Buen Camino(ブエンカミーノ)の意味とは?スペイン巡礼の道でぼくらは誰もにBuen Camino!と祈りを捧げた
・Buen Caminoの意味とは?
・Buen Caminoがもたらす大いなる祈りの流れ
・相対という嵐、絶対という故郷
・他人の悲しみをそっと喜んでいないか 〜中島みゆき「幸福論」より〜
・ラトビアの首都リガの街角の壁 〜You are whole〜
・Buen Camino in your life!
目次
・Buen Caminoの意味とは?
スペイン巡礼の道カミーノでは、巡礼者同士が出会った際に交わされる挨拶の決まり文句がある。「Buen Camino!」というその挨拶は、日本語では「よいカミーノを!」「よい巡礼を!」という意味だ。スペイン巡礼中この挨拶を交わさない日はなかったし、この挨拶を交わすことで、あぁ自分はスペイン巡礼の道を歩いているんだなぁと実感することができる。普段日本で生きていても世界を旅していても全然使わない言葉だが、このスペイン巡礼の道では最も使った言葉に違いない。
・Buen Caminoがもたらす大いなる祈りの流れ
決まりきった挨拶といえども「よい巡礼があなたに訪れますように!」と祈りながら道ゆく巡礼の道には、恵みがあるように感じられる。「Buen Camino!」と挨拶することにより相手の巡礼者の幸福を心から願える、また「Buen Camino!」と言葉を投げかけられることによりぼくたちの巡礼の幸福も祈られている。お互いがお互いに「Buen Camino!」という言葉を媒介として、すべての巡礼者がすべての巡礼者の巡礼の旅の幸福を願っている世界が訪れていることは尊い。
ぼくたち巡礼者は同じように重き荷を背負い、同じように果てしなく長い道のりをゆく。それぞれに異なった人生であっても、それぞれに生まれ育った祖国は違っても、このカミーノの道の上で巡り会い、同じような運命のもとで聖地へと進んでいこうとする心たちが、やがては「Buen Camino!」という言葉に結び付けられて、まるでひとつの大きな流れのように肉体と魂が聖地へと注ぎ込まれる。ぼくたち巡礼者はカミーノといい大いなる祈りの川の流れの、それぞれ一粒の雫なのかもしれない。
・相対という嵐、絶対という故郷
カミーノという大いなる祈りの川の流れにいないとき、ぼくたちは他人の幸福を祈っているだろうか。日常生活の中あらゆる次元で相対という観念に押し込まれ、他人と自分を比較ばかりして、自分が幸福を感じたいあまりに、心密かに他人の不幸を願ってはいないだろうか。他人の不運が自らの心の安心に繋がってはいないだろうか。
相対という嵐に飲み込まれたとき、人は心を失くす。絶対的に生きることを忘れて相対的になるとき、全体で生きることを終えてこの世の部品となるとき、人は心を失くす。
・他人の悲しみをそっと喜んでいないか 〜中島みゆき「幸福論」より〜
今夜泣いてる人は ぼくひとりではないはずだ
悲しいことの記憶は この星の裏表あふれるはずだ人の笑顔が悔しい 人の笑顔が悔しい
そんな言葉が心を飛び出して 飛び出して
走り出しそうだ笑顔になるなら見えないところへ行けよ
妬ましくてあなたを憎みかけるから
プラスマイナス 他人の悲しみをそっと
喜んでいないか?
・ラトビアの首都リガの街角の壁 〜You are whole〜
・Buen Camino in your life!
ぼくたちはカミーノの旅を終えても、自分の生活に戻った後でも「Buen Camino!」と誰かに言えるだろうか。あなたの人生という苦難多きさまよえる旅路の中で、あなたの幸福が訪れますようにと願って、心からの思いやりを持って「Buen Camino in your life!」と言えるだろうか。カミーノの旅を終えた者たちは、きっと言える。それこそが巡礼手帳でもなく、巡礼証明書でもなく、美しい麦畑の写真でもなく物質でもなく、カミーノの道から人々にもたらされる最も大きな恵みだ。
人間の幸福のためには、結局ぼくたちは与えるしかないとトルストイは言う。物質も残さず、富も残さず、名も残さず、ただ愛だけを残して、この世を立ち去ろう。