幻の王国…やっぱりシルクロードにはロマンがある!!!!!
茶馬古道の幻の王国!グゲ王国の謎を美しい仏教壁画から読み解く
・「茶馬古道」とは何か?
・シャングリラの憧れの果てに
・茶馬古道の中心地!幻の王国「グゲ王国」とは
・グゲ王国の衛星都市「ピアン石窟群」
・グゲ王国の謎の滅亡
・「茶馬古道」とは何か?
ぼくは45日間に及ぶ中国大陸横断の旅のさなかで、雲南省においてたくさんの「茶馬古道」にまつわる美しい風景や人々の営みを目撃した。家にあって久しく見ていなかった「茶馬古道」の映像作品を見直して、忘れかけていた「茶馬古道」に関する知識を学び直し復習できたので、ここで共有したいと思う。
「茶馬古道」とは、中国南西部・雲南省と四川省からチベット高原を超えてインドネパールへと結ぶ全長5000kmの交易路のこと。中国の茶とチベットの馬が交換されたことから「茶馬古道」と名付けられた。茶と交換されるのは高原で飼育されたチベットの馬だった。強靭で戦闘にも強いチベットの馬は、中国の歴代王朝にとって必要不可欠な貴重品だったという。
茶馬古道の歴史は紀元前に遡ると言われる。車や道路が発達した今となっても、キャラバン交易が続いている。茶馬古道の周辺には歴史上豊かな文化が育まれ、知られざる王国の跡も見つかっているという。
・シャングリラの憧れの果てに
7世紀にチベット高原は「吐蕃王国」の下で統一されたが、9世紀に滅亡し、仏教は荒廃の一途をたどった。仏教の再興を目指し幻の国「グゲ王国」はラサの西の果て、インド・パキスタン付近に建国された。
ヨーロッパの人々は、チベットの果てに人々が思い描く伝説の桃源郷が存在すると信じていた。その桃源郷は「シャンバラ」もしくは「シャングリラ」と呼ばれ、シャングリラを求めて多くの探検家がヒマラヤを越えようとした。そこで歴史から忘れ去られた幻の国「グゲ王国」は発見された。
・茶馬古道の中心地!幻の王国「グゲ王国」とは
「グゲ王国」のグゲとは洞窟の意味。発見された洞窟の中にはまるで昨日描かれたような鮮やかな美しい仏教壁画が!それはインド仏教の特徴を強く残した壁画であり、驚くべきことに多くの壁画が金を使って描かれていた。壁画には仏教的なものの他に王族たちの華麗な身なりも描かれ当時の様子が垣間見える。
9世紀から700年間王国は繁栄していたが、19世紀には忽然と姿を消し、以後長い間忘れ去られてきたことから「グゲ王国」は幻の王国と呼ばれた。「グゲ王国」の遺跡は、洞窟的な建造物のみならず木材がふんだんに利用されていた。しかしこの辺りは標高が高すぎて立派な木は育たない。一体どのように木材を手に入れていたのだろうか。その手がかりもまた壁画にあった。
「運搬図」と名付けられたその壁画には、人と動物が木材を運ぶ様子が描かれている。この周辺では今でも5000mを超える険しいヒマラヤ山脈を越えて、インドやネパールから木材を運んでいる。歴史の上でも今においても、木材はインド・ネパールとチベットをつなぐ重要な交易品だったのだ。「グゲ王国」は孤立した王国ではなく、広範囲の国々と交流していたのだ。
・グゲ王国の衛星都市「ピアン石窟群」
1000もの石窟が聳え立ち、そのうち20の石窟に壁画が発見された「ピアン石窟群」はグゲ王国の衛星都市だったようだ。壁画は青と赤のコントラストが美しく、青い顔料はアフガニスタンからのラピスラズリが使用されている。空を舞う日天蔵は敦煌の壁画とよく似ているし、一対の獅子像はペルシャ由来の文様だ。角度を変化させながら三角形を積み重ねた天井は、アフガニスタンから朝鮮半島までシルクロードに広く分布した様式である。西洋人のような鼻高い人の絵画も見える。
・グゲ王国の謎の滅亡
茶馬古道はラサから西へと進み、インド・パキスタンへと伸び、その先でシルクロードと出会う。茶馬古道の中心地としてのグゲ王国は、東西文明の交差点だったのだ。17世紀初めに急に滅亡し、詳細は不明だが一説によるとラダック王国の侵入が原因だという。グゲ王国の遺跡の中には、首のないたくさんの兵士のミイラが横たわっているおぞましい寺院の跡も存在するという。