中国雲南省からチベットへ!もうひとつのシルクロード「茶馬古道」とは一体何か?

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もうひとつのシルクロード「茶馬古道」ってなんだ?!

中国雲南省からチベットへ!もうひとつのシルクロード「茶馬古道」とは一体何か?

・中国雲南省で見かけた美しい「茶馬古道」の風景
・「茶馬古道」とは何か?
・茶にまつわる中国雲南省の文化と人々の生活の営み
・プーアール茶の秘密
・中国雲南省麗江と茶馬古道の関係
・険しく神秘的な茶馬古道のキャラバンの営み
・女たちの塩田!「塩井村」における塩作りの営み
・なぜチベット高原に塩水が湧いてくるのか?
・キャラバンにおける「兄弟同妻」の仕組み

・中国雲南省で見かけた美しい「茶馬古道」の風景

ぼくは45日間に及ぶ中国大陸横断の旅のさなかで、雲南省においてたくさんの「茶馬古道」にまつわる美しい風景や人々の営みを目撃した。家にあって久しく見ていなかった「茶馬古道」の映像作品を見直して、忘れかけていた「茶馬古道」に関する知識を学び直し復習できたので、ここで共有したいと思う。

 

・「茶馬古道」とは何か?

「茶馬古道」とは、中国南西部・雲南省と四川省からチベット高原を超えてインドネパールへと結ぶ全長5000kmの交易路のこと。中国の茶とチベットの馬が交換されたことから「茶馬古道」と名付けられた。茶と交換されるのは高原で飼育されたチベットの馬だった。強靭で戦闘にも強いチベットの馬は、中国の歴代王朝にとって必要不可欠な貴重品だったという。

茶馬古道の歴史は紀元前に遡ると言われる。車や道路が発達した今となっても、キャラバン交易が続いている。茶馬古道の周辺には歴史上豊かな文化が育まれ、知られざる王国の跡も見つかっているという。

 

 

・茶にまつわる中国雲南省の文化と人々の生活の営み

雲南省のプーアール地区はタイやミャンマーとの国境を有している。周囲に広がる亜熱帯の密林は世界の茶の原産地と言われており、長い時間をかけて独特の茶の文化を育んできた。最初の茶の木は椿の木から分かれたものであるとされている。この一帯には、数百年の樹齢を持つ野生の茶の木がたくさん存在する。いつから茶が飲まれていたのか正確にはわからないが、紀元前2世紀(前漢のシルクロードの始まった頃)には茶を飲んでいたことが文献に記されている。茶の栽培が始まるとともに、茶馬古道の交易も始まったようだ。

雲南省の少数民族は古い茶の文化を持っており、野生の茶を改良し交易に適した形に変えてきた。男たちが茶馬古道を通り交易の旅に出かけ商売をするのに対し、女たちは村に残り家を守って来たという。そのような少数民族の営みが数百年前と変わらず息づいている。

プーアール地区の少数民族・ハニ族は茶の木に祈りを捧げる習慣がある。樹齢1000年の茶の木を神と崇め、鶏を生贄とし、茶の豊作を祈っている。人口8万人の少数民族・プーラン族も古い茶の歴史を持っており、茶の神パイランに祈りを捧げる習慣を持っている。パイランはプーラン族に茶を伝えた神だとされている。茶の栽培は女の仕事であり、新茶の葉をまず人間がもらう前に女たちがパイランに捧げる。また樹齢1800年の茶の木も神として信仰されいる。プーアールの少数民族の茶の飲み方は独特で、茶の葉をまず火で炙ってからお湯で煮出すという。茶は薬としても重宝されているようだ。

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プーラン族に伝えられている茶の木の歌は興味深い。

”お前たちに畑や家畜を残しても
幾世紀も経たず失ってしまうだろう

私が残してあげるのは茶の木だ
茶はとてもよく育つ

お前たちが茶を守り育て
子々孫々受継げば

失われることも盗まれることもないだろう”

 

 

・プーアール茶の秘密

四川省蒙頂山では、歴代中国皇帝のために茶を栽培してきた。茶の神が住む茶神殿が存在し、2000年前皇帝のために初めて茶を栽培し献上した呉理真という人物が祀られている。その時に献上された「万寿龍団」というプーアール茶葉の塊も祀られている。

プーアール茶は「生きている骨董品」「飲める文化財」と呼ばれる。他の茶は時間が経つ度劣化するのに対して、プーアール茶は時間がたつほど味と香りが良くなるからだ。そのプーアール茶は作り方も独特である。

よく炒った茶の葉を臼(うす)のような石の下に敷き、男たちが30分ほどかけて踏み続けると、プーアール茶葉は丸く平たい形になる。このような形にするのは、運搬するときにかさを減らしお茶が傷むのを防ぐのが狙いだ。平たいプーアール茶葉はひとつ357gと決まっている。それは7個を1つに縛って、一包み2.5kgにしそれを12個ずつ馬の背に左右載せると、ちょうど60kgとなり馬が1日に運べる最大量になるからだ。プーアール茶と馬は密接に関連し文化を形成している。

 

 

・中国雲南省麗江と茶馬古道の関係

雲南省麗江は街中に張り巡らされた水路と古く美しい街並みが特徴の世界遺産だ。かつてここは、茶馬古道のキャラバンの交通の要でもあった。中国全域から商人が集まった取引所の跡も存在し、大変な賑わいだったという。雲南から来たキャラバンから茶を買い入れ 商人は自らキャラバン隊を組織しやチベットはるかなるインドまで商品を運んだという。雲南で生産された茶は中継地の麗江に集められ、そしてチベットへと向かったのだ。

雲南からは茶と穀物を、チベットからは薬草やきのこを商品として交換される。

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・険しく神秘的な茶馬古道のキャラバンの営み

茶馬古道では今も馬とラバのキャラバンを組み、車の通わない村々に生活の物資を運んでいる。その深い峡谷を縫う狭い道は「鳥鼠道」と呼ばれ、鳥や鼠しか通れないほどの細い道だということで恐れられている。馬のキャラバンによって踏み固められてできた道だ。

川を渡るのは最も困難な道のりなので、彼らはできるだけ川を渡らないように進む、断崖に通路を穿ることも厭わない。どうしても川を渡らなければならない際には、峡谷の対岸にかけられた1本のワイヤーロープを橋の代わりとし、それを伝って人と馬が川を渡る。川を渡るのはいつの時代も最も危険な大作業だ。

馬の蹄鉄のチェックは出発前に欠かせない。茶馬古道は大変険しいので、蹄鉄を3〜4日ごとに取り替える必要がある。それをしないと馬の足に炎症が起こるためだ。

途中の村での交易の場面では、現金はほとんど使われない。村の人々は特産品のヤクのバターを差し出し、キャラバン隊は穀物と塩を差し出す。どちらも生活に必要なものだ。「ここのヤクのバターは薬草を食べて育つから品質がとてもいい。私たちにはバターない、彼らには塩と小麦がない。お互い必要なものを交換している」とキャラバン隊の男性は話す。茶馬古道の交易は、彼らにとって少しでも多くの利益を得るための活動だが、それと同時に厳しい自然環境の人々が互いに支え合う命の営みなのだ。

キャラバン隊にとってヤクのバター茶は手軽に持ち運べどこでも飲める必要なビタミンの供給源だ。茶は神聖なものとされ、人が飲む前には神に捧げるため感謝を抱いて大地にまかれる。彼らの主食は塩につけた肉と大麦を炒った粉であり、それをバター茶に浸しながら練って食べる。

 

・女たちの塩田!「塩井村」における塩作りの営み

男たちが交易の旅へ出かけている間、女たちは村を支える。映像内ではチベットと雲南省の間に位置する「塩井村」での女たちの営みが紹介される。

峡谷の底にある棚田のような風景の正体は、木で支えられた人口の塩田だ。海から数千km離れた山奥にもかかわらず塩井村には塩田が存在しているのだ。塩井村はメコン川の両側に位置しており、少数民族のナシ族の人々が暮らしている。塩ができる秘密は、石を積み上げた小さな塔にある。これは塩水が湧き出す井戸なのだ。この塩井村では2000年以上塩を作って来た。塩は太陽と風の贈り物だという。

村では塩づくりは女の仕事である。男たちは塩田の仕事をしないしきたりになっている。1つ20kgになる筒に塩水をくみ、1日に何十回も井戸と塩田を往復する。塩井村の塩田は2700枚以上あり、年間500トンの塩が収穫されるという。

春には「桃花塩」という最も品質がいい塩がとれる。土が混じった”2番塩”かつては交易に使われたが今は家畜用。土が最も多い”3番塩”はもとから家畜のためだがミネラルが豊富であり、多くできすぎたときは塩水に戻し再利用する。塩田の下に垂れ下がるようにできた塩は”塩つらら”と呼ばれ、不純物が少ないので最も上質とされる。結婚式など重要な行事のため村の寺院に奉納されたりもする。

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・なぜチベット高原に塩水が湧いてくるのか?

なぜチベット高原の峡谷に塩水が湧いてくるのだろうか?実は、チベットはかつて海だった。4500万年前に地殻変動で隆起しやがて高原地帯となった。一緒に隆起した海水が地中に閉じ込められ塩水として噴出していると考えられ、塩水の泉が村の至るところに見られる。

塩井村には塩の起源についての伝説がある。

”その昔、山の神の娘がラサに行く途中に塩井村に立ち寄った。辛く働く人々を見て彼女は金の雄鶏と銀の雌鶏をくださった。川水が増えると、金の金の雄鶏が歩き、その足跡から塩水が湧いた。崖上の塩田は、金の雄鶏が作った。銀の雌鶏は卵を守るため動けなかったので、谷の低いところの塩田は銀の雌鶏が作った。”

 

 

・キャラバンにおける「兄弟同妻」の仕組み

キャラバンをするチベット民族には、兄弟で同じ女性と結婚していることが珍しくないという。「兄弟同妻」と呼ばれるらしい。兄弟のひとりが危険なキャラバンで留守にすることが多いので、もう一人の夫が家にいてくれると生活が安心なのだそうだ。ひとりが旅に出かけるときはひとりが家を守っている。なんと3人兄弟で妻を共有することもあるという。

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