シナイ半島は危険?眠れない最悪の夜行バスでエジプトのカイロからダハブまで移動した
・カイロからダハブまで長距離バスで移動しよう
・満席のバスと意味不明なエジプト人のおばさん
・衝撃!夜行バスは2回の荷物検査と6回のパスポート検査で全然寝られなかった
・シナイ半島は渡航中止勧告が出ているけれどバスでダハブまで行けるのか?
・夜行バスの疲労たっぷりでぼくたちはダハブへと到着した
目次
・カイロからダハブまで長距離バスで移動しよう
ピラミッド、エジプト考古学博物館、コプト教会など、エジプトの首都カイロでいかにもエジプトらしい観光をした後、ぼくたちはシナイ半島のリゾート地・ダハブへと向かった。カイロからダハブへは長距離バスを使って行くのが一般的らしく、ぼくたちはGoBusという会社のアプリからオンラインでバスチケットを申し込み、ダハブ行きの夜行バスに乗り込んだ。夜行バスの値段は360ポンドで1000円くらいと格安だった。カイロからダハブまでは数多くの夜行バスが運行していた。
ぼくたちは23時発の便に乗り込んだが、翌朝にはダハブに着いているという。夜行バスはただ眠っていればいいだけなので楽だし、1泊分の宿代も浮かせることができるのでとてもお得だと考えていた。普通の夜行バスならばこの考えも通用しそうだが、今回のカイロ発ダハブ着の夜行バスは全く様子が違っていた疲労が蓄積する最悪のバスだった!
・満席のバスと意味不明なエジプト人のおばさん
まず、バスの中は満席だった。隣が空いていればゆっくり眠られるというぼくの希望は打ち砕かれ、あまり広くない席にエジプト人のおばさんとずっと並んでバスに乗らなければならなかった。それだけならばまだ普通なのだが、このエジプト人のおばさんは意味の分からない人で、荷物を荷棚に上げればいいのにずっと膝の上に荷物を抱えており、それが途中で重く感じ始めたのかただでさえ狭いぼくとおばさんの間のスペースに無理矢理荷物をねじ込み始めた。そんなことしたら余計狭くなるやん!その他にもこのおばさんは夜中に食べ物をバクバク食べ始めたり、その食べ物のカスを大量に撒き散らしたりして実に迷惑な人物だった。
・衝撃!夜行バスは2回の荷物検査と6回のパスポート検査で全然寝られなかった
予想外なのはそれだけではなかった。何とこの夜行バス、乗客を全然寝かせてくれないのだ!夜23時にバスに乗り込んで、その後はぐっすり眠って気付いたら翌朝ダハブに着いていたなんてことは夢物語であり、実際にはカイロとダハブの間にはいくつもの検問があり、そこでいきなりバスを下ろされ荷物チェックに向かわなければならなくなったり、バスの中で急にパスポートの提示を求められたりして、全く眠る暇を与えてくれなかった!
荷物検査の回数は合計で2回、パスポートチェックの回数は合計で6回だった。夜行バスの荷物検査なんてこれまでに経験したことがなかったから、最初は意味がわからなかった。ただのバスの休憩かと思いきや、乗客全員が自分自身の荷物を一旦担いで荷物検査に向かわされ、そして同じバスに乗り込むという行為を繰り返さなければならなかった。ちなみにこの荷物チェックは写真撮影禁止なので注意したい。ぼくも知らずに写真を撮っていると警察?軍?の人がやってきて写真を消すように指示されてしまった。
またパスポートチェックはバスの中に突如としておじさんが乗り込んできて、外国人もエジプト人もどちらもIDを確認することもあれば、外国人はなしでエジプト人だけチェックされることもあってややこしかった。しかしいずれの場合でも起こされることに変わりはないので、本当にカイロからダハブへのバスの中ではゆっくりと寝られる時間が本当に少なかった。というかむしろ皆無と言っても過言ではないだろう。本当に疲れる夜行バスの旅だった!
・シナイ半島は渡航中止勧告が出ているけれどバスでダハブまで行けるのか?
ダハブのあるシナイ半島は、外務省の海外安全ホームページによるとレベル3で渡航中止勧告が出ているようなエリアだ。ぼくたちが向かいダハブだけはシナイ半島の中でも安全なエリアに属しているが、そこへ辿り着くためには渡航中止勧告が出ている道を突き進むことになる。そのことに関してはぼくも不安だったが、何の問題もなく移動できたし、多くの観光客がカイロからダハブへ移動している点を考慮すると、移動だけならば問題ないということだろうか。
しかし今回の検問の異例の多さは、やはりシナイ半島の治安の悪さに起因するものかもしれない。
・夜行バスの疲労たっぷりでぼくたちはダハブへと到着した
結局ダハブには早朝の8時くらいに到着した。見たこともない荒涼とした山脈が背後に聳え立ち、風には海のにおいが入り混じって、照り付ける太陽の強烈さと共にリゾートの空気を感じ、気分も高まりそうになったがそれよりも夜行バスの疲労の方が大きかった。予約していた宿が早朝からチェックインを許してくれたのが、せめてもの救いだった。
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