インドでめちゃくちゃ不思議なことが起こって本当に人生観が変わった!!!!!(泣)
インドへ行くと人生観が変わるって本当?有名な聖人Bageshwar Dham Sarkarに未来を予知してもらう旅が始まった
・インドの旅で人生観が変わるというのは本当か?
・インドの旅で衝撃的だった数々の出来事
・インドの高名な聖人Bageshwar Dham Sarkarに未来を占ってもらおう
・たまには人を信じて外れた運命の軌道の中へと飛び込んでみる
目次
・インドの旅で人生観が変わるというのは本当か?
世界の旅の中でもインドの旅は特別だという印象がある。何でもインドを旅する者はその旅路で人生観すら変えられてしまうほどの衝撃を受けるというのだ。「インドの旅は人生観を変える」という嘘か本当かわからないその有名な固定観念は、ぼくがインドの旅に出るのを恐れさせた。
ぼくが世界一周の旅をしていてもなかなかインドへ行かなかった理由は、そんな刺激的な場所へわざわざ行きたくなかったからだ。そりゃあせっかく異国を旅するのだからちょっとくらいの非日常的ハプニングが起こるのを期待するものだが、これまで築き上げてきた”人生観”まで破壊されるような衝撃的な出来事をぼくは別に旅の中に求めていなかった。むしろ逆に安全に大人しく順調に旅ができればいいと思っていたので、何かとんでもないことが起こりそうなインドという国を何となく敬遠していた。
そもそもどうしてインドに行くと人生観が変わるというのだろうか。インド人に騙されて詐欺に遭い、身包み剥がされて一文なしになるからだろうか。インドではお腹を壊しやすいというので、旅の最中で便をお漏らししてしまうからだろうか。実際にインドの旅は漏らしてからが一人前だという話を聞いたことがある。兎にも角にもなぜ人生観が変わるのか全くわからない、その時点でインドは恐ろしい。
しかし世界を巡る旅人として、インドという偉大な国を避けて通るわけにはいかない。インドは呼ばれた者だけが辿り着く場所だと聞いたことがあるが、2023年の春、ぼくもついにインドに呼ばれていると直感的に感じ取り、とうとうインド一周の旅へ出発する運びとなってしまった。インドへ行くなんて恐ろしくて嫌だったが、インドに呼ばれてしまった以上拒否する権利は旅人にはない。どうせ行くのなら人生初のインドを思いっきり堪能し、ついでにインドの旅で本当に人生観が変わるのか自分自身の身をもって確かめてやろうという前向きな気持ちになっていった。
・インドの旅で衝撃的だった数々の出来事
初めてのインドはそれはそれは衝撃的だった。けたたましい車のクラクションの騒音、街中に捨てられて悪臭を放つゴミ、堂々と歩きながら時々体当たりしてくる牛、気が狂いそうな気温40℃の猛暑、列に並ばず我先にと割り込んでくるインド人、まるで犬のように地面で寝ているインド人、そのへんで遠慮なく立ち小便してるインド人…。確かに衝撃的だったがぼくはアジアや中東各地を旅してきた経験があるので、うんまぁ世界にはこのような場所もあるだろうという気持ちで、インドに慣れていくのも早かった。インドには驚かされることも多かったが、人生観が変わるほどでもないよねというのが旅慣れたぼくの感想だった。デリーのジャイナ教寺院で全裸のおじさんが出てきた時にはさすがに人生観が変わりそうになったが、それがこれまでの衝撃のピークだったように思う。まさか温泉以外でおじさんの全裸を見る機会があるなんて!
・インドの高名な聖人Bageshwar Dham Sarkarに未来を占ってもらおう
しかしデリー、アーグラ、カジュラーホーと順調に予定通りに旅を続けてきた後で、いきなり軌道が狂い始めた。きっかけはカジュラーホーで宿泊したKarma Hostelのオーナーに、滅多に出会えないヒンドゥー教の聖人を見られるから一緒に行かないかと誘われたことだ。その聖人の名はBageshwar Dham Sarkarにと言い、インドでは大変有名なまじない師なのだそうだ。未来を見通せる予知能力を持っているらしく、悩みを持っているのなら彼に何でも相談することができると教えてくれた。ぼくは特に悩みなんてないので聖人に質問したいことも別に何もなかったが、確かにインドの聖人というのはどのような人物か気になるし見てみたい気もする。
この宿のオーナーはとても面倒見がよく駅から宿までのトゥクトゥクを事前に手配してくれたり、カジュラーホーのエッチな寺院群に入場するためのチケットの取得に協力してくれたりして、ぼくは彼を信頼していた。ぼくと彼の他には、Karma Hostelの宿泊客であるフランス人(ベトナム系フランス人なので見た目は完全にアジア人)が1人と、他の高級ホテルに泊まっているインド系アメリカ人の合計4人で行く予定らしい。このお金持ちのインド系アメリカ人は日常生活で様々な悩みを抱えていたので、それらを解決するためにBageshwar Dham Sarkarからアドバイスをもらおうと、わざわざアメリカからインドまでやって来たのだ。宿のオーナーはBageshwar Dham Sarkarと少し繋がりがあるらしく、宿のオーナーと行けばBageshwar Dham Sarkarと少し話せる機会が与えられるという。
(↑この写真の左から順にベトナム系フランス人、宿のオーナーのインド人、インド系アメリカ人、日本人)
しかしBageshwar Dham Sarkarに会いに行こうという提案は、当日の朝になっていきなり言われたことだったので困惑してしまった。なぜならぼくはその日の電車のチケットを既に予約してしまっていたからだ。本来の予定であれば、ぼくはカジュラーホーからボーパールという街へ電車で移動するつもりだったのだ。電車のキャンセル料金もかかるし、普通なら本当にすごいのかどうかわからないインドの聖人の話なんて無視して先を急ぐのだが、Bageshwar Dham Sarkarに会いに行く車の費用は全てインド系アメリカ人が出してくれるからあなたは何も払わなくていいと言われたので心が揺らいだ。Bageshwar Dham Sarkarに会えるのはサガールという街なのだが、サガールはカジュラーホーとボーパールの丁度真ん中に位置しているので、無料でサガールまで行ってから聖人に会い、サガールに1泊してから次の日にボーパールへ行けばいいじゃないかという宿のオーナーからの提案は悪くないものだった。
・たまには人を信じて外れた運命の軌道の中へと飛び込んでみる
しかし出会ったばかりのインド人(宿のオーナー)の話を鵜呑みにして本当にいいものだろうか。だいたい「インドの聖人に会いに行って未来を予言してもらう」なんていう提案の内容自体が非常にインドらしくて超絶怪しすぎるし、裕福なインド系アメリカ人と行くから車代も食事代も全て無料だなんて都合のよすぎる話ではないだろうか。これはインドで詐欺に遭い、何かしらの巧みな手口で全財産を奪い取られる前兆かもしれない。
けれど既述したようにぼくはこれまでの付き合いから宿のオーナーをある程度信用していたし、もう1人の宿の宿泊客であるベトナム系フランス人も、別の高級ホテルに泊まっているインド系アメリカ人も本当にたまたま同じ日に居合わせた運命の巡り合わせだったので、何かしらの悪いトラブルに巻き込まれる可能性はかなり低いと考えられた。
極めて保守的に慎重に旅をして、何よりも安全を最優先して旅を進めていくのならこの話には乗らないで予定通りの旅路を行くのがいいに決まっているが、たまには自分の力の及ばない壮大な運命の流れに身を任せて、自分自身によって定めた本来の軌道から外れてみるくらいの潔さと思い切りを見せてもいいのではないだろうか。自力ではなく他力が介入してこそ、旅はコントロール不能となり面白さと迫力を増していく。
旅路のさなかで誰も彼もを疑い、誰のことも信用しないで心に壁を形成しながら進めば、安全な人生を生きられることに間違いはないが、それだけでは人を信じる勇気と覚悟を持ったことで得られる尊い経験も失われてしまう。ぼくはカジュラーホー発ボーパール着の電車のチケットを捨てて、見知らぬ異国の人々と共にインドの聖人に会いにいくことを決めた。まさにKarma Hostelという宿の名前のように、インドで何らかのカルマ(業)に絡め取られていくような感覚を覚えた。
本来の軌道を外れ運命の軌道に身を任せるというこの決断をした後で、ぼくは本当にインドで人生観が変わってしまうほどの衝撃的な体験をすることになった。インドの旅で人生観が変わるって本当だったんだ!しかしまさかこのような思いもよらない意味不明な角度から人生観を変えられてしまうとは、インド人でも宇宙人でも知る由のない顛末なのだった。
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