日本人とは何か、を追究するためには…?

日本一周を達成した旅人が考える、日本の正体を解き明かすための5つのテーマとは?
・日本一周を達成した旅人が考える、日本の正体を解き明かすための5つのテーマとは?
1.怒り
2.縄文時代
3.男根崇拝、生殖器崇拝
4.温泉
5.離島
・日本のテーマである5つは互いに密接に関連し合っている
目次
・日本一周を達成した旅人が考える、日本の正体を解き明かすための5つのテーマとは?

世界一周の旅をしていたぼくは外国に出ることができなくなったコロナ禍の2020年に、日本一周・車中泊の旅を達成した。肉体が異国へと広がっていくだけではなく精神を祖国へと深めることが、魂の修行にとって重要であると思い立って初めて日本一周の旅だったが、その根底には「日本とは何か」「日本人とはどのような人々か」という、祖国の正体を解き明かしたいという思いが根底にあった。
日本一周の旅を始めた当初は特に日本海沿いなどまだ行ったことのない都道府県が多く、日本という祖国の輪郭もぼんやりとしか捉えられていなかったが、日本の背中を遡るようにして日本海沿いを北上し、北海道の北端である礼文島まで辿り着き、そのまま北海道を一周して太平洋沿いを南下することで、ようやく日本の正体を解き明かすためのテーマが自分の中に浮かび上がってきた。
今後は日本二周目、日本三周目とさらに祖国を深めるにおいて、これらのテーマを深掘りしていくことで更なる興味深い発見が繰り返されるだろう。
1.怒り

ぼくは喜怒哀楽の中で、最も怒りが好きだ。人間の世の中では否定されがちな怒りの感情だが、ぼくの魂にとっては怒りが最も美しく尊いものに感じられるし、最も心が惹きつけられる。中島みゆきや岡本太郎など、夢中になるのは怒りを根底に秘めたアーティストばかりだ。仏像の中でも怒りの炎の中で憤怒の形相を呈する不動明王こそが、ぼくの魂との高くて深い親和性を感じさせる。ぼく自身はよくマイペースでのほほんとした和やかな人柄であるように捉えられるが、実際は世界や人間全体に対して常に怒りを燃え盛らせながら生きている。
しかし日本一周をして発見したのは、怒りに親和性が高いのはぼくという人間個人の問題ではなく、この日本という国自体が怒りと密接に関わっているのだろうという確信だ。日本では不動明王という怒りに満ちた仏像が非常に人気だが、これは世界的に見てもかなり珍しい現象だと言えるだろう。不動明王自体はインドを起源としているが、世界を巡っていると実際に今怒りに満ちた仏に信仰と祈りを捧げているのは日本とチベットくらいではないだろうか。仏教的な観点からだけではなく、神道でも古代より和魂と荒魂の概念を持ち、荒魂はまさに怒りに満ちた自然や霊魂の側面を表している。地震や火山噴火や津波など、数多くの自然災害と共に生きざるを得ない日本人の心の中には、自発的に大自然の怒りに対する畏怖の念が育まれたということなのだろうか。

民俗学的観点から言っても秋田県のナマハゲという来訪神は人間に対する怒りや戒めの気持ちで満たされており、男鹿半島の憤怒の表情をした真っ赤な巨大ナマハゲ像はこの上ない迫力がある。また縄文時代の火焔土器などはまさに燃え盛る炎のような躍動感をひしひしと感じ、日本人の魂は何千年も前から今現在に至るまで火炎や怒りに共鳴しながら生きていたことが示唆される。
2.縄文時代

縄文時代を詳しく知ることも、日本という国の正体を解き明かす上で非常に重要な要素となることを日本一周しながら如実に感じた。縄文時代なんて小学校の歴史の授業ではすぐに終わってしまうほど呆気ない項目だが、まるで宇宙人を象ったような不思議な形をした土偶や本当に燃えているようにさえ見える芸術的な火焔土器など、日本の縄文時代には他の世界には類例を見ないような見事な作品が多すぎるのではないだろうか。
さらに驚いたのは何千年以上も前の縄文時代の文化や物の考え方が、今日本を生きているぼくたちにも確実に受け継がれているのではないかと気付いたことだ。例えば縄文時代では人が死んだ時、土器や土偶が敢えて割られて遺体と共に埋葬されたことがわかっているが、実際に今の日本のお葬式でもお茶碗を割るという風習が残っている。またもっと目に見える形で言うと、縄文時代の博物館では必ずと言っていいほど石棒という人間の男根を模した儀式用の棒が展示されているが、実際に今でも日本全国で男根崇拝や生殖器崇拝が盛んとなっている。
3.男根崇拝、生殖器崇拝

男根崇拝や生殖器崇拝も、日本人の信仰を知る上で非常に興味深い要素のひとつだ。ぼくは日本人がこんなにも全国各地で男根崇拝や生殖器崇拝をしているなんて、日本一周の旅をするまで全く知らなかった。まさに日本一周をしたからこそ知ることができた驚くべき祖国の事実と言うことができるだろう。
さらに日本人はその男根崇拝という宗教観念を何千年も前の縄文時代から守り続けてきたことが縄文時代の博物館を巡ると如実にわかってしまうので、仏教や天皇や神道よりも長い歴史を持つのかと思うと途轍もなく貴重でありがたいものに感じられてしまう。誰もが生殖器の衝動に支配されているくせに、自分は生殖器に支配されてなんかいませんという顔をした人間ばかりが歩いているこの浮世において、男根崇拝と生殖器崇拝は日本人だけではなく人間そのものの正体をあからさまに見抜くのに役立つだろう。
全ての人間の生命は男根や生殖器から生ずるので、男根崇拝や生殖器崇拝は人間として非常に根源的で必然的な信仰の形と言うことができるが、日本ではそれだけに留まらず山の神の物語と結び付いていたり温泉の信仰に関わっていたりして多くの派生が見受けられる。インドでもリンガという男根像が街中で頻繁に見られるがこれはヒンドゥー教のシヴァ神の象徴とされており、男根崇拝とヒンドゥー教が交わり合い融合したことが示唆される。このように人間にとって根源的な生殖器崇拝は、長い歴史の中で紆余曲折を経て姿形を変えて現在に至るまで引き継がれてきたようだ。
4.温泉

日本の温泉にも男根が祀られるという風習が多々あるが、これは温泉が女陰を表しているからその対になるものとして男根を供えるという意味合いがあるらしい。しかし生殖器崇拝に負けず劣らず、日本人の温泉に対する情熱は目を見張るものがある。世界中でこれほどまでに温泉を愛している国民が果たしているだろうか。しかも日本には他の国にはない温泉に関する独特な文化や風習がいくつも根付いている。
日本の温泉旅館なんてめちゃくちゃ不思議だ。まるで制服のように宿泊者みんなが同じ浴衣を身にまとい、さらに豪華な食事が2食も付いてくるこんな不思議な宿泊施設が果たして日本以外にあるのだろうか(世界一周しているがぼくは今まで出会ったことがない)。またあらゆるものに神が宿るという日本人の宗教観を反映しているかのように、あらゆる日本の温泉街には神様や仏様が祀られている。みんなで裸で入るという日本の入浴スタイルも、世界的に見るとかなり珍しく普通は水着を着用するのではないだろうか(フィンランドのサウナはみんな裸だったがあれは温泉ではない、ドイツの温泉は裸だというのは聞いたことがある)。
日本には「裸の付き合い」という言葉があるが何もかもを脱ぎ捨てて一緒にお風呂に入ることで、お金持ちも偏差値が高い人も外見がいい人も、みんな結局は単なる同じ動物なのだということがわかるという点で日本の温泉は”人間の平等”を教えてくれる効果があるようような気がする。また普通ならば人間は裸体を他人に見せると逮捕されてしまうが、温泉でだけは裸で自由にウロウロすることを許されるので、大自然に回帰したいという人間の動物としての本能を叶えるという点でも日本の温泉は意味深いものであると感じられる。外界に開放的に作られた無料の素晴らしい”野湯”が日本各地に点在していることも、温泉が人間と大自然を強く結び付ける媒介の役割を果たすことを裏付けている。
日本の温泉文化は奥が深すぎてどれだけ回っても常に新しい発見に晒されるが、これからも可能な限り興味深い温泉を開拓していこうと思う所存だ。
5.離島

温泉と同じくぼくが全部巡りたいと思い立ったのは、日本の離島だ。日本には何と14125もの離島があるとされ、その中でも有人島は417島だという。有人島だけでも一生かけても制覇することが難しそうだなんて、日本という祖国は何て奥深く果てしないことだろう!10年暮らした沖縄でも感じたことだが、離島は近い場所に位置していてもそれぞれに独特の雰囲気があり、文化があり、人との出会いがあるので、どんなに困難であろうともこの一生をかけてなるべく多くの日本の有人島を巡りたいと考えている。日本の辺境である閉ざされた離島を深く知ることで、まさに日本という国の輪郭が矛盾するようにくっきりと立ち現れてくるのではないだろうか、ぼくにはそんな予感しかしない。
・日本のテーマである5つは互いに密接に関連し合っている

このように見ていくとこの5つのテーマは独立して存在しているわけではなく、互いに密接に関連し合って補完し合いながら日本という祖国の風景を形成していることがよくわかる。
縄文時代の有名な火焔土器はまるで怒りの炎のように燃え盛っているように見えるし、縄文博物館には必ずと言っていいほど男根崇拝の石棒が展示されている。生殖は快楽だと人間の世の中では認識されているけれど、果たしてそれも本当だろうか。生殖をする女の顔は泣いているようにも見え、生殖をする男の顔は憤怒(=怒り)の表情をしているようにも見える。温泉という地下の熱が込み上げてきているという現象が大地の怒りであると捉えることもできるし、日本では温泉地で生殖器崇拝が度々目撃される。離島にはほとんど知られていないような素晴らしい秘湯がいくつも存在するし、これまでに見たことのないような生殖器崇拝の文化もあった。
今後も日本を何度か一周することになると思うが、その際には「怒り」「縄文時代」「生殖器崇拝」「温泉」「離島」という多重的にお互い関わり合う5つの大きな要素をぼくなりのテーマとして、祖国である日本に対する理解をさらに追究していきたい。
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