。
確実にそこに堂々と生殖器が存在しているにも関わらずまるでそれがないように振る舞っている花園神社の公式ホームページは、まるでぼくたち人間社会の構図と似通ったところがある。ぼくたちはお互いに、誰もが生殖器を持っているということを確実に知りながら、まるで生殖器なんて持っていないかのように知らん顔をして振る舞うことが最善のコミュニケーション術だと確信しているのだ。
けれどどんなにないようなフリをして白々しく振る舞おうとも、明らかにそれはそこにある。この神社の境内の中で最も根源的なエナジーを解き放っているのは威徳稲荷神社の巨大木造男根だし、参拝する誰もが潜在的・直感的・動物的にそれを感じ取っているのではないだろうか。しかしそのように最も重要な祈りの核心こそ、ないように振る舞うのがふさわしいという態度は、矛盾に満ちた非常に興味深い人間の習性だろう。人間というものは矛盾に満ち一筋縄ではいかないからこそ、その正体を探るのが面白い。
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