ケープタウンのお洒落すぎる街並みに潜むアパルトヘイトの歴史とは?????

カラフルな街並!ケープタウンのボカープ地区でアパルトヘイトの歴史とマレー半島との繋がりを感じた
・ぼくのアフリカ大陸縦断の旅はついに最終章へ
・ケープタウン中心部からライオンズヘッドまで歩こう
・カラフルでフォトジェニックなボカープ地区に魅了された
・ボカープ地区の治安は悪い?
・ボカープ地区におけるアパルトヘイトの歴史とマレー半島との繋がり
・中島みゆき「真夜中の動物園」
目次
・ぼくのアフリカ大陸縦断の旅はついに最終章へ
ぼくは2024年5月8日から10月1日まで、約5ヶ月間かけてアフリカ大陸縦断の旅をした。訪れた国はエジプト、エチオピア、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、タンザニア、マラウイ、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア、レソト、南アフリカ共和国だった。
ついにアフリカ縦断の最後の国、南アフリカ共和国へと入国した。南ア最初の街は大自然と大都会が見事に融合した美しきケープタウン。初日は治安良好なウォーターフロントを散策し、2日目はアフリカの旅の終わりを象徴する喜望峰へと足を運び、その夜には祝杯に1万円以上する和牛を食べた。
・ケープタウン中心部からライオンズヘッドまで歩こう

ケープタウン3日目はライオンズヘッドという山に登る予定だ。ライオンズヘッドはぼくたちが泊まっているケープタウンの中心部の91 Loop Boutique Hostelから歩いて行けそうだということで、治安に気を付けながらテクテクと歩いていく。気を付けながらと言っても日本人男が4人もいるのだから、はっきり言って危ない目に遭う気が全くしない。本来ならば1人で南アを巡る予定だったのに3人も旅の相棒に恵まれるとは心強いことこの上なく、自らの幸運に感謝した。
ケープタウンでもこのエリアはちょっと危なそうだとか、この通りは全く問題なさそうだとか、何日間か滞在しているとそういうのを直感的に把握できてくるので、なるべく問題なさそうな道を選択しながらライオンズヘッドへと足を進めていく。
・カラフルでフォトジェニックなボカープ地区に魅了された



ライオンズヘッドへ行くまでの途中に、カラフルな街並みで有名なボカープ地区があったので立ち寄ってみることにした。このカラフルでフォトジェニックな家々を見てしまっては素通りすることはできないと思うほどに魅力的な風景が広がっていた。


カラフルな街並みとケープタウンの壮大な大自然がミックスされた風景もまた別格だ。


カラフルなのは家だけではなく、家の前に停まっているレトロな車までカラフルで可愛いムードが強調されている。アフリカの道を走っている車は90%以上がトヨタ、日産、いすゞなどの日本製だったのが印象深かったが、この可愛い車はどこの国の車だろう。




家の壁には様々なアートが施されていたり、アフリカらしいアーティスティックなモニュメントが飾られていたりして、創造的な雰囲気が溢れている。

カラフルな家には中がお土産屋さんになっているところもあり、アフリカらしい手作り感溢れるお土産品が所狭しと並べていた。また画廊や写真館のようになっている家もあった。
あんまりゆっくりしているとライオンズヘッドを登山する時間がなくなりそうだったので、名残惜しいがぼくたちは足早にボカープ地区を立ち去った。
・ボカープ地区の治安は悪い?

ボカープ地区周辺の治安が悪いという情報も見たことがあるので少し心配だったが、ぼくが行ったときには外国人観光客がいっぱいいて賑やかで全然治安が悪いという感じはしなかった。油断しない方がいいとは思うが、過度に恐れるほどの場所でもないと感じた。
・ボカープ地区におけるアパルトヘイトの歴史とマレー半島との繋がり

ぼくはボカープ地区のカラフルでアーティスティックな雰囲気が、何となくタイのプーケットやマレーシアのマラッカやペナン島、シンガポールのプラナカン文化と似ているという感想を抱いたが、はるか遠く離れた東南アジア諸国と南アに関係があるわけがないので気のせいだろうと思っていた。しかし後からボカープ地区の歴史を調べてみると、ぼくの直感が当たっていたことがわかった。
ケープタウンのボカープ地区はかつては「マレー・クオーター」と呼ばれており、18世紀にオランダ東インド会社によってマレーシアやインドネシアから連れて来られたマレー系イスラム教徒奴隷の住むエリアだったという。南ア最古のイスラム教モスクであるアウワル・モスク(Auwal Mosque)もこのエリアに位置している。
アパルトヘイトの時代、非白人の強制移住が進められた中でボカープはケープタウン中心部で唯一の非白人地区であり続けた。今ではボカープ地区は1850年以前の建築物が国内で最も多く集中しており、ケープタウンで現存する最古の住宅街となっている。ボカープ地区はアパルトヘイト政府による不当な扱いを受け経済的・社会的な差別を経験したが、その後アパルトヘイトが廃止され自由を得たことの表現として家々がカラフルに塗られたという説があるという。
東南アジアのプラナカンもマレー系と中華系がミックスして生まれた文化だとされているので、マレー系奴隷が多く住んでいたというこのボカープ地区がプラナカン的だというのは、あながち関係がないとは言い切れないだろう。こんなアフリカ大陸の最果てまで来て、全く関係のなさそうな東南アジアマレー半島との繋がりを不意に感じられるのは、他でもなくぼくが世界中を旅して記憶した感性と感性が脳内で繋がった結果だと考えれば、世界中を旅することにも価値を見出せる思いがする。
世界を断片的に旅しただけでは繋がらない結合があり、世界中を継続的に旅し続けてきたからこそ、世界中を継続的に旅し続けて来なければ導き出せないシナプスの結合がここにはあった。結び付き合うはずもないものが結び付き合う神秘的な世界、出会うはずのない者と巡り会う幻想的な世界、他人からそれは違うと蔑まれても信じられる内なる直感の眼差しが、ここには宿っていた。
・中島みゆき「真夜中の動物園」
真夜中の真ん中に
動物園では人知れず
逢いたい相手が逢いに来る
逢えない相手が逢いに来る柵も壁も闇と同じものになった真夜中
今ではもうない草原のはるか彼方から
滅びた群れが連なってやって来る
Dada…
逢えない相手が逢いに来る
逢えない相手が逢いに来る
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